05

「……」


 ドアを開けた聖子が、口を開けてポカンとしてる。


「どうしたの?」


「どうしたのって…それはあたしが言いたいよ?知花…その髪…」


「あ。」


 しまったー!!

 桐生院知花、変装歴12年。

 初めて、ウィッグも眼鏡も付け忘れてしまった!!


「いつもより、髪の毛が長いってのも気になるわね」


 聖子が腕組してすごむ。


「……」


 千里のせいよ。

 あいつのせいで気が動転して…


「ま、入んなよ。じっくり話してもらおうじゃない」


「…はい」



 とうとう、告白の時が来てしまった。

 いつか、時期を見て言うつもりではいたけれど…

 まさか、こんな形で…



「わ、すごい…きれい」


 聖子の部屋に入ると、窓の外、満開の桜。


「今日、だーれもいないから、なーんにも心配ないよ?さ、話してみ?」


 聖子は口調はおどけてるけど…目が笑ってない。

 あたしは首を落として小さくなる。



「…これが、地毛なの…」


「今までのは?」


「…ウィッグ」


「眼鏡も?」


「うん…」


「どうして、そんなこと…」


 ため息まじりで聖子が言って、あたしは何から話せばいいか…わからなくなる。


「…お茶入れてくるね」


 黙ってしまったあたしを見かねて、聖子が立ち上がる。

 あたしはうつむいたまま、ドアが閉まる音を聞いていた。


 どうせ、いつかは打ち明けるつもりだった…とか言いながら。

 きっと、いつまでたっても打ち明けられなかったと思う。

 こんなことでも、ない限り。

 だから、良かったのかも。


 もう何もかも…打ち明けよう。



「…は…」


 小さくため息つきながら、もう一度窓の外に目をやる。


 桜…

 お父さんの、好きな花。


 お父さんは会社を持ってるから、家元とは言え、今はお弟子さんをとらない。

 むしろ、おばあちゃまが現役で家元のようなものだ。

 でもたまに玄関に生けてある華を見て、あ、お父さんが生けたんだ、って思うと嬉しくなる。


 お父さんの生ける華は、いつも優しい。

 でもそれが時々、せつなくもなるんだけど…



「お待たせ」


 聖子が背中でドアを押しながら入ってきた。


「知花の好きな、焼きプリン」


「あ、嬉しい」


「今日の紅茶は、イギリス土産よ」


「…聖子」


「ん?」


「あたし、結婚してるの」


 あたしが聖子を見て、きっぱりそう言うと。

 聖子は、ポカンとしたままあたしを見た。



「…結婚?」


「うん。去年16になってすぐ。でもね」


 聖子は思い出したようにお茶を入れ始める。

 あたしは、聖子の手が止まるのを見届けてから、しゃべり始めた。


「こんなの、どうかしてるって思うかもしれないけど…」


「……」


「偽装結婚なの」


「…ぎ…」


 聖子の表情が固まってる。

 …仕方ないか…



「偽装って…あんた、好きでもない人と結婚した…ってわけ?」


「あたしが、どうしてインターナショナルスクールに行ってたかと言うとね…」


「うん…」


「あたし、桐生院の誰とも血がつながってないの」


「……」


「それで…あ、ありがと」


 聖子が、何とも言えない顔して、紅茶を差し出した。


「あたしの母親は、あたしを産んですぐいなくなったの」


「知花のお母さんって、病気で亡くなったんじゃないの?」


「それは二人目のお母さん。麗たちの…」


「で、父親は?」


「あたしの母親、アメリカのシンガーだったんだって」


「外人なの?」


「ううん、母親は日本人。だから…」


「父親が外人か…その髪の毛の色からすると。で、どういうふうにつながってくわけ?」


「お父さんがアメリカに行った時に、歌ってるお母さんと知り合って…」


「…なるほど」


「でも、結婚したのはいいけど、産まれた子どもが赤毛よ?おばあちゃまの風当りが冷たいのも当然。孫なんかじゃないもの」


「それー…お父さんから聞いたの?」


「ううん…亡くなったお母さんから…」


 紅茶を、一口。


「母親が、シンガー…か。あんたがシンガーになろうとしてるのは、本当の両親を捜すため?」


 聖子が冷めた口調で言って、あたしは少しだけ罪悪感を覚える。


「最初は…そうだった」


「そ…」


「でも、今は違うの。悔しいけど、血なんだなって思う」


「血…」


「歌ってると嫌なことも全部忘れちゃうくらい、自分が自分でいられるっていうのかな…オーバーな言い方だけど、歌うために生まれてきたんだなって…」


 聖子はゆっくり紅茶を飲んで。


「で…結婚のことだけど」


 って、顔を上げた。


「あの家を出たいから、結婚したっていうふうにとっていいわけね?」


「…うん」


「そりゃあさ、あんたんちのばあさん厳しいし家出たいのはわかるけど…そこまでしなくても…」


「うん…あたしも時々思う」


「なのに、どうして?」


「あたしね、この街に帰ってきて…すごく窮屈だった」


「……」


「聖子と同じ学校に行きたくて、おばあちゃまの反対を押し切って帰ってきたのに、週に三日、お弟子さんたちが来る日は9時まで帰られなかったの」


「何それ」


「あたしが桐生院の一員として日の目に出ていいのは、年に数回だけなの」


「だからって…」


「それでいつも時間を持て余してた」


「どうして、言ってくれなかったのよ。いつでもここに来ればよかったじゃない」


「…言えなかった…」


「どうして」


「…嫌われるんじゃないかと思って…」


「知花…」


「ずっと憧れてたマンションがあってね。そこで、彼と知り合ったの。そこが既婚者でないと入れないからって…」


「それで結婚?」


 聖子の、瞳が曇る。


「あたし、自分が嫌いだった」


「……」


「ウィッグに眼鏡…家にいる時間さえも、ピリピリしてた。そうしてるうちに、あたしの生きてる意味って何?って…」


「生きてる意味?」


「誰にも認めてもらえてないような気がしてたの。お父さんだって、おばあちゃまに後ろめたい気持ちがあるから、あたしに変装させる事に反対はしなかったみたいだし…」


 聖子が、思い出したように紅茶を口に含む。


「でも、彼はちょっと違うの。何だか違うの…」


「知花」


「ん?」


「彼のこと、好きなんじゃない?」


 聖子の問いかけに、少しだけポカンとしてしまった。


「…好き?」


「だって、そうじゃなきゃ一緒に暮らせないよ。いくら偽装ったって…気付いてないだけじゃない?好きな気持ちに」


 千里を好き?

 そりゃあー…大嫌いとは言わないけど…

 …だけど、夕べからの事を思い出して、ぶんぶんと頭を振る。

 …ケダモノ…!!



「あたし、あんたの選んだ道が正しいかどうかって言われると…」


「……」


「ちょっと、答えらんない」


「…うん」


「でも」


「?」


「あたしが知花だったら…同じ事、してるかもね」


 聖子はいつもの笑顔で言ってくれた。


「聖子…」


「さ、プリン食べて早めに出かけよ。音楽屋によってかない?」


「聖子」


「ん?」


「怒ってない…?」


「怒ってるわよ。けど、長年の悩みを打ち明けてくれたとして、よしとするわよ」


 あたしの、大好きな笑顔。

 打ち明けたことを安心する反面、もっと早く言えばよかったっていう後悔。


「それにね」


「?」


「本当は、気付いてた。ウィッグのこと」


「え…っ?」


「何年友達やってると思ってんのよ。いつ告白してくれるかなって待ってたんだけどね」


「……」


「も、そんな顔しないでよ」


「…ごめん」


「いいってば。それに、これが本当の知花なんだなって…今、感激してるとこだし」


 聖子は、あたしの髪の毛を手にして。


「きれいな色」


 って笑った。


「それとさ、いつか紹介してよね。なんたって、あんたの旦那だもん」


「あー…そのうち会うことあるかも…」


「どうして」


「バイト先の人間だし…」


 聖子が、のどをつまらせる。


「なっ…じゃ、何?業界の人?」


「バンドしてる人。でも、あんまり売れてないのかも…いつも家でごろごろしてるから…」


「なーんだ」


 その一言で、聖子の興味津々の瞳からは輝きが消えてしまった。

 本当は誓や麗が知ってるぐらいだから、聖子も知ってると思うんだけど。

 CDをチェックしに行っても見あたらないもんだから…

 もしや、一時的な人気者なんじゃないかな…なんて。


 実は、曲もまだ聴いてない。

 誓に借りようと思ってたのに。


「まさか姉さん、TOYSを聴いたことがないなんて言わないよね」


 って、麗と二人して先に言うから。

 あたしは、あてをなくしてしまったのよ。



「でもさ…」


 聖子は優しい目であたしを見ながら。


「髪の毛のことだけでも、メンバーに打ち明けちゃいなよ」


 って…


「えっ…」


「その方がいいと思うよ?あんたにとっても、ずいぶん楽になるんじゃないかな」


「……」


「あ、これ新譜?見ていい?」


「…ん…」


 カバンからのぞいてた楽譜、聖子はわざと明るい声で取り出した。



 髪の毛のこと、みんなに言うってなると。

 家の事も、言わなきゃいけないのかな…



「へえ、感じいいコード進行だね」


「え?」


 聖子に言われて、新譜をのぞきこむ。

 確かまだ全部書いてなかったはず…


「珍しいじゃん。Fm7なんて使ったことないよね」


 あたしは聖子の目線を譜面の中に追った。

 そんなコード、使ったことない。


「あ。」


「何」


 これ、千里が書いたんだ…

 最後まで書いてある。


「これ…あたし、途中までしか書いてないの」


「え?」


「…いつの間に…」


「彼が書いたってこと?」


「うん…」


「でも、前半のコード進行がちゃんと生きてるよね。あんたの彼って何者?」


「この最後の変調で悩んでたの」


「はー…すごいね。早く弾いてみたいや」


 千里、あたしが眠ってる間に書いたのかな。


「さ、出かけようか」


「あー…うん…」


「何よ、のらない声ね」


「だって、こんな髪の毛で…」


「あんたねー…今日びの高校生って、みんな派手だよ?うちの学校は厳しくて、そんなのいないけどさ。案外街に出ると普通だってば」


「そう…なのかな…」


「さーさー、行くよ」


 聖子が、あたしの腕を持って立ち上がる。


「なーんにも心配しなくていいから」


「……」


「本当だってば」


 あたしは少しうつむいたあと、首を傾げて笑ってみせる。


「何」


「バンド名、考えた?」


「あ。」


「……」



 そして、あたしたちはー…

 また座り込んで、辞書などと、にらめっこを始めたのよ…。

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