第5話 エセ占い師
「――こんなときばっかり頼ってすいません、伯父さん」
「いやいや、それも忘れられてないってことだから嬉しいよ。困ったときは、いつでも頼ってくれて構わないんだよ」
あの部屋を借りることに決めたものの、そうなると保証人が必要なのは常識。
そして保証人は血縁関係にないと、入居審査ではねられることも珍しくない。
両親に頼めない俺にとって、こんなときに頼ってしまうのがこの伯父だ。
「お金には困ってないかい? 就職する気なら、いつでも面倒みるから」
「大丈夫です。なんとかやっていけてますんで」
「ちゃんと栄養は取ってるかい? 身体に異変はないかい? おかしなことがあったら、必ず相談するんだよ」
『目を合わせると、相手の記憶が見えるようになりました』
言えるわけがない、そんなこと……。
父が生きていた頃から世話になり通しで、頭が上がらない伯父。煩わしすぎるのが玉にキズ。
こうなることは予想がついたので、できれば顔は合わせたくなかった。
しかし「顔を見せないとハンコは押さないよ」と言われては、従うよりほかない。だがこれも、普段から心配を掛けているのが原因だろう。自業自得だ。
「これがハンコだが、押してもらっていいかい? なにぶん、目が悪いから」
「わかってます、大丈夫ですよ。押させてもらいますね」
ハンコを預かり、保証人欄に押印する。
幼い頃から、視覚に障害を抱えているという伯父。なので俺は、医療用サングラスをかけている姿しか知らない。
「まさかお前、まだおかしなこと考えちゃいないよな?」
「やだな伯父さん、それは昔のことですって」
「お父さんの死を怪しんだところで、もう帰ってはこないんだからな。それよりも、ちゃんと前を見て生きるんだぞ」
「わかってますって。そろそろ駅に向かわないと電車に乗り遅れちゃうんで、慌ただしくてすいませんが失礼しますよ」
不動産屋で申込書類を受け取って、ここまで大急ぎでやって来た。
そして今度はとんぼ返り。またしても、電車を乗り継いで一時間半の旅か。
だがこの分なら、今日中に入居に必要な書類も提出できるだろう。
唯子は不在だったが、契約手続きは何とか間に合った。
しかし、鍵の引き渡しは明日の夕方。
となると、今日もどこかで一夜を過ごさなければならないが、わざわざシティーホテルのあるようなターミナル駅まで移動するのも煩わしい。
まあ、今夜もネットカフェでいいか……。
ぼんやりとそんなことを考えていると、目の前に貧相な若いサラリーマン風の男が腰掛ける。ああ、そういえば商売中だったっけ……。と、サングラスを外して応対する。
「お願いします。実は……」
「――取引先との商談が不調に終わって、落ち込んでおられるようですね」
「え!? ど、どうしてそれを……」
この男と目を合わせて最初に見えたのが、そんな場面だった。
占いに頼るとき、人は大抵弱気になっているものだが、この男にとっては商談の失敗がその要因なのだろう。
それにしても、この見るからに冴えない風体の男からは、何の旨味も感じ取れない。ひと目合わせただけで、本気を出すまでもないと判断できる。
たぶん今の一言で、この男の心も掴めたはず。
これ以上、疲労を伴う能力を使うまでもない。そっとサングラスをかけ直す。
「今までにも、仕事で何度か大きなミスをしているようです」
「え、ええ……、その通りです……」
「このまま今の仕事を続けていていいのだろうかと、疑問に思うこともあるようですね」
「はい……」
弱気になるような言葉を、冷ややかな口調で並べ立てる。
しかもそれが的中しているのだから、男は深みに
煽る。
さらに煽る。
男の表情が思い詰めていく。
そこへトーンを緩めて、優しく声をかける。
「なるほど、これまでのご苦労わかりますよ。ちょっと占ってもらおうかという気持ちが沸いても、不思議はないですね」
弱気に拍車がかかっているところに、ホッとするような救済の言葉。
落としておいて持ち上げる。
同情。
いたわり。
そんな慰めに男の表情が緩む。
「では今日は、このまま仕事を続けるべきかどうか、道を示せばよろしいですか?」
「はい、お願いします」
さて、ここからが本番。
目を閉じて集中力を高める……、振りをする。
それっぽい演技。
目を閉じたまま、おぼろげに見えているものを手繰り寄せているような口調で、ゆっくりと語り始める。
「学生時代に……、うーん、何か……芸術関係に励まれていましたね……」
「え、ええ、確かにやってました。高校から大学にかけて五年間、バンドを」
ゆっくりと目を開くと、期待に目を輝かせる男の顔。
まだ、未練があるのだろうか。
背中を一押ししてやるだけで、楽器屋に駆け込みそうなほどの雰囲気。
「しかし……こちらは、趣味として続けるのがいいでしょう。その他には今のところ、選択肢となる道はないようです」
「そうですか……」
男は、がっかりした様子で肩を落とす。
だが、その表情は苦笑い。
『やっぱりな』と納得した様子。
「ですが……、今の道の先に何か明るいものを感じます。めげずに今の仕事を続けていれば、きっと良いことがあると思われますよ」
「そうですか! ありがとうございます」
男は深々と頭を下げると、財布から千円札を三枚取り出し、机の上に置いた。
立ち去る男の後姿は背筋も伸び、足取りも軽そうに見える。
目の前に腰掛けた時は自信なさげな表情だったが、少しは活力が沸いてきたのだろうか。
机の上の三千円を財布にしまいながら、心の中で呟く。
(――チョロいな……)
絵に描いたような、一丁上がりの図。
エセ占い師の技量はどれだけ未来を当てられるかではなく、どれだけ短時間で信頼を勝ち取ることができるかだ。
言い当てれば信頼度は上がる。
『仕事で何度か大きなミスをしている』、『今の仕事を続けていいのかと疑問に思う』。そんな言葉が当てはまらないサラリーマンなど、まずいない。
『学生時代』なんて、小学校から大学まで何年間あることか。『芸術関係』だって絵、写真、音楽、文学、と様々。あの貧相な体格なら、きっと文科系という想像もつく。
そんな曖昧な言葉の数々と、巧みな口調で相手のペースを操って、信頼を勝ち取ってしまえばこっちのものだ。
そして最後の言葉、『きっと良いことがある』。この先、なんかしらの良いことは訪れるに決まっている、大小は別として。
嘘もついていない。
これにてエセ占い師としての一仕事は完了。
そう、これが俺のもう一つの姿。
しばらく次の客を待ってみたものの、現れる気配はない。
黙って座っていると、容赦なく睡魔が襲ってくる。
無理もない。今日は高校生二人と唯子に力を使った上に、部屋探しまでこなした。今日は早めに店じまいにするか……。
ネットカフェに向かう道すがら、風情のあるイタリア料理の店を発見。
この街に似つかわしくない、高級そうなたたずまい。
この街での門出に乾杯と洒落こむか。
「ひょっとして、最近この先にお店を出してる占いの方ですか?」
「え、ええ。まあ……」
オーダーを取りにきた店員に、思いがけない言葉をかけられる。
だがここで、得意気に講釈を垂れたところで、食事にありつくのが遅くなるだけ。適当に相槌を打つ。
それに、さっきのように気乗りがしなければ、ただの占い師として振る舞うのだから、わざわざ否定する必要もない。
「じゃあ、今度占ってもらっちゃおっかなー」
「やめておいた方がいいですよ」
「えー、ひょっとして、当てる自信がないとかですかあ?」
「いえ……当てますよ。でも――」
なかなか失礼な言葉だが、そんなことでは腹は立たない
だが、いつまで経ってもオーダーを取る気配のなさに苛立つ。
メニューをパタンと閉じ、やや上目遣いに睨みつける。
「――人生の決断を他人に委ねてたら、足をすくわれるよ」
腹は膨れた。満腹だ。
味はと言えば、可もなく、不可もなく。
「八千六百四十円になります」
コースだったし、こんなものか。
そういえば今朝巻き上げた財布があったなと、懐から取り出す。
(嘘だろ……小学生かよ……)
開いた財布に入っていたのは、千円札一枚きり。
ため息をつきながら、もう一つの財布を取り出す。
(お前もかよ……)
こちらは千円札が二枚。
思わず目を覆う。
同情を禁じ得ない。
さっき稼いだ三千円を足したところで、それでも足りない……。
しわくちゃ顔の福沢諭吉に別れを告げた。
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