お客様は死神です

「らしゃっせー……。あいー。584円になりゃーす……あざっしたー」


 ダラダラとしまりのない会計をする若い男性店員。ここは深夜のコンビニ。客が少ない時間帯で、それに比例して店員のやる気もあまりない。客は客で、無言で眠たそうにお釣りを受け取り、品物の入ったビニール袋を提げてよろよろと店を去っていった。店員はその様子をボーっと見送った。姿が見えなくなると、一つ大きなあくびをした。そして、また静かで退屈な時間が訪れた。ときどき近くの道路を自動車が通過する音がした。

 今の店には人がいない。店員も彼一人だけだ。接客の必要がない時間だ。誰もいないからサボってもバレない、と思いきや、監視カメラで店内の様子が常に撮影されているのでサボることはできない。そんなことをしたら後で店長に何を言われるかわかったものじゃない。とはいえ、このときの店員は眠気でそこまで頭が回らなかった。商品棚を整理するとか店内を掃除するとかいう積極的な仕事をせず、彼はただレジでボーっと虚空を見つめているだけだった。


 そこへ、一台の自動車が駐車場にやってきた。自動車のヘッドライトに照らされ、外の世界がにわかに明るくなる。車が停車すると、すぐにその明かりを消え、再び暗黒の世界に戻った。

 店員は、眠いなりに姿勢を正した。流石に客の前でサボるわけにはいかないという心理が働いたためだ。眠くても、それくらいは頭が回る。

 ガラス張りの扉の向こうにグレーのスーツを着た客の姿が見えた。扉は自動で開き、男が店の中に入ってきた。


「らっしゃっせー」


 店員は挨拶をした。だらしない挨拶ではあったが、今の彼にとっては最高の挨拶のつもりだった。

 客は眉間に皺を寄せた険しい表情をした初老の男だった。髪は白く、黒縁の四角い眼鏡をかけている。

 男性客はその難しそうな顔のまま、店の奥へ歩き商品を物色し始めた。

 店員は、その客を眺めながら、仕事と関係のないことをボーっと考えていた。

 店内には、客の革靴のコツコツという音と、商品に触れるときのガサゴソという音だけがこだましていた。普段は営業中にBGMを流すのだが、店員は忘れておりそれに気付いていなかった。


 そうしているうちに、もう一人客が入って来た。自動扉が開く音がしたので、店員は気付いて入り口に目を向けた。

 新しい客は黒いトレンチコートに黒いズボン、そして黒い中折れ帽を深々と被った全身黒ずくめの男だ。そして、痩せ型で身長は非常に高く、日本人離れしている。

 店員は、その姿を見て怯えた。まるで威圧感の塊のような姿だ。きっと自分たちの住む世界の人間ではない、と彼は思った。きっとカタギではなく、闇の世界の人間なのだろうと想像した。刃のように鋭く冷たい雰囲気。下手に接すると殺されてしまいそうで、内心気が気でない。

 意外にも、黒い男はそのまま雑誌コーナーへ行き、立ち読みを始めた。店員はとりあえずほっとした。少なくとも、すぐその場で強盗に遭うような危険なことはなかった。それはそうだ、ああいう恰好をしているからといってその筋の人間とは限らないし、もしそうであっても積極的に面倒事を起こしたがるような愚かな人は一握りだろう。少し考えればわかることだ。店員の肩の力が少し緩んだ。


 やがて、先ほどの初老の男がレジにやってきた。缶ビールを数本とおつまみの菓子類を両手にかかえていた。初老の男はレジに品物を置き、尻ポケットから財布を取り出した。

「あざーす」

 店員はだるそうに商品のバーコードを読み取った。彼の眠気はピークを迎えようとしていた。黒い男が離れてほっとしたときを境に一気に気が緩んだためだ。

 店員はあくびをしたいのをこらえつつ、レジを叩く。


「あい、年齢確認、おなしゃーす」


 レジのモニターに「あなたは20歳以上ですか?」という文字が表示されていた。酒類は購入の際、必ず年齢確認をする決まりになっていた。店員はその下に書かれてある、はい、いいえのどちらかのボタンをタッチするように促した。

 そのときの口調はあまりやる気があるようには見えなかった。眠気のあまり、口が回っていない。それでも、一応伝わるはずなので問題はあるまい……と彼の疲れた頭は考えていた。


 しかし、初老の客の険しい顔は一層険しくなり、明らかに不機嫌になった。そして、店員に向かって大声で怒鳴り始めた。


「おい、俺がそんな若造に見えると思うのか! えぇ?」


 店員は驚いて、立ちすくんだ。ピークを迎えていた眠気も一気に吹っ飛んだ。彼は思わず小さな声で「ひっ」と漏らした。


「き……決まりですので……」


 店員はおずおずと答えた。


「俺は押さんぞ!」


 男はバン、と掌でカウンターを強く叩き、大声で叫んだ。店員はますますひるんで身をすくめた。


「で、ですが……押していただかないとお渡しするわけには……」


「絶対に押さんぞ!」


「で……ではお酒は……」


「俺には売れないっていうのか!」


「す、すみません! しかし……」


「まったく……最近の若者は融通も利かせられないのか……」


 初老の男は呆れた様子でぶつぶつと呟き始めた。若い店員は困惑して、おろおろと左右を見渡していた。


 この店員は一人でこのようなトラブルを解決したことがない。以前遭遇したことはあったが、そのときは先輩がスマートに対応してくれた。だが、今は彼一人だけだ。頼れる人は他に居ない。どうしようどうしよう、という思いが彼の頭の中をぐるぐるしていた。

 やがてしびれを切らした男が、財布から五千円札を出してカウンターに叩きつけた。


「ほら、金だ! 釣りはいらん! いいか、お前みたいな若造に一つ教えといてやる」


 静かな深夜のコンビニに男の怒声が響く。店員はもう泣きそうな表情をしていた。


「お客様はなあ、神様なんだ。店員は神様の言うことを何でも聞かなきゃいかん。逆らってはいかんのだ! だから本来なら、お前は俺の言うことに従わなきゃいかん。素直に会計だけしていればよいのだ!」


「は……はい……申し訳……ありません……」


 店員は初老の男に気圧され、わなわなと声を震わせてそう言った。そして、金を受け取ろうと手を伸ばした。


 そのとき、初老の男の後ろに黒い影があるのに店員は気付いた。ついさっきまで雑誌を立ち読みしていた、黒ずくめの男だった。黒ずくめの男は初老の男の肩を掴んで、低く重い声で囁いた。


「ほう、随分とエラそうじゃないか……?」


 背の高いその男は、押しつぶすような目で初老の男を見下ろしていた。


「な、なんだね君は……」


 初老の男はゆっくりと後ろを振り返って言った。さきほど店員に説教していたときの威勢はすっかり消え、緊張した面持ちになっていた。


「通りすがりの“死神”だよ、神様」


 初老の男はその凄みの利いた声にひるんでいた。彼の額にはじんわりと汗が滲んでいた。


「お、俺はこれで失礼する……が、頑張れよ店員」


「まあ待て」


 “死神”と名乗る男は肩を掴む手の力を強め、立ち去ろうとする初老の男を無理矢理制止させた。そして、コートの隙間からもう一方の手を突っ込み、話を続ける。


「あんたが神様というなら、ひとつ試したいことがあるんだ。ちょっと付き合ってくれないか?」


「な、何を……?」


 初老の男の頬を汗が伝う。彼は心底怯えた表情をしていた。


「簡単なことだ。あんたはそこに立っているだけでいい」


 “死神”はそう言うと、懐に入れていた手を引き抜き、拳銃を初老の男に突きつけた。


「こうするのだよ」


 死神がそう言うと同時に、銃口に閃光が走る。バン、という音が鳴る。

 初老の男は、ビクンと跳ねたかと思うと、その場に崩れ落ちた。

 あたりに火薬の臭いが立ち込める。もう怒鳴り声は、聞こえない。


「おや、おかしいな。“神様”なら銃で撃っても死なないと思ったんだが……見当外れだったか」


 “死神”は拳銃を懐にしまうと、そのまま何事もなかったかのように店を出て行った。


 店員はただ茫然とレジに立ち、虚空を見つめていた。

 商品の雑誌が一冊無くなっていたことに、彼は最後まで気が付かなかった。

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