便意軍 VS 肛門防衛隊

 俺は絶対負けん。負けるわけにはいかない。負けると人としての尊厳を失うことになる。だから俺は絶対に漏らさない。

 今、俺の肛門で便意と括約筋がせめぎ合っている。便は肛門という風穴をどうにかしてこじ開けようと躍起になり、括約筋はそれを必死に阻止している。俺としては括約筋を応援したい。もしここで開門しようものなら、俺は公衆の面前で悪臭と痴態をまき散らす羽目になってしまうためだ。

 しかし、戦況は芳しくない。今は便意軍のほうがやや優勢と言える。今日の俺の腸内環境はすこぶる悪く、少し前から彼らの尖兵たる屁どもと共に便が肛門へ激しい攻撃を続けているのだ。


 最初は屁だけが肛門に押し寄せていた。奴らは俺の肛門を開かせるためにじわじわと攻撃していたのだが、肛門防衛部隊にも意地がある。このくらいの攻撃では彼らは敗れない。精強な肛門防衛部隊は奴らの侵攻を全て防ぎ続けていた。だから俺は彼らに頭が上がらない。たとえ屁といえども、公の場で奴ら侵攻を許してしまえばたちまち騒ぎとなる。それがバレてしまえば、俺の面子も丸つぶれ。彼らのおかげで俺の人としての尊厳も保たれていると思うと、感謝してもしきれない。

 奴らの攻撃は数回の波に分けて行われた。第一次、第二次、第三次と、彼らはそれらを全て防ぎぎって見せた。しかし、戦闘を重ねるにつれて腸は荒れ、俺の腹は痛んだ。そして、次第に肛門防衛部隊も疲弊していくのが感じられた。これが便意軍の作戦だったのだ。


 肛門括約筋が疲れ切ったところに、屁どものボス、便意軍の将である便が現れた。今日の便はかなりの強敵で、かなりのサイズの重戦車だ。いくら防衛部隊といえども、便の攻撃を受けて防ぎきれるかどうかわからないくらいだ。しかも、今の防衛部隊は疲弊しきってボロボロの状態。まず雑魚である屁を大量に送り込み人海戦術、いや、屁海戦術で弱らせてから切り札である便で一気に勝負をつけるつもりだ。はたして便の攻撃により、肛門防衛部隊は絶体絶命のピンチ。負けるわけにはいかない防衛部隊も必死に抵抗をする。肛門前は激戦区と化している。


 肛門の主である俺が取れる行動、それは一刻も早くトイレに駆け込むことだった。防衛部隊の勝利条件、それは俺がズボンとパンツを下ろして便器の上に座るまで便意軍の攻撃を防衛すること。それ意外の勝利条件はありえない。防衛部隊は防衛に特化しており、便を打ち倒す力は持っていないのだ。だから、俺が行動しなければ彼らの勝利はあり得ない。いくら優秀な部隊であろうと永遠に攻撃を防ぎ続けることなどできない。彼らの敗北は俺の敗北でもある。絶対に阻止しなければならない。負けないうちにトイレを見つけなければならないのだ。

 しかし、俺が今いるのは電車の中。困ったことに、この電車にはトイレがついていない。用を足すことが不可能な状況だ。だが、これは緊急事態だ。目的の駅までは少し早いが、次の駅で一旦降りて、トイレを探そう。


 次の駅への到着を待つこの時間は、俺にとって永遠にも感じられるほど長かった。早く、早く。こうしているうちにも、肛門では門を破壊するために便が砲弾を撃ち続けているのだ。防衛部隊が壊滅するまえに、早く。はやる気持ちをよそに、左から右へゆっくりと流れる外の景色。俺は祈るような気持ちでそれを眺めた。

 やがて、電車が止まった。俺は一瞬、ついに駅についたのか、と希望を持ちぬか喜びしたが、冷静に考えてみると景色がおかしい。あきらかに駅のホームが見えないのだ。


「えー、ただいま人身事故の影響で停車しております……」


 車掌のアナウンスの声だ。俺のかすかな希望が絶望へと変貌する瞬間だった。まさか、こんなことってないよ。肛門防衛部隊と俺の面子も終わりか。もういっそここで負けを認めて漏らしてしまおうか。そのほうがきっと楽だ。俺は防衛部隊に停船命令を出しかけた。

 いいやダメだ、と防衛部隊は言う。まだ諦めちゃいけない、戦いは終っていないんだ! 諦めの悪い肛門括約筋だ。だが、まだ活路はある。これは俺だけでなく、防衛部隊も含めた戦いだ。俺がと肛門括約筋は一蓮托生。諦めは彼らの顔にも糞を、じゃなくて泥を塗ることになるのだ。俺としたことが、危うく全てを台無しにするところだった。


「あの、ちょっといいですか」


 俺はなんとか車掌を見つけ出して話しかけた。車掌は俺の苦悶に歪んだ表情を見て慌てて言った。


「ど、どうされました? 具合でも悪いのですか」


「あの、トイレ、行きたいんですが……」


 俺は痛む腹と尻を手で押さえて言った。車掌は困ったような表情で答えた。

「うーん……我慢、できませんか……?」


「限界です」


「限界ですか……うーむ、ちょっと聞いてきます、少々お待ちください」


 早くしてくれ。こちとら一分一秒が惜しいんだよ! 幸い、車掌はすぐに戻ってきた。


「お待たせいたしました。今聞いてきたのですが、この車内にトイレはありませんので、次の駅で降りていただいて、そこでしてもらうことになりますが」


「でも止まってるじゃないですか! じゃあ次の駅まで動かしてくださいよ!」


 俺は必死に声を絞り出した。


「落ち着いてください。今すぐに動かすことはできません。動かすのに結構時間がかかる見込みです。ですが、次の駅まで距離はそう離れていないので、ここから降りて歩いて行ってもらうことになります。線路の脇を通ることになりますが、今この区間の電車は全て止まっているので大丈夫だと思います」


「わかりました、わかりました! とにかくトイレに行かせてください!」


 もはや手段を選んでいる余裕はない。俺は二つ返事でその案に承諾し、扉を開けてもらって線路に降りた。


 線路は道が悪かった。普通は人が歩く場所ではないので仕方がないが、悪路を歩くときの振動が尻に響く。まるで便意軍の侵攻を手助けしているかのようだが、これは便意軍に勝利するために必要不可欠なこと。全ては勝利のために、我々の面子のために。

 艱難辛苦を乗り越えて、やっと見えてきた駅のホーム。人身事故のため駅には人が溜まっており、簡単には通してくれそうもない。俺はそこによじ登る。人々が驚いた顔をして俺を見ていたが、かまうことはない。俺の肛門という城砦はレッドアラートを発している。他人にどう思われるかなんて、漏らすことに比べれば軽いもの。俺は人混みをかき分け、急ぎ足でトイレを捜索する。

 俺はトイレのマークがついた看板をようやく発見した。


「やった、これで我が部隊の勝利だ!」


 肛門防衛部隊が勝鬨を上げる。だが、まだだ、まだ終わっちゃいない。便座に座るまでが戦いなのだ。俺は肛門部隊をいさめる。事実、勝利というにはまだ危うい状態だ。部隊の防衛力は限界に限界を重ね、便意軍に王手をかけられている。もう一発大きな攻撃を受ければ確実に詰みだ。


 俺は両手で腹を抑えながらゆらゆらとトイレに近づく。混んでいるにも関わらず、男子トイレは誰も並んでいない。一方、女子トイレは少し行列ができていた。やった、今度こそ我々の勝利だ! 俺が男でよかった! 俺の歪んでいた表情は明るくなった。

 俺は嬉々としてトイレの入り口をくぐる。何人かが小便器に向かっている。今用があるのはこっちではない。俺は大便器のある扉の方を向いた。俺の表情は再び暗黒に包まれた。

 二つある便器には、両方とも鍵がかかっていた。誰かが入っていて、空いていない。なんということだ……。


 便意軍は最後の砲撃を肛門に撃ち込む。城砦はむなしくも陥落、その門扉はあえなく開き、便の侵攻を許した。あたりにそれを証明するいやな臭いが充満する。俺は脱力し、その場でへたり込む。この瞬間、我々の敗北が決まったのだった。

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