41

「こんにちは」


 あたしは、相変わらずさくらさんの所に通っている。

 もちろん…誰にも内緒で。



「今日、とってもいい天気ですよ」


 外には、桜。

 さくらさんは、ゆっくりと外に目をやって。


「……」


 少しだけ何かを言いたそうに口を動かした。


「何かいりますか?」


 あたしは、サイドテーブルのグラスを持つ。

 さくらさんは、ゆっくりとあたしの手を取って。


「あ…」


 あたしの、指輪を触った。


「さくらさん…」


 これは、母さんの置いていった指輪。


「これ、覚えてるんですか?」


 あたしがさくらさんの手を持って言うと。


「……」


 さくらさんは無言のまま…だけど、優しい目で指輪を見た。


「父は、あなたに死産だったって言ったみたいだけど…」


 あたしが、ゆっくりそう話しかけると。


「…し…さん…」


 さくらさんから…声が発せられた。


「…え?」


「…し、さん…」


 …貴司さん?


「そう、父です。貴司って…」


「……」


 さくらさんは、あたしの頬にそっと触れて。


「…なっ…ちゃ…」


 …なっちゃん?

 なっちゃんって、高原さん?


 ああ……


 さくらさんは、苦しんでるんだ。

 高原さんと、父さんの間で…


「さくらさん」


 あたしは、さくらさんの手を握りしめると。


「高原さんも、父も、素敵な人です。あたしは二人とも大好きです」


 まっすぐに、目を見ながら言った。


「……」


「父は、この前初めて…母のことを話してくれました」


 さくらさんの目は、まだあたしじゃなくて、遠いどこかを見てる。


「ずっと気にしてるみたいです。母が幸せでいるかどうか」


「……」


「父は、今でも母を愛してて…愛してるから、突き放してしまったことを今になって後悔してるんです」


 さくらさんの手は、あたしの指輪を触り続けてる。


「おばあちゃまも…ずっと、気にしてて…だけど、うちの家族はみんな元気です。あ、あたし…双子の妹と弟もいるんです」


「……」


 初めて、さくらさんがあたしを見た。


「……」


「…父は…再婚したんです。でも、継母は病気で亡くなりました」


 なんとなく、さくらさんの言いたいことがわかってきたような気がする。

 瞳や仕草で。



「お、知花来てたのか」


 ふいに高原さんが入ってこられて。


「お邪魔してま…」


 立ち上がろうとして…握られてる手が、それを制した。


「何だ。すごく気に入られたんだな」


 さくらさんが、あたしの手を離さない。

 ゆっくり座り直すと、何だか…妙に胸が騒いだ。



「最近、少しだけど…話すようになったよ」


「本当ですか?」


「ああ。病院に連れて行ったら、先生も驚いてた。この調子なら、元に戻るかもしれないって」


 高原さんは満面の笑みで、優しく…さくらさんの頬に触れる。


「どうしたんだろうな。急に気力が出たみたいだ」


「良かった…」


「知花」


「はい?」


「ありがとな。こうやって、おまえが来て話してくれることがリハビリだと思ってる」


「…高原さん…」


 胸が痛む。

 こんなにも母さんを愛してくれてる高原さん。

 あたしは、父さんと母さんの復縁を心のどこかで願ってるのに…



「なぜかな。知花が来てくれるようになって、さくらはどんどん回復してるんだ」


 初めて会った時はうつろだった目も、今はしっかりしてきて。

 あまりなかった瞬きも、今では普通だ。

 そして、何より表情が…



「瞳さん、新婚旅行から帰ってこられたんですか?」


 罪悪感を消すかのように、問いかける。


「ああ。式の時はありがとな。瞳も感激してたよ」


 四月の初めに、瞳さんは東さんと結婚された。

 その時、あたしは二人からのリクエストで、賛美歌を唄った。

 …心をこめて。



「ますます音域広くなったな」


「ありがとうございます」


「高音は少し懐かしい感じの声だなと思って、ひたって聴いたよ」


「懐かしい感じ?」


「さくらも、元シンガーなんだ」


「……」


「さくらの声に、どことなく似てるなと思って。ああ…だから、さくらと知花は雰囲気が似てるのかな」


 高原さんが、そう言って笑ってると…


「さくら?」


 突然、さくらさんがポロポロ涙をこぼしはじめた。


「さくらさん?」


 あたしは、握ってた手に力をこめる。


「ち…な…」


「…はい?」


 あたしを、呼んだ?

 高原さんと顔を見合わせる。


「知花だよ。いつも、来てくれてる」


 高原さんがさくらさんの顔をのぞきこんでそう言うと。

 さくらさんは、ゆっくり起き上がって…


「…え?」


 あたしに、抱きついた。


「…さくら…」


「知…花…」


「さくらさん…」


 あたしと高原さんは、途方に暮れる。

 どうして?



「…娘…」


 ふいに、さくらさんが、そんなことを言って。


「娘?」


 高原さんが、怪訝そうな顔であたしを見た。


「た…か…し、さん…と…あたし…の…娘…なの……」


 さくらさんは…たどたどしく、だけど言葉を絞り出すように…高原さんに言った。


「…たかし…」


 あたしは、うつむく。

 …さくらさんは、高原さんに真実を告げたくないのかもしれない。



「何言ってるんだ。知花は……」


「……」


「…おまえ…桐生院家とは血のつながりがないって言ってたよな…」


「それは…」


「そうか…」


 高原さんが、溜息を吐きながら前髪をかきあげる。


「どうして、知花がここに来たか…そういうわけか」


「……」


「さくらが母親だって、どうしてわかった?」


「それは…」


 言葉に、つまる。


「さくらがうなされながら言ってた。貴司さんって」


「高原さん…」


「そうか、そりゃ良かった。やっと、親子めぐり会えたわけだ」


 高原さんは混乱したように早口で言い捨てると。


「どうして、離れたりしたんだ…」


 うつむいて…部屋を出て行った。



「さくらさん…」


 あたしはさくらさんの目をじっと見る。

 さくらさんは、涙を流しながら。


「…ずっと…ここにいちゃ…いけないって…思って…た…」


 たどたどしい言葉だけど、ちゃんと話してくれた。


「な…ちゃんの…気持ち…嬉しいけど、あたしは…」


「…一緒に帰ろ?」


 あたしがそう言うと、さくらさんは驚いた顔。


「……え?」


「うちに、帰ろうよ…お母さん」


「知花…」


 あたしはさくらさんを抱きしめる。


「高原さんには、あたしが言うから」


「…どう…し…て?」


「?」


「ここ…に…来た…の?」


「あの歌を、聴いて…」


「……」


「歌ってくれてたでしょ?あの歌を高原さんが歌ってくれたの。それで…」


「…し…前に…」


「え?」


「男…の…人……来た…わ。」


「……」


 千里だ…


「あたし…と…なっちゃん…の、子供…シンガー…になった…って…元気…で、いる…って…」


「…うん」


「彼…こう…言った…母親…の名前が…みんな…が、知ってる花の名 前…だから、知花って…」


「そう。おばあちゃまがつけてくれたの」


「……彼は、その…女の子…が…大…好きだ…って」


「……」


 あたしは、さくらさんを見つめる。


「どうせ…幸せ、になる…なら、みんな…で。が、いい…よね…」


「…ん」


「なっ…ちゃ…には、あたしが…話す」


「さくらさん…」


「そして…貴司…さんが…迎えて…くれる…なら…」


「迎えてくれるよ」


「だか…ら、もう少し…待って…」


「…わかった」


 あたしは、さくらさんから離れる。

 高原さんが心配になったけど、さくらさんの優しい笑顔を見ると、少しだけ安心してしまった。

 この人なら…大丈夫かもしれない。



「じゃ…帰るね」


「…知花…」


「ん?」


「も…一度、呼んで…」


「え?」


「お…母さん…て」


 あたしは、さくらさんの指に指輪をはめる。

 そして、ありったけの想いをこめてつぶやいた。


「…お母さん…」

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