第2話 出店を阻む男

『ただいまー』


 玄関に腰を下ろし、靴を脱ぐ。

 そして居間へと向かいながら、学ランの金ボタンを手際よく片手で外していく。

 タイミングを計っているわけではないが、いつも居間の扉に手が掛かる頃に最後のボタンが外し終わる。


『ただいまー。母さんいないのー?』


 普通なら帰ってきたことに気付いて、母から一声ぐらい掛かってもおかしくない。返事がないということは、出掛けているのだろうか。

 だが、居間のドアを開けるなり目に飛び込んできた、背筋が凍る光景。


 ――首をくくった父の無残な姿。


 そしてすぐ横では、スーパーの買い物をぶちまけ、母がうつぶせに倒れていた。


『父さん! 母さん!』


 天井からぶら下がる父の姿を見上げたが、既に事切れているのは明らか。あまりの凄惨さに、すぐに目を背けた。

 そしてまだ息のある母を抱き起こし、身体を揺さぶりながら声を掛け続けた。


『母さん! 母さん! どうしたの? 何があったの?』


 気を失っていたらしく、やがて目を開く母。

 そして母親も父親を一瞥したが、すぐに目を伏せた。


『朝から出かけてて、帰ってきたら……こんなことに……』

『どうしたの! 一体何があったの? 教えてよ!』


 抱きかかえながら、母の怯える目を見つめる。

 母もまた、すがりつくように見つめ返していた。

 そして次の瞬間に起こった、信じられない出来事。

 映し出されていく父の思い出の数々。これは母の記憶だ、そう直感した。


 ――それが、初めて他人の記憶が映し出された瞬間だった。




 スイートルームだというのに最悪の寝起き。

 ベッドの感触は最上級だ。にもかかわらず、一番見たくない夢をみるなんて……。

 唯子の記憶といい、昨夜といい、立て続けに自殺なんて見たせいかもしれない。

 この夢の出来事に比べれば、昨夜の光景は大したことはない。見たといっても、彼女が電車と接触したのはホームより下。決定的なところは目撃していないからだ。

 それに、昨夜の彼女は赤の他人。実の父のあの姿に比べれば、精神的苦痛もないに等しい。


 軽く伸びをしながらベッドから滑り降りると、ドアの下には新聞が。

 さすがスイートルームだと感心し、手に取って広げてみる。


 【あざみ台駅で人身事故 帰宅客長時間足止め】

 『昨夜午後九時頃、あざみ台駅において女性会社員が、上り特急列車にはねられ、全身を強く打って死亡した。遺書らしきものは見つかっていないが、現場の状況から飛び込み自殺の可能性が高いとみて調べている』


 地方版に見出し付きで、昨夜の出来事が書かれている。

 『全身を強く打って死亡』。要するに原形をとどめないほど、無残な姿ということか。やはり、惨事が視界に入らなくて良かった。

 それにしても、遺書はないのか。だが、自ら駆け出していって飛び込んだのは目撃したし、自殺は明らか。

 よほど思いつめていて、ふとしたきっかけで衝動的に行動にでたのだろう。



 スイートルームの居心地の良さは、病みつきになりそうだ。

 それに引き換え、寒そうな屋外。いやが上にも引きこもりたくなる。

 ルームサービスで頼んだ、モーニングセット。

 焼きたてのトーストに噛り付きながら、バッグからタブレットを取り出す。


 【あざみ台 人身事故】


 興味本位のキーワードを入力。

 検索してみると、出てくるのは新聞にも掲載されていない、詳細な情報。

 伏せられていた本名。勤め先である銀行名と、その担当業務。さらには顔写真。現住所に実家の住所。果ては出身校まで……。

 相変わらず、驚愕を通り越して恐怖心が芽生える。


 掲示板を覗いてみると、無責任な言葉の数々。

 『銀行員だからって、地味すぎじゃね?』

 『死ななければ、俺の嫁になってたかもしれないのに』

 『こういう奴に限って、実はビッチなんだよ』

 ……そっと電源を切り、再びベッドへ。

 連泊なので、夕方までゴロゴロするとしよう。



 本職というわけではないが、占い師を装う上で、必然的に活動時間は夜。

 滞在を決め込んだ以上、まずは露店で獲物探し。夜風が身にしみる。

 人通りの多さや、周囲の店の賑やかさに気を使いながら出店場所を物色し、小道具を並べていざ開店。


(さて、この街最初の客はどんな奴かな……)


 まずは、最初の客を辛抱強く待つ。

 正面を見据えて待つ。

 ただひたすらに待つ。

 そして現れる、最初の客。

 

 泣き出しそうな表情。血色の悪い顔。眠れていないのか、目の下にはクマ。

 しかし、身なりは整っている。ピシッとしたスーツに、センスのいいネクタイ。羽織るコートも高級そうな生地。

 一見エリートタイプの、真面目で神経質そうな五十近い男。

 そんな男の生気を失わせている原因に、自然と興味が湧く。


「私は、この先どうしたらいいでしょうか……」


 漠然すぎる問いかけ。そんなもの普通に考えれば、答えようがない。

 だが深刻な、そして真剣な表情。

 これは期待できそうだ。さっそくサングラスを外し――。


「こんな胡散臭い奴に払う金があるなら、ちっとこっちに回してくれねえかな」


 脇から掛かる声に目を向けると、若い金髪のホスト風の男。

 客は肩を掴まれ、怯え切った様子。

 上客の予感がしているというのに、なんという嫌がらせ。我慢ならない営業妨害に、席を立って応戦する。


「胡散臭いってのは俺のことですか? 商売の邪魔、しないでもらえませんかね」

「どう見ても胡散臭いじゃねえかよ。こんな辛気臭せえ店を、うちの前に出してんじゃねえよ。お前の方こそ営業妨害なんだよ!」


 胡散臭い自覚はあるが、認めてしまっては身も蓋もない。

 客の手前、格好はつけておかないと……。って、もう逃げてしまったか。


「ったく、なんなんだ、この街は。チンピラには絡まれるわ、目の前で電車に飛び込まれるわ……。って、え?」


 吐き捨てるように愚痴り、男を睨みつけると、映し出されたのは電車に飛び込んだあの女の姿。

 そうか、サングラスは外してたっけ。それにしても、この男……。


 ――左の頬に激しい衝撃と激痛。


 一瞬呆然とした隙を突かれ、男の右拳が振り抜かれる。

 油断していたのと、男の腕っぷしのせいで、よろける身体。そこに追い打ちをかける蹴りが、腹に食い込む。

 きつい一発をもろに食らってしまい、鉄橋を渡る電車のような激しい音を立てて、閉じている店のシャッターに身体を打ち付けた。

 顔を上げると、男は容赦なく蹴りつけようという体勢。

 反撃の間はない。身体を丸め、頭をかばい、急所から身を守る。


「何やってんだ。それぐらいにしとけ。お客様がお呼びだぞ」

「ちっ」


 男は舌打ちをしながら背を向けると、そのまま正面のホストクラブの中へと消えていった。

 自殺したあの女を知っているこの男に、興味が湧く。

 というより、殴られっぱなしでは気が済まない。




(必ずお返しはさせてもらうからな……)

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