三秒ルール

 この男、見るからに怪しい動きをしている。神経質そうにあたりを見渡しつつも、どこか急いでいる風でもある。挙動不審。何を考えているのか一見よくわからない男。

 実は彼はある呪いをかけられている。それは「足の裏以外が三秒以上地面または床に接地していると死ぬ」という、通称「三秒ルールの呪い」だった。何故そんな呪いがかけられてしまったのかは追々話すとしよう。とにかく男は間違っても転んではいけない。本当の意味で命取りになる。だからこうして絶対に転んでしまわないように安全確認を超念入りにしながら歩いているのである。

 でも、それならば急ぐ必要もないのではないか? と思う人もあるだろう。超ゆっくり進めば転ぶこともないのではないか、と。彼が急いでいるのはわけがある。

 この呪いを解くことができる「おはらいじじい」の店は午後四時ぴったりにしまってしまうのである。現在の時刻は午後三時四十分、急いでいけばギリギリ間に合う時間だ。逆に言えば、急がなければ間に合わない。そんな微妙な時間。閉店後は、何を言っても絶対に開けないことで有名な店だ。この時間を逃せば、一日呪いを解くことができないまま過ごす羽目になり、立ったまま寝なければならない。それだけは絶対に避けたいと思ったこの男は、必死になってその店へ急いでいるわけだ。


「ちくしょう、何でこんな目に」


 男は呟いた。彼に呟いている時間は残されていないにもかかわらず、呟かざるを得ない。こんな理不尽なことがあっていいのかと、既に呪われている自分自身の運命を呪うのである。


 第一関門、横断歩道。大きな通りにかかる横断歩道なので、それなり長い。だがしかし、一番危険なのは雪解け直後のため、アスファルトの道路がボコボコの穴だらけというところだ。

 北国では春先よく見られる光景なのだが、水がアスファルトに染み込み、その水が凍って膨張し、それがアスファルトにヒビを作って脆くし、さらに重みが加わることでできる陥没があちこちにあるのだ。

 この横断歩道も例外ではなく、ボコボコしている。果たしてこの男は足を突っかけずに渡りきることができるのか!?


「この横断歩道には陥没が一、二、三……七つあるな。そして一番陥没している箇所が少ないのが……このラインだ……いや、こっちは大きな陥没が……」


 男は信号の待ち時間を利用してブツブツと何か唱えている。やはり挙動不審。これも呪いの影響なのだろうか? そして信号が赤から青に切り替わる。


「ぬおおおおおおおおお!!」


 男、一気に走り抜ける! ボコボコに足を取られることもなく、難なくクリア。男はホッと胸を撫で下ろしたい気分だが、そんな暇はないのだ。まだおはらいじじいの店へは到着していないのだ。


 さて、まだ彼が何故呪われてしまったのか話してなかったので、ここで話しておこう。

 男は平日昼間にもかかわらず、酒を飲んで酔っ払ってしまっていた。彼は酒癖が悪く、飲むといろんなものに手を出してしまう。道行く女の子に手を出しては撃退され、散歩中の犬に手を出しては吠えられ、他人の自動車に指紋をベタベタつけては怒られていた。今回手を出したのは地蔵だった。まず手始めにお供え物を食べ、次に禿げ頭を「おめー髪ねーんだなー。髪様なのによー」などと絡みながらぺちぺちと叩いていた。そんなとき、彼の背後に人の気配。男が振り返ると、そこに老婆が立っていた。

 彼女はこの辺りで有名な「のろいばばあ」だった。天罰と称して、人に様々な呪いをかけて回るという噂だ。ばばあはそんな男に、説教とともに呪いをかけたのだった。

「地蔵様になんと無礼な! お前を呪ってやる! 寝られないように「足以外地面に付けたら死ぬ」呪いをかけてやる! キェエエエエ!」

 こうして男は呪われたのだった。


 さらに早歩きで進んでいくと、第二関門、踏切。

 踏切には元から電車が通る線路の溝があるので転びやすい。さらに踏切が降りている間は通行不可能。運が悪いとそこで大きなタイムロスをしてしまうため、幸運も味方につける必要がある難関。果たして男は素早くここを抜けることができるのか。


「今だッ!」


 男は考えるよりも先に踏み出してしまった! 呪いの焦りがそうさせたのか、男は誰かに突き飛ばされでもしたように動き出してしまったのだ。

 だがそれが裏目に出る。カンカンという警報音が鳴り始めると、男はさらに焦ったせいか、それに気を取られてしまった。そして、その瞬間、線路の溝に足をとられてしまい……男は転倒してしまったのだ。

 一秒、二秒……うおおおおお、ここで死ねるかよお! 男は三秒以内に渾身の力で起き上がり、再び駆け出した。遮断機が下りきる前に踏み切りを横断しきることに成功したのだった。


「よっしゃ、まだ生きてるぞ、ばばあ! ざまあみやがれ!」


 と思わず雄叫びを上げる男。周囲の歩行者は突然叫びだした男に一斉に視線を向ける。何だこいついきなり叫びやがって、頭おかしいんじゃないの、という白い眼で。

 ところで、このように呪いをかけられたのは今回が初ではない。以前にも一度かけられたことがあるのだ。以前は犬が電信柱におしっこでマーキングした上から自分の小便をかけて上書きするということをやっていたのだが、そこをのろいばばあに見つかり呪われたのだった。そのとき受けた呪いは身体から小便の臭いが消えなくなるというものだった。解呪を求めてその筋で有名なおはらいじじいを探しだしたものの、夜だったのですぐには祓ってもらえず、一晩中おしっこ臭いまま過ごさなければならないという屈辱を味わったのだった。そのときの屈辱を忘れていないため、今回はより必死になっているのだろうと思われる。


 最後の関門、大きな坂道。男は慎重に駆け上がる。おはらいじじいの店はすぐそこだ。あとちょっとだと思うと男は少し気が楽になるが、そんなときが一番危ない。坂道なので転びやすい、用心するべし。だが時間ももうあまりない。あと五分を切っている。だから慎重に急ぐ必要があるのだ。

 おはらいじじいの家は住宅街から少しだけ離れた山にある。どうしてこんなところに家を建てたんだ、と男は内心毒づくが、そんなことを言っていても仕方がない。ここまで来たら前進あるのみである。

 山道に入り、未舗装の坂道を乗り越えたら、一件の家が見えてきた。木造の古めかしい家だ。それこそ、おはらいじじいの住居兼店舗である。

 店の外に一人の髪の白い男が立っている。彼がおはらいじじい。呪いを解くことができる貴重な人物だ。

 老人は、長い棒のようなものを持っている。まずい、と男は思った。その棒でシャッターを下ろすつもりだと気付いたためだ。


「おい、じじい! ……待てっ!」


 男は焦り、駆け出す。これが彼の慢心であった。

 男は駆け出した瞬間、地面をよく見ていなかった。そこには躓きの原因になりうる小さく隆起した木の根っこがあることに気付かなかったのだ。

 男は根っこに躓く。しまった、と思ったときには既に遅かった。前のめりに派手に飛び出す男。三秒間転んだままなら一貫の終わり。全ての景色がスローモーションに感じられる。ここでくたばるのか……と男は一瞬諦めかけた。

 いや、ここで死ぬわけにはいかない! 男はすぐにそう思い直す。地面に付く瞬間、両手を地面に付けた。そのまま勢いに任せて前へ転回する。


「ぐおおおおおおおおおおおおおお!」


 雄叫びを上げながら、ぐるんと空中で一回転! そして足から地面に落ち、転倒は回避された!


「おいじじい! まだ閉めるなあああああ!」


 男は走った。残り数秒で店が閉まる。タイムリミットはあとわずかだ。


「はあ? 誰じゃお前は」


 老人は走ってくる男に気が付き、シャッターを下ろそうとする手を止める。


「俺の呪いを解いてくれ!」


 男は老人の店の手前で止まり、息切れしつつも老人に懇願する。


「はぁ、もう店しめるんじゃが?」


 老人は迷惑そうに彼を見た。店を閉めたくてうずうずしているようだ。


「まだ時間になってねえだろ! ……ほら、まだ三時五十九分だ!」


 男はスマホを老人に突き出し現在時刻を見せる。老人は渋い顔をしていたが、やがて仕方がないとでもいうような感じでシャッターを閉めるのを中止し、彼を招くように手を動かす。


「ちっ、仕方ない客じゃわい。入れ」

「サンキューじじい」


 男は店へ入った。店の中は薄暗いので、足元によく気をつけながら奥へ進んだ。


「で、どんな呪いにかけられたのかね」


 老人はまるで医師の問診のように彼にたずねる。


「それはのろいばばあにかくかくしかじか」


 男は丁寧にこれまでの経緯を話す。


「なるほどそれは災難じゃったのう」

「だろ? だから呪いを解いてくれ」

「はいはい……ほじゃらぱっぱー、ほーい!」


 老人は奇妙な呪文を唱え、男に手をかざす。

 男は自分の身体から邪気が抜けていくような感覚がする。呪いが解けたのだ。


「身体が軽い! これで大丈夫だ。サンキューじじい」

「それはよかった。はいこれがお代」

「げっ、前より高くねえか」

「この呪いならこのくらいはするぞ。世の中そう甘くはないわい」

「ちっ、しかたねーな。ほらよ」


 男は代金を支払う。彼には相場がわからないのでこれが正当な対価なのかはわからなかったが、背に腹は代えられない。


「まいどあり。またこいよ」

「もう来ねーよじじいじゃあな」


 男は災難が去り、ほっとした気持ちになっていた。緊張が解かれ、そのまま浮かれた調子になって、スキップして帰りたくなってきた。


「やっほい♪」


 舗装されていない坂道にもかかわらず、片足を上げながらピョンと飛ぶ。それが運の尽きだ。

 着地の際にバランスを崩し、片足が変な方向にぐにゃりと曲がる。


「ぎゃあっ」


 そのまま勢いよく転倒し、運悪く先程躓いた木の根に頭を強く打つ。

 さらに運が悪いことに、打ちどころが悪かったらしく、男が起き上がることは二度となかったようだ。


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