51

「あははは、ごめんごめん」


「…もう、慣れましたけど…」


 目の前で、あずまさんが大笑いしてる。


 エレベーターの前でぶつかって。

 いきなり。


「あー、ごめん。ボク」


 なんて言われてしまったのよ。



「お元気そうですね」


「うん。元気元気。でもね、今大変なんだー」


「?」


 嬉しそうに『大変』って言う東さんに首を傾げる。

 すると、東さんは頬に一本指を当ててウインクした。


「実はね、バンド組んだんだよ」


「え?」


「もちろん、神と」


「……」


 言葉が出なかった。

 でも、たぶんあたし…とびきりの笑顔だと思う…


「よかった…」


「最近神ご機嫌でさ。曲ガーッと書くもんだから、こっちは大変だよ」


「そうなんですか」


「そうそう、ご機嫌と言えばさ」


「はい?」


「あいつ、最近スタンプ集めてるんだよね」


「スタンプ?」


「らしくないでしょ」


「ええ…」


「よくあるじゃん。店で買物してスタンプ集めたら、いくらでこれをもらえる…とか」


「それを千里が?」


「そのスタンプカード眺めながら、ニヤニヤしてんの」


 千里が、スタンプカードを眺めてニヤニヤ…

 なんだか…

 本当、らしくない。


「しかも、おもちゃ屋だよ?何買ってんのかな」


「え?」


 あたしは、丸い目をして東さんを見上げる。


「プラモデルとか作る趣味は、なかったと思うんだけどなあ」


「それって…どこのお店ですか?」


「えーとね、何だっけなあ。スタンプカードに書いてあるんだけど…子供服と雑貨のお店…」


「…カナリア?」


「あ!!それそれ!!知花ちゃん知ってるんだ?」


「……」



 どうして…?

 最近、急に服やおもちゃが増えたなって思ってたのは…

 もしかして…



「知花ちゃん?」


「あっ…あたし、スタジオ行かなくちゃ…」


「そっかー。じゃ、またねー」


「はい」


 東さんにお辞儀して、あたしは静かにスタジオに向かう。

 だけど…頭の中はパニック。

 あれこれ考えながらエレベーターに乗り込むと…


「…よお。よく会うな」


 バッタリ…千里に出くわしてしまった。


「…こんにちは」


 東さんから聞いた話で、まだ…混乱してる。

 千里の顔を見れないまま、数字を移動していく光を見ていると…


「スタジオか?」


「う…うん」


「俺、テレビ出るぜ」


「え?」


 思わず振り返ってしまった。


「バンドも完成に近くなったし。とりあえず、試しにっつーか…」


「……」


「見ろよ」


 千里は、以前と同じような…ニヤニヤ顔。


「おまえのために、歌うんだから」


「……」



 どうしよう…

 言って…みよう…かな…



 エレベーターが五階について、千里が降りる。

 ドアが閉まる瞬間。

 あたしは…


「…いつも…子供たちに、ありがと…」


 小さく言ってみせた。

 少しだけ…だけど…

 ドアの向こうに、千里が驚いて振り返った顔が見えて。

 あたしは…しゃがみこんで泣いてしまった…。



 * * *



「…最初に言ったのは誰?」


 家族全員が揃ってる大部屋。

 あたしはみんなに問い詰める。


「……」


 しばらく沈黙が続いて…


「…はい」


 手をあげたのは…麗だった。


「…麗…いつ?」


「姉さんが、アメリカから帰って少しして…偶然公園で会って…」


「……」


 もう…一年近くも前。


「麗が千里さんと別れたあと、すぐに私も千里さんとお話しましたよ」


「おばあちゃま…」


「…みんなで協力して、家にも…来てもらってた」


「……」


 誓の言葉に…もう、あたしは言葉を失った。

 結局…家族全員…


「もしかして…この前、慌ててあたしに花を買いに行かせた時も…」


「…千里さんがいらしてたからですよ」


 あたしは、ストンとイスに座る。


「でもね、全部おまえのことを想ってのことで…」


 おばあちゃまが、あたしの手を取って言った。


「…わかってる…」


「……」


「…みんな…」


「……」


「ありがと」


「…知花…」


「あたし、まだすぐには答えが出せないけど…今は千里の気持ちを嬉しいって思えるし…」


「…良かった…」


「もう少し…この状態でいさせて…」


 あたしは、みんなに頭をさげる。



 元はと言えば…あたしの弱さが原因だった。

 千里と離れたくない。

 そんな恋をして…夢さえ忘れかけた。

 …千里にとっても、重荷だったはず…


 あたしは勝手に、千里と別れる事が最善だと思った。

 夢を追うためには、あたしは…恋なんてしてる場合じゃないって…そう思った。


 …本当は、千里と別れて…不安で、心細くて…

 夢を叶えるためには、千里がいなきゃダメだったんじゃないの?って…何度も後悔した。



 でも…渡米して、妊娠が分かって…

 あたしに、血を分けた家族が出来る。

 それも…

 大好きな千里の子供…

 そう思った時、あたしの中に…力が生まれた。


 頑張らなきゃ。

 あたし…宝物を産むんだから。って。


 だけど、千里には言えないって…思った。

 あたしの勝手な決断。

 …こんなの、言えないよ…って。


 なのに…みんな…

 千里も…

 いつの間にか…あたしと子供達の事…

 こんなに、大事に…そして、守ってくれてたなんて…



「なんだか…今、すごく心地いいの」


 あたしのつぶやきを、みんなは黙って聞いてくれてる。


「身勝手なあたしには…贅沢過ぎる幸せかもしれないけど…」


 小さくつぶやくと。


「なんだか、いい顔になったね。知花」


 って、母さんがあたしの肩を抱き寄せたのよ…。



 * * *



「いい家族だな」


 光史が、優しい声で言ってくれた。


「ありがと」


 シャキシャキッ。

 ハサミの音が、心地いい。


 ショートカットにしてしまってからというもの。

 あたしの髪の毛は、髪型にうるさい光史の手によって、月に何度もハサミを入れなくてはならなくなってる。


 光史とは、以前のようにつきあえるようになった。

 それどころか、以前より積極的に相談にのってくれる。



「やっと答えが出せそうなの」


「長かったな」


「本当、みんなに迷惑かけちゃった…」


「そんなことないさ」


「今まで、こんなあたしじゃダメって。そんなことばかり思ってたけど、そうじゃないんだなって」


「わかったか?」


「ん。こんなあたしだから、彼が必要なの…」


「よし」


 光史は、手櫛であたしの髪の毛をパサパサッと整えると。


「もう、大丈夫だな」


 って…笑った。


「うん」


「髪の毛切った時点で、新しい自分になるって宣言したもんな」


「…うん」


「もう、迷うなよ」


「……うん」


 光史の声を聞きながら、あたしは目を閉じた。


 これから、どんなことがあっても…

 あたしは、千里を信じよう。

 あたしがあたしでいられるためには…

 千里がそばにいてくれるしかないのだから…。

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