抜け殻
「ねえ、お母さん。お父さんどこにいるか知らない?」
日曜日、僕は訊ねた。お父さんに質問したいことがあるのだ。お父さんはいつも忙しく働いているので、なかなか質問のチャンスがない。休日である今日こそ聞きたいことを聞く絶好の機会なのだ。
「あら、どこにもいないの? 出かけるって話も聞いてないけど……」
母は人差し指を曲げ、それを顎に当てて思い出すように言った。少し考えたあと、何か思い出したらしく、ハッとなって僕に言った。
「あっ、もしかしたらお庭にいるんじゃないかしら。芝も伸びてきたし、芝刈りの準備をしているのかも」
「そっか、わかった。ありがとうお母さん」
僕は一言お礼を言うと、サンダルをつっかけて庭へ行った。既に芝は刈られた後のようで、ぼうぼうと生えていたはずの草は短くなっていた。しかし、父の姿は見当たらない。
「あれえ、どこかな……お父さーん」
僕は父を呼んだが、返事はない。どこだろうと思って見まわすと、庭の端に何か変わったものがあるのを見つけた。
「あっ、抜け殻だ。お父さんのだ」
僕は抜け殻にさっと近づいて、よく観察した。どうやら本当に父の物のようだ。だが、別段変わったところはなく、父がこの庭にいたという証拠にしかなっていなかった。父は一体どこへ行ってしまったのだろう?
「おや、真也。いたのかい」
後ろから声をかけられた。おじいちゃんの声だ。僕は振り返った。想像通りワイシャツ姿のおじいちゃんがそこに立っていた。
「おじいちゃん。お父さん探してるんだけど、知らない?」
僕は単刀直入に言った。
「真司か。うーん、真司ならさっきここで芝刈りしとったのじゃが……どこ行ったかのう?」
おじいちゃんは額に人差し指と中指を当てて少し考えた。そのあと、何か心当たりがあったらしく、ハッとしてなって僕に言った。
「ああ、そうそう。何か足りないものがあるとか言っとったのう。たぶんホームセンターかどこかへ買いに行ったんじゃないかのう?」
「そっか、わかった。ありがとうおじいちゃん」
僕は一言お礼を言うと、庭を出てホームセンターへ向かった。ホームセンターは僕に家のすぐ近くにあるので、行くならそこに違いない。僕はサンダルなので転ばないように気をつけながら駆け出した。
「あれえ、お父さんここじゃないのかな?」
ホームセンターに来たものの、父の姿は見当たらなかった。広いので探しきれていないだけかもしれないが、僕の可能な限りは探したはずだ。もう一度探してみようと思ったそのとき、売り場の隅に変わったものがあるのを見つけた。
「あっ、あった!」
それは父の抜け殻だった。父はやはりここに来ていたのだ。しかし、他に変わったこともないので、それ以上の情報は得られなかった。
「おや、真也くんじゃないか。こんにちは」
困っている僕の後ろから声がした。振り返ると、近所に住む宮本おじさんが立っていた。
「あっ、宮本おじさん。こんにちは」
返事を返すと、おじさんはニコッと笑った。そしてそのまま僕に向かって言った。
「今日は一人でどうしたんだい?」
「あのね、お父さんを探してるんです。どこかで見かけませんでしたか?」
「おや、お父さんとはぐれたのかい? 大変だね」
「はぐれたというか、家にいなかったのでここまで探しに来たんです」
「そうかそうか。で、見かけなかったか聞いてきたんだね」
僕は黙ってうなずいた。それを見た宮本おじさんは腕を組んで少し考えだした。
「うーん……俺は見てないからなあ……。ごめん、力になれそうにないな」
「そうですか、ありがとうございました」
僕は少しがっかりしてその場を離れようとしたが、ここでまた声がした。少ししわがれた女性の声だった。
「あらー、真也ちゃんじゃないの。こんにちはー」
「あっ、こんにちは」
宮本おじさんの奥さん、すなわち宮本おばさんだった。おばさんは嬉しそうに僕に駆け寄った。
「ああ、ちょうどいいところに。なあ、この子のお父さん見かけなかったか?」
おじさんは言った。おばさんはそれを受けて左手で短く白髪の混じった自分の髪をいじりながら考えた。そしてハッと思い出したように言った。
「ああ、そういえばさっきそれらしき人を見かけたわよ。ここに来る途中でね。たしかあの道を反対側に行ってたわね。公園の方に行く道よ」
「そうですか、ありがとうございます!」
「これくらいしかわからなくてごめんねえ。それにしても真也ちゃん、お父さんとはぐれたの?」
僕は違いますとだけ言ってホームセンターを後にし、公園へ向かった。ひび割れたアスファルトにサンダルを引っかけて転ばないように気をつけながら駆けて行った。
「あれえ、ここにもいないのかな?」
公園には家族連れがポツポツいるだけで、父の姿は見当たらなかった。沢山の緑の葉をたくわえた大きな木がいくつも生えており、その上からけたたましい蝉の声が公園中に響いていた。
「お父さーん、いるー?」
僕は大声で呼んでみたが、やはり返事はなかった。困り顔で広い公園の中へ進んでいくと、何か変わったものが落ちているのを見つけた。
「あっ、やっぱりあった!」
お父さんの抜け殻だ。この公園にも来ていたのだ。しかし、やはりいつもと同じ抜け殻で、他の手がかりは無いに等しかった。
「どうしたの、君。迷子になっちゃったの?」
誰かに後ろから声をかけられた。振り向くと、そこには僕より小さい女の子を連れた女の人が立っていた。この子の母親のようだ。彼女らは家族連れで公園に遊びに来ているのだ。
「あっ、こんにちは。違います、迷子じゃありません」
僕は落ち着いた様子で言った。傍から見たらやっぱりそう見えるのだろうか。迷子扱いはちょっと心外だ。もうすぐ中学生だというのに、そんな恥ずかしいことはしない。
「でも、さっきお父さん探してたよね。お姉さんも手伝ってあげようか?」
「大丈夫です。家は近いんで。それより男の人を見ませんでしたか? こう……背が高くて……メガネかけてて……」
「うーん、ちょっと待ってね……」
お姉さんは右手を首筋に当て、少し考えた。子供も真似をして考えるふりをしていた。
「ごめんね、お姉さん知らないわ。見つけたら教えてあげるね」
「そうですか……ありがとうございます」
僕はしょんぼりしてうなだれた。一言お礼を言って立ち去ろうとしたとき、女の子が急に声を上げた。
「メガネかけたおじさん、さっき見たよ!」
「えっ、ほんと?」
僕は顔を上げて女の子の方に向き直った。
「あのねー……あの駐車場にいてね……あっち行った!」
女の子は朗らかに言った。要領を得ない説明だったが。僕にはどこへ行ったかそれだけで見当がついた。伊達にここに何年も住んではいないのだ。お父さんが行きそうなところといえば……。
「ありがとう! 探してみるよ」
僕は小さな女の子にお礼を言った。
「今のでわかったの?」
お姉さんは不思議そうな顔で訊ねたが、そこにもう僕の姿はなく、その場所に向かって駆け出していた。
「あれー、本当にどこへ行っちゃったんだろう……」
僕は本屋にいた。父はよく本屋へ行く。本屋だったら一日中居ても飽きない、と豪語するほどの本好きだ。ちょうど女の子の言った方角に本屋があるので、ここに目星をつけていたのだが、当てが外れたためかお父さんの姿はなかった。
大声で父の名前を呼びたかったが、流石にお店の中なので自重した。僕はそのくらいの分別が付くくらいの年齢なのだ。ちゃんとマナーくらいわきまえている。
僕は店内をウロウロして父を探した。父は見つからなかったが、雑誌のコーナーの前に何か変わったものが落ちているのを見つけた。
「あった、抜け殻だ」
僕の読みは当たっていて、ちゃんと抜け殻がそこに放置されていた。それを少しの間眺めていたが、やっぱり何も変哲のない抜け殻で、父の行方はわからなかった。
「それ、君の? 困るよ、店にそんなものを置いていっちゃ」
後ろから声がした。振り返ると、この店の店長がそこに立っていた。
「あっ、ごめんなさ……いえ、僕のじゃありません」
僕は慌てて弁解した。これは父のものではあるけど、僕のものではないのは確かだ。僕はいきなり犯人扱いされたことに少し腹が立った。
「あー、そう。君は勝手にそういうの捨てていかないようにね。それじゃ、どいて、片付けるから」
店長は面倒くさそうに僕を押しのけようとした。きっとこうやって物を放置されることが多くて店からしたら心底うんざりしているのだろう。でも、だからって僕にその不機嫌さをぶつけないでもらいたい。
「あの、少し待ってください。聞きたいことがあります」
僕は店長に訊ねた。いくら不機嫌だからといって、彼は父を見かけたかもしれない貴重な情報源だ。とりあえず聞いておかなければ話が進まない。
「ん? なんだね?」
店長はぶっきらぼうに言った。そして僕を睨みつけるような視線を向けた。
「その……抜け殻を置いてった人のこと、見てませんか? 僕のお父さんなのですが」
「は? 君のお父さんか。ったく、だったらお父さんに行っといてくれ。店を汚すな、って」
「わかりました。それで、どこに行ったかわかりませんか?」
「ああ、ちょっと待てよ。今思い出すから」
店長は禿げた頭をポリポリ掻いて考えた。そして思い出したようにハッとなった。
「ああ、あの客だな。今度会ったらシめてやる。あれは店を出てな……おそらく店の出口から見て右側へ行った。右ってわかるか、君」
「そのくらいわかります」
「そうかい。でもその先は俺は知らねえ。自分の親くらい自分で探せよ」
「ありがとうございました」
僕は店長にお辞儀をして、静かにその場を立ち去った。
「あっ、あった」
家の前に戻った。さっきの道は家へ戻る道だった。そして帰ってきたとき、玄関の前に何か変わったものを見出した。父の抜け殻だ。
「ということはもう帰ってたんだ。なんで探し回ってたんだろう」
僕は一瞬冷静になり、今までの苦労は何だったのかと考えたが、そんなことよりお父さんに会おうと気持ちを切り替えて玄関を開け、家に入り、サンダルを脱いで居間に向かった。居間に入ると、お父さんが食卓についてコーヒーを飲んでいた。
「お帰り、真也。どこへ行ってたんだ?」
お父さんの言葉を聞いて僕は一気に疲れが出た
気がした。お父さんを探しに歩き回ったのに、そんなことは露知らず、彼は言うのだ。
「ただいま……お父さんこそ何してたの」
僕はぐったりしながら訊いた。お父さんは笑って答えた。
「ちょっと気晴らしの散歩だよ。それより、お母さんは一緒じゃないのか」
「あれ、今いないの?」
「知らないか……てっきり一緒に出かけたものと思ったんだけどな」
「出かけてないよ。出かけるって話も聞いてないし」
「そっか。まあそのうち帰ってくるか。ちょっとお母さんに聞きたいことがあったんだけどな」
僕は気になって、お父さんへ質問するよりも前に家の中を探し回った。どこにも母の姿はなく、本当にどこかへ出かけた様子だ。僕はキッチンに向かった。母の姿はやはりなかった。しかし、そこに何か変わったものが落ちているのを見つけた。母の抜け殻だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます