04

「知花…何か食うもんないか…」


 金曜日の夜。

 お風呂上がりにアコースティックギターを弾いてると、後ろから千里の声。


「!」


 帰らないって聞いてたあたしは、リビングで堂々と開いてた譜面を慌てて隠す。


「いっいつ帰ってきたの?」


「いつって…今」


 千里は随分疲れてるみたいで、倒れ込むようにソファーに座った。


「今朝から何も食ってないんだ」


「帰らないって電話してきたじゃない。何もないわよ」


「何か作れよ」


 ふんぞりかえって、冷たい口調。


「…物の頼み方を知らないようね」


 小さく愚痴りながら、あたしはキッチンに立つ。



「レコーディング、どう?」


「……」


「千里?」


 振り向くと、千里はソファーでうとうとしてる。


「食べるの?寝るの?」


 少しだけ冷たい口調で問いかけると。


「食う。早くしてくれ」


 ってー…ものすごく眠たそう。


「トーストでいい?」


「ああ…」


 買い物しなかったから、冷蔵庫に何もない~…

 とりあえず、ハムエッグとサラダとトーストとコーヒー。

 まるで朝食のようなラインナップ。


 それでも千里はとびつくように食べ始めた。

 一人暮しなんてしてたら、とっくに餓死だわ。

 それでなくても、好き嫌い多いし。


「トースト、もう一枚」


「あ、はいはい」


 何だか見る見る元気になっちゃったな。

 帰ってきた時はボロボロのヨレヨレだったけど。


 あ、そうだ。


「ね」


「んあ?」


 元気にはなってきてるけど、あたしの問いかけには無気力な返事。


「Deep RedのCD持ってる?」


 2枚目のトーストを差し出しながら問いかける。


「全部揃ってるぜ」


「借りていい?」


「んだよ、ロックに目覚めたか?」


 …どうしよう。

 この場を借りて言ってしまおうか。


「洋楽ロックは詳しいのよ?」


「本当かよ」


 千里は食べながら無愛想に答える。

 それでも機嫌は悪くなさそう。


「ああ、そっか。アメ学みたいなとこ行ってたんだっけな」


「…そう。そうなの」


「コーヒーおかわり」


「はい」


 なんだか緊張しちゃって、なんて切り出したらいいのか、わかんない。


 キッチンでコーヒーを淹れてると。


「三日食べないでも我慢できるって奴がいるけど、俺は無理だな」


 千里が真剣な声で言うから、おかしくて、つい笑っちゃう。


「で?」


「え?」


「何か言いたそうな顔してるじゃねぇか、さっきから」


 …見抜かれてる。

 あたしって、どうしてこう顔に出ちゃうんだろう。


「あの…」


 おかわりのコーヒーを持って、背中向けたまま。


「実は…バンド組んでるの…」


 って、小さく言うと。

 かすかに、食べるのをやめたような気配。


「…何?」


「バンド…組んでるの」


「おまえが、バンド組んでんのか?」


「そう…です。」


「……」


 ゆっくり振り向いて、上目使いに千里を見る。

 千里はカチャンとフォークを置くと。


「知花」


「…はい」


「ここに座れ」


 って、少しトーンの低い声。

 あたしは、いそいそと千里の前にコーヒーを置いて座る。


「…おかしいとは思ってたんだ。アコギ持ってるし。楽器が好きだからとか言ってたよな、確か」


「…言いました」


「どうして嘘ついた」


「だって…」


「何」


「…音楽してる女とは、結婚したくないって言ったじゃない」


 あたしが上目使いでそう言うと、千里は意外そうな顔をした。


「つまり…」


 千里の意外そうな顔は、みるみるいつものニヤニヤ顔になって。


「俺と結婚したいから、嘘ついたってことだな?」


 って。


「なー…」


 呆れて、口が開いたままになってしまう。


「何言ってんの!?あたしは、ここに住みたいから…」


「そっか、そういうことか」


 あたしが必死で弁明してるのに。

 千里は一人納得をしたかと思うと、再び食事を始めた。


「まずは、腹ごしらえだよな」


 …何言ってんだろ。

 でも、とりあえずは打ち明けたし…

 あれ嘘だったのかな。

 音楽やってる女は苦手って。

 そんなに怒ってないみたいだし…


 ともあれ、良かった。

 これで『遠くのコンビニに行って来る』なんて嘘つかずにミーティングに出られるわ。



「サラダ、おかわりいる?」


「なんだよ、急に優しくなりやがって」


「そ…そんなことないよ」


「いや、いい。もういらない」


 千里が全部食べたのを見届けて、あたしは食器を片付け始めた。

 ちょっとご機嫌になってしまって、鼻歌なんてしちゃう。

 ああ、本当に良かった。

 一緒に暮らしてる人には、やっぱり隠し事なんてしない方がいいに決ってる。



「おまえ、今、生理?」


 背後から信じられない質問をされて肩を揺らす。


「なっ何でそんなこと聞くのよ」


 振り返ると、千里は斜に構えてあたしを上から下まで見て。


「風呂入る」


 リビングを出て行った。


「……」


 し…信じられない…

 今までそんな事聞かれた事もないし、千里が気にしてるとも思った事なかった。


 何だかモヤモヤする胸を抑えながら、キッチンを一通り片付ける。

 そんなざわつく思いをどうにかしたくて、隠してた譜面を手にして…


「…これも、もう隠さなくてもいいのよね」


 小さく独り言。


 実家でもコソコソしてたから、これから堂々と作曲できるなんて…夢みたい。

 そのための偽装結婚でもあったのだから、これであたしの本意に近付いたって言える。


 アコギを手にして、ゆっくりアルペジオ。

 人がいようがいまいが、音を出して弾ける。

 ああ…気分がいい…。

 あ、今日のうちに新譜書いて、明日のスタジオに持って行こう。


 一気に気分が盛り上がって、あたしは今までになくスムーズに曲を書き始めた。



「D…ここからB♭っていうのも普通すぎるかな…」


 ギターを抱えたまま、前のめりになって譜面にペンを走らせる。

 明日はセンが加入して初めての練習。

 楽しみだな。


「!」


 突然留めていたクリップが外されて、あたしの長い赤毛が零れ落ちる。


「び…びっくりした…何よ」


 顔を上げると、千里がクリップをポーンとソファーに投げた。


「ギター置けよ」


「…どうして」


「いいから」


 千里に言われるがまま、アコギを横に置くと。


「え…」


 突然、あたしは天井を見つめるはめになってしまった。


「なっ何っ!?」


 あたしは、やっと千里に押し倒されたことに気付く。


「夫婦なら、こういうことも有り得るわけだろ?」


「ばっばばばっかじゃないの!?放してよ!!」


 必死で抵抗してみたものの…


「ヘマしやしねぇよ」


「まっまっ待って!!」


「…んだよ」


「だめ。そう、だめ。あたし、そんないい体じゃないし」


「心配すんな。期待なんてしてない」


「でもっ!!ほら、そういうのは抜きでって…」


「言った覚えはないぜ?ああ、そういえば…」


 千里は、ふっと何か思い出したように目を反らして。


「いつか押し倒しすって宣言はしたっけな」


 って…


 あたしの脳裏に蘇る、タマネギ事件。

 そういえばあの時…


「覚えてろ。いつか押し倒してやる」


 ……


「ままままさか、あれを根に持ってんの?」


「そうかもな」


 千里の口唇が、首筋に…


「やだ~!!」


「おとなしくしろって」


「¢£*☆○▼∋†~!!」


 あたしはその夜。



 無理やり、千里の体温を知らされてしまった。



 * * *



「出かけるのか?」


 なんのことはない…

 あのまま千里の腕の中で眠ってしまって。

 自己嫌悪に陥りながら、シャワーを浴びようと立ち上がったところで千里が言った。


「…そうよ」


「学校、休みだろ」


「…バンドの練習」


 もう隠す事なく堂々と言えるのはいいことだけど…

 くやしいー!!

 どうして、こんな奴に何から何まで奪われなきゃいけないわけ!?


 …けど、結婚してるんだもん。

 少しは、警戒するべきだったのよ。

 あたしは、千里に対して無防備すぎてた。

 いつも子供扱いされてるって思ってたから、油断してた。


 結婚する前は、確かに抱きしめられたりはしてたけど…

 何だか、あたしにとっては『恋人同士の抱擁』とは思えなかった。

 どっちかというと…父娘?


 全然キスなんかも強要されなかったし…

 お互いのプライバシーには関与しないって決めたし…

 何より、あたし達は『ここに入居したい』って目的のために結婚をしたんだもの…

 油断して、当然かも。



「……」


 ふいに、乱暴なキスを思いだして唇をぬぐう。

 やだ。

 千里と、こんなことになってしまうなんて…



「あー…」


 シャワー浴びながら、夕べの悪夢をかき消すように、あたしは頭をクシャクシャにする。

 どうしよう。

 これからまだ有り得るかもしれない。

 夕べのようなこと…



「なっ…」


 髪の毛かきあげようとして、いつの間にか後ろに立ってる千里に気付いてギョッとする。


「なっ何してるの…休みなんでしょ…寝てたら…」


 慌てて体を隠してると。


「何隠してんだよ。もう、すみからすみまで見たぜ?」


 って、千里はニヤニヤしてる。


「…出てって」


「何で」


「なっ何でって」


「おまえって、案外いい声出すんだな」


「もっ…!!」


 ひっぱたこうとして、腕をとられる。


「いいか。いくら偽装結婚でも、おまえは俺の所有物なんだ。他に男を作るなよ」


「なっ…何勝手なこと言ってんのよ…離して!!」


「いやだとか言いながら、結構悦んでたじゃねぇか」


「無理やりだったくせに、何勘違いしてるの?」


「何言ってんだ。おまえ、途中から俺の背中に手ぇまわしてきたぜ?」


「うー…嘘…」


「嘘じゃねぇよ」 


「……」


「マジで」


 千里が、あたしの肩に手をかける。


「うわっ!!」


 気が付いたら、あたしはシャワーを千里の顔に向けてた。



 いくら家を出たいからって…こんな男と結婚してしまうなんて…

 でも。

 千里が、結婚させてくれって父親に頭をさげてくれた時は。

 正直言って…嬉しかったのよ。

 居場所のないあたしを、迎えにきてくれたような気がして…



「…ばかみたい…」


 適当に着替えて、まだ少し濡れてる髪の毛もそのままにして。

 リビングに置きっぱなしにしてた譜面をバッグに詰め込む。



「知花」


 お風呂から出で来た千里が呼び止めたけど。


「ばか」


 あたしは、聖子の家に向かった。

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