第5話 後任の男

 看護師長は唯子に任せ、何とかピンチは切り抜けた。

 だが、新たな問題勃発。それは、完全に助手になったつもりでいる唯子。

 でもまあ、そんなことは些細な問題か。

 ひとまず逃げ込んだデイルームで、紙パックのジュースを片手に一息つく。


 さて、次は誰を探るべきか。

 老女から出たのは看護師長以外だと、院長、副院長、そして事務。事務は特定できないから、順序的に副院長だろうか。では、どこで接触するか。駐車場、副院長室、それとも……。

 スマートフォンで病院のウェブサイトを眺めていると、館内放送が流れてきた。


『ただいまより部長回診がありますので、入院中の皆様は病室にて待機をお願いいたします。また診察中、面会の方は廊下でお待ちください』


 外科部長といえば剣持の元々の役職。後任も一枚かんでいる可能性は充分だ。

 廊下に目を向けると、こちらに向かってくる三人の医師と二人の看護師。

 その先頭を歩くのは、さっきの看護師長の記憶で見た、薬を手渡した男。

 デイルームの椅子からおもむろに立ち上がると、ゆっくりと廊下に歩み出る。

 そして行く手を阻むように、目の前に立ちはだかる。


「ちょっと、通してもらえないか。これから回診なんだが」


 迷惑そうな表情で睨みつける外科部長。

 サングラスを外し、逆に睨み返して言葉をかける。


「剣持先生のことで、お伺いしたいことがあるんですがね……」

「後にしてくれ。今は回診中だ」


 あっさりと蘇らせる記憶。なるほど、こいつも上からの指示で動いていたのか。

 その男は副院長。ウェブサイトで顔を確認したばっかりだ。

 俺は勝負に出ることにした。

 ネクタイを掴み、引き寄せると、耳元で囁く。


「……看護師長に薬を渡したのはわかってる。それでも回診がしたいっていうなら、どうぞしてくれ。最後の回診になるかもしれないけどな……」


 みるみる青ざめる外科部長。

 取り巻きの医師たちも、不穏な空気に慌てて寄り添う。


「大丈夫ですか? 部長」

「おい、君。一体何をしたんだ」

「い、いや、いい。いいんだ……。それより、ちょっと体調がすぐれない。回診は取り止めてもらっていいか?」


 簡単に乗ってきた。

 今でも相当に引きずっているのだろう。

 当たり前だ、人の命がそんなに軽いはずがない。


「どこか、ゆっくりとお話ができるところはないですかね?」

「わ、わかった。こちらへ……。君たちは、後のことを頼む」

「わかりました……」

「お気をつけて……」


 取り巻きの医師たちは、心配そうにいつまでもこちらを見送っている。

 そして、顔面蒼白の外科部長に案内された部屋はカウンセリングルーム。きっと防音だろうが、監視カメラがついている。下手なことはできないか。


「さっそくですが……、やりましたよね? 二年前に」

「い、いや、やってない。僕はやってない」

「そういうのやめましょうよ。直接手を下してないからやってない……なんて、通るわけないでしょう?」

「…………」

「副院長、いや当時の内科部長から受け取った薬を、看護師長に渡しましたよね?」

「…………」


 押し黙る外科部長。

 きつく結ばれた口。

 開けるはずがない、認めれば間違いなく殺人の共犯だ。

 だがこのままでは、永遠に沈黙が続きかねない。

 当初の目的通り、取り引きに持ち込む。


「俺はね、主犯を懲らしめてやろうと思ってるだけなんですよ。このネタ突き付けて、金をふんだくってやろうってね。そのためにも、事件の全容を教えちゃくれませんかね? そうすれば、俺は警察にチクったりしませんよ」

「…………」

「むしろ警察に駆け込んだら、せっかくの美味しい稼ぎがパーになる。金だって主犯からガッポリいただく予定ですから、あんたには何も要求しませんよ」

「ほ、本当に?」


 どうやら心が動きつつあるらしい。もう一押しか。

 ちらつく外科部長の記憶から、主犯が今の副院長だということはほぼ明らか。

 しかし、今欲しいのは決定的な証言。

 脳裏に映る映像だけでは、詳細を知るには不十分だ。


「ええ、ですから悪い話じゃないでしょう? それに主犯のことだって、俺は警察に話すつもりはありませんよ。お約束します。だって話せば、強請ゆすった俺まで捕まっちゃいますからね」

「わ、わかった。話す…………」


(ふっ、チョロいな……)


 折れた。

 あまりにもあっさりと。

 そして淡々と語られる、事件の全容。

 悪魔の計画。


「当時の内科部長が計画を練ったんだ。院長と外科部長を同時に追い出そうと。剣持先生の手術を失敗させて、責任を取らせるつもりだった」

「何も、殺すことはなかったでしょう」

「ち、違うんだ。そんなつもりはなかった。信じてくれ。渡された薬の分量なら、死に至るはずはなかった。きっと、処置を誤ったか、想定外のショック症状が出たか――」

「でも、殺した。手を貸さなければ、そんなことにはならなかったはずでしょ?」

「脅されていて、仕方がなかったんだ……。弱みを握られていて、やらなければ医者を辞めるしかなくて……」


 加害者のくせに被害者面。挙句の果てに、自分の行動を正当化し始めた。

 『仕方がない』。なんとも醜悪な言い訳だ。


「まあそれも、とやかくいうつもりはありませんよ。続けてください」

「そして、広報課と繋がりのあった雑誌社にネタを売り込んで、騒ぎを大きくした。あとは会議で、二人とも責任を取らせるつもりだったんだ。元院長の一声で剣持先生は残ったが、それも今の副院長の嫌がらせで辞めていった」

「なるほどね。お疲れ様でした」

「これで、これで許してくれるのか? 本当に、本当に黙っててくれるんだな?」


 涙ながらに懇願する外科部長。

 自分のしたことを棚の上にあげて、要求だけは一人前。

 しかもこれで許されようなんて、あまりにも虫の良すぎる話だ。


「あんたの仕出かしたことが、許されるわけないでしょ。ですが、約束は守ります。これ以上の要求はしませんし、警察にも言いませんよ」

「そ、そうか。ありがとう。ありがとう」

「こちらこそ、ご協力感謝します。それじゃ」


 机に、両手をつき額を擦り付けるほど頭を下げ、外科部長は感謝の言葉を述べる。

 だが礼には及ばない。入手した情報をネタに、仕上げにかからなくては。

 そっと胸のポケットに手を伸ばし、ボイスレコーダーの録音を停止。カウンセリングルームを後にして、サングラスをかけ直す。




(――約束だけはちゃんと守ってやるよ。外科部長さん……)

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