ホームでうつむく女
第1話 ホームでうつむく女
(削除、削除、うーん……これも削除)
街を移るときの自分なりの儀式。それは、携帯電話の電話帳の整理。
掛けることもない電話番号を、いつまでも残していても鬱陶しいだけだ。
(川上唯子……。これは掛かってくると面倒そうだから、着信拒否だな……)
お目当ての電車を待つ、夜の一番線ホーム。
時間潰しにベンチで電話帳整理をしていたが、凪ヶ原での滞在期間が短かったせいもあって、あっという間に終わってしまった。
この、あざみ台駅は凪ヶ原駅から二駅。ターミナル駅ということもあって、乗降客も多い。
ふと隣を見ると、一人うつむく青い顔をした女。
気分でも悪いのかと思ったが、どうも様子がおかしい。
目をきつく閉じてみたり、かと思うとブツブツと呟き始めたり。
バッグを抱きしめ、とうとう涙までこぼし始めた。
(厄介なものを見ちゃったな……)
眼鏡をかけてビジネススーツを着た、二十代前半ぐらいの地味なタイプ。
気づいてしまったものは仕方ないか。
小さくため息をつき、サングラスに手を掛ける。
「大丈夫? 気分でも悪い?」
声を掛けたのは、年配のサラリーマン風の男。自分が声を掛けるまでもなかった。
やや肩透かしを食った気分だが、後のことは任せるとしよう。
「相談なら乗るよ? どこか、場所を変えようか」
「…………」
「とりあえず、これ使いなさい」
親切な男だ。ハンカチまで取り出し始めた。
下心が見え隠れしないでもないが、何もせずに遠巻きに眺めている人々よりはましだろう。
親身になって励ます男と、頑なに口を閉ざす女。
行く末も少し気になるが、後は二人の世界。
ジロジロと覗き見るのも失礼なので、軽く背を向けて座り直す。
携帯電話を取り出し、時刻を確認する。
いい加減に、目当ての電車が来てもいいはずなのだが……。
そう思ったところに、アナウンスがタイミング良く流れる。
『特急電車が通過致します。危険ですので、白線の内側へお下がりください』
思わず出る舌打ち。
お目当ての電車は、まだしばらくお預けらしい。
近づいてくる電車の音、しかし出るのはため息。待っているのはお前じゃない。
立ち上がってしまったこと自体が気まずいが、仕方なく再びベンチに腰を下ろす。
入れ替わるように立ち上がる、隣の女。
何気なく見上げると、勢いよく駆け出していった。
「ちょ、ちょっと待――」
ホームから線路へと飛び出す女。
滑り込んでくる特急電車。
生々しく響く、鈍い音。思わず目を背ける。
甲高く金属が擦れる音を立てて、特急電車の速度が緩まっていく。
そして聞こえてくるのは悲鳴、絶叫、金切り声……。
この様子では、しばらく電車は動かないだろう。
阿鼻叫喚のホームに背を向け、ここから先の旅は諦めることにした。
「いらっしゃいませ。ご宿泊ですか?」
出鼻をくじかれ、急遽この街に滞在することに。
ターミナル駅ということもあって、ホテルは難なく探し当てられた。
「部屋空いてますか?」
「申し訳ございません。本日は満室となってまして……」
無慈悲なお知らせ。
観光地でもなく、大都会でもないのに、こんな平日に満室とは。
一体誰が泊っているのかと逆に興味が湧く。だが、空いてないものは仕方がない。
それでも、他のホテルに移動するのも面倒なので、少し食い下がってみる。
「どの部屋でも構わないんですけどね。空いてないですか?」
「あいにくと……申し訳ございません。ただ……」
「ただ?」
「スイートでしたら、空いてることは空いておりますが……」
苦笑いを浮かべながら答えるホテルマン。
実質、空き部屋なしという意味だろう。
「じゃあそれで。とりあえず、三泊お願いします」
「えーっと、お客様。スイートで本当によろしいのですか?」
今度は驚きの表情。空いていると言ったのは、そっちだというのに。
しかも、わざわざ料金表まで差し出し、ご丁寧にスイートルームの欄を指差す。
「だから、それでお願いしますって言ってるじゃないですか」
「か、かしこまりました。それでは、こちらにご記入お願い致します」
ゆっくりと名前と住所を記入しながら、それとなくホテルマンの表情を観察する。
怪訝な様子が、明らかに現れている。隠すつもりもなさそうだ。
これは、支払い能力を疑っているのだろう。そこまで童顔に見えるというのか。
だが、こんなことは珍しくもない。そして、対処方法もいつもの通り。無粋だと思うが仕方がない。
「信用できないっていうなら、前金でも構わないですよ。現金になりますけど」
カウンターに札束を一つ、そっと差し出す。
急遽笑顔を作り、慌てて取り繕うホテルマン。
「い、いえ。お支払いは、チェックアウトの際で構いませんので……」
見事なまでの手のひら返し。特に腹は立たない。
むしろ、この豹変ぶりを見るのは結構楽しいので、感謝したいぐらいだ。
チェックインを済ませると、いつの間にか隣に立っているベルボーイ。さり気なく荷物を携え、そのまま部屋へと案内をする。
そこまでの高級ホテルとは思っていなかったので、逆に驚く。
彼に案内されるままに向かう最上階。そして踏み入れた室内はさすがのスイート。眺望も文句なし、足元の夜景はクリスマスの飾りつけを転がしたような美しさだ。
赤色灯の数々。駅から溢れる人波。さっきの出来事の余波か。
自分があの女に声を掛けていたら、違った結末もあっただろうか。珍しく他人のことを思いながら、眠りに就く。
予定外から始まった、この街での活動。
波乱を予感させるには、充分すぎる幕開けだ……。
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