第17話 裁かれる男

「早く……、早く城戸崎さんを電話に出してくれ! 急いでるんだ……」

『代わりました……、城戸崎です』

「大変だ、やばいことになった! あんたも早く逃げないと、取り返しのつかないことになるぞ!」


 消え入るような力のない声。

 昨夜、天国から地獄のさらに奥底まで突き落とされた城戸崎に覇気はない。

 だがそれでも、ちゃんと出勤している点は感心だ。


『ああ、鳴海沢さんですか……。すでに取り返しのつかないことになってるっていうのに、これ以上何が大変だっていうんですか』

「のんびり落ち込んでる場合じゃないんだよ! 昨夜のイカサマグループの賭けに便乗したせいで、仲間だと思われたらしい。裏カジノのやつら、いきなり襲い掛かってきやがった。すぐに逃げないと命がないぞ!」

『ちょ、ちょっと待ってください! 私は全額持って行かれて、一銭も手に入れてないんですよ!?』


 やっと状況が掴めてきたのか、慌て始める城戸崎。

 しかし、自分の身にまで危険が及んでいることには、納得していない様子だ。

 さすが自分本位な城戸崎、相手の立場から物事を見ることはできないらしい。


「そんな事情、向こうにわかるわけないだろ! あんたも一緒に賭けに参加してたんだから、仲間と思ってるんだって! あんたは負け役で、裏で山分けにしてるとでも考えたんだよ、きっと」

『で、でも……』

「ああ、それならそれでもいいや。あんたのことなんて見捨てて逃げても良かったけど、さすがに稼がせてもらった上に見殺しじゃ、化けて出られそうだから知らせてやったっていうのに……。グズグズしてるなら、俺だけ逃げさせてもらうとするよ」

『ま、待ってください! わかりました。今からすぐに、早退の申請を……』


 本当にわかっているのだろうか。

 職業柄なのか、それとも個人の性格なのか、規則を優先するとは。真面目というか、融通が利かないというか……。

 だったら客の金に手を付けないという、当たり前の規則はなぜ守れなかったのか。

 いや、そもそも違法賭博に手を出さなければ、この惨状もなかったはずだ。


「そんなことをしてる場合じゃないでしょ! 城戸崎さんはとにかく、すぐに着替えて逃げる準備を! 俺は今、向かいの公衆電話から掛けてます。逃走の援護のために外の様子を伝えますから、携帯の番号を教えてください」

『は、はい、お願いします。番号は――』


 一旦電話を切り、城戸崎の勤務する銀行に目を向ける。

 正面入り口と従業員の通用口が同時に視界に入るこの場所は、状況を把握するにはうってつけ。ファミリーレストランの入り口の内側なのも、目立たなくて助かる。

 そしてしばらく間を置き、城戸崎の携帯電話へダイヤルする。


「城戸崎さんですか!? 今どこです?」

『着替えを済ませて、もうすぐ従業員通用口から出るところです』

「わかり……、いや、ちょっと待って! コートを着た奴が、建物の陰に立っているのが見える。あれは奴らの仲間かもしれない、慎重に行動してください」

『え!? そんな……。このまま出ても、本当に大丈夫なんでしょうか……』

「もしも懐に手を入れるようなら、すぐに銀行内に引き返したほうがいいですよ。武器ぐらいは、持っていてもおかしくないですから」

『え、武器!? そんな……本当に? た、頼みますよ、鳴海沢さん。あなただけが頼りなんですから……』


 ゆっくりと開かれる、従業員通用口のドア。ここからでもハッキリと確認できる。

 左右を確認しながら、恐る恐る顔をのぞかせる城戸崎。

 その直後だった。物陰から飛び出す、コートを着た人物。

 目深に帽子をかぶり、顔は確認できない。だが、懐に手を差し入れ、城戸崎の前へと歩み出る。


 ――バーン!


 物凄い勢いで閉められる、従業員通用口のドア。

 その重厚な金属音が、電話越しに耳をつんざいた。


『ひいいいい。いた、いた、いました……。どうしたらいいですか、助けて下さい。鳴海沢さん』

「ええ、危なかったですね。でも、すぐに扉を閉めて正解でした。懐から取り出したのは、ピストルだったと思います。他に銀行からの出口はないんですか?」

『他……。他にはもう、正面だけです』

「そうですか……、でもそれしか……。いや、正面はもっとやばいです。明らかに人相の悪い男が、何人か来てますよ。……あ、一人様子見に、入っていくみたいです」


 銀行の正面入り口から入っていくのは、金髪の男。

 しばらく経って、店内で喚き散らすその声が電話口から聞こえてくる。


『……オラ! 次長はどこだ? 次長を出せよ! 次長に用があるんだよ……』


『あ、あれは、カジノの店員……。もうだめだ。助けてください。お願いします』

「完全に逃げ場がなくなりましたね……。今を凌いでも、奴らが外で張り込んでる以上、銀行から出たらすぐ捕まりますし……。こうなったら、仕方がないですね。警察を呼んで、匿ってもらうしか方法がないですよ」

『そ、そんな……。警察には、なんて説明したらいいんですか? 彼らとの関係を追及されたら、私はなんて言えば……』


 言葉の意味を理解できていないらしい。

 城戸崎が今置かれている状況に対するアドバイスとして、ハッキリと無慈悲な最終通告を進言する。


「だから、全部話して自首するんですよ。捕まえてもらえば、奴らだって牢屋までは追ってこないでしょう」

『し、しかし……。それじゃ、私の人生が終わってしまう』

「まだ終わってないつもりだったんですか? 使い込んだ金を返すあてがなくなった時点で、あんたの人生はもう終わってるんですよ」

『そ、そんな……』

「迷ってる暇ないでしょ。あいつらに捕まったら、人生の前に命が終わりますよ?」

『…………』


 城戸崎の長い沈黙。

 電話口から聞こえるのは、鼻をすする音。そして、嗚咽。

 しばらくして、聞き取りにくい涙声で、ポツリポツリと話し始める城戸崎。


『わかり……ました。これから……警察に、電話することにします』


 その言葉とともに、電話が遠くなる。だが、まだ切れてはいない。

 様子を探ろうと耳を澄ますと、『警察ですか?』の声。

 どうやら、さっそく自首の電話を掛けているらしい。

 通用口にはコートを着た人物、店内にはカジノの店員となれば、速やかに覚悟を決めるしかないだろう。


 警察への電話を済ませ、再び携帯電話に戻る城戸崎。

 だが放心状態となっているのか、言葉はない。

 ただ時折、鼻をすすり上げる音が聞こえてくるだけ。


『…………』

「…………」


 こちらとしても、掛ける言葉が思い浮かばない。

 城戸崎の沈黙に、こちらも沈黙で付き合う。

 やがて聞こえてくるサイレン。

 その音が聞こえたせいか、悟りでも開いたかのような吹っ切れた声で、城戸崎が話し始める。


『鳴海沢さん、今回はチャンスをくださり、ありがとうございました。二千万円を手にしたところで止めておけば……あなたの計画通り、私は許されましたかね?』

「ご心配なく、計画通りですよ。刑務所で罪を償えば、出所した時には法律上、許されたことになるんじゃないですかね」

『え?』


「――だからちゃんと、音見美香さんを自殺に追い込んだのも私ですって、白状してくださいね。全てを許されたいのなら」




「お疲れ様」

「見ててくれましたか? あんな感じで良かったんでしょうか? やったことないんで、上手くできたのかわからなくて……」


 目深に被った帽子を取りながら、心配そうに自分の演技の出来を尋ねる唯子。

 殺し屋なんて、俺だって経験がない。だから、感想を聞かれても答えに困る。

 だが作戦終了の合図とともに、こちらへ駆け戻ってきた時の表情はとても楽しげだった。まるで、学芸会に参加したかのように。


 裏カジノから刺客を差し向けられ、今や城戸崎は袋のネズミ。

 もはや自首して捕まることでしか、その命を守る術はないと思い込ませる筋書き。

 安っぽい穴だらけの台本だったが、上手くいった。唯子が演じた殺し屋でさえ信じたのだから、よほど追い詰められたのだろう。


「あいつ、君を見て慌てて銀行に戻っていったから、名演技だったってことだよ」

「本当ですか? だったら良かったです。大騒ぎになってますね、銀行」


 通りの向こう側に見える、城戸崎の勤務する銀行。

 あっという間に取り囲んだパトカーで、今は入り口さえも見えない。

 城戸崎の電話で駆けつけた警官隊。銀行強盗でも押し入ったのかと思えるほどの人数だ。


「音見先輩の仇、取れましたよね?」

「本人はもうこの世にいないから、本当のところはわかんないけどね。たぶん、ちょっとはスッキリしてるんじゃないかな」


 音見美香は命を落としたのだから、これで仇討ちになったかと言えば怪しい。

 それにしても『音見美香が自殺した原因の男を、懲らしめたくはないか?』と聞いたら、二つ返事で有給まで取って計画に参加した唯子。本当にお人好しだ。

 二人で捕り物騒ぎを遠巻きに眺めていると、駆け寄ってくる男が一人。


「はあ、はあ……、ちゃんとやったからな。報酬よこせよな」

「頼んだ通り、城戸崎を追い込んでくれたみたいだからな。これが成功報酬だ」


 もう一人の出演者、金髪に差し出す札束。報酬は百万円。

 二千万の借金にはとても足りないが、それは彼自身の罪の代償。そこまで肩代わりしてやる気は、サラサラない。


「これっぽっちかよ! 金持ってんだろ? もっと寄越せや、コラ」

「銀行に行って『次長を出せ』って喚いただけで百万なら、充分に美味しいバイトだろ。贅沢言うなよ」

「ちっ、足元見やがって……。でも、こんなところでグズグズしてる場合じゃねえ。俺は行くからな、あばよ。また、稼げる仕事があったら声かけてくれよな」

「何をそんなに急いでるんですか?」

「現場で撮影した写真を、マスコミに売り込みに行くんだよ」


 携帯の番号入りのホストの名刺と、別れの言葉を残し、去っていく金髪。

 商魂のたくましさに頭が下がる。


「警察も帰っていくみたいですし、私たちも帰りましょうか。先輩の仇討ちしてもらったお礼に、今日の晩ご飯は奢らせてください」

「いや、今回の稼ぎのきっかけは川上さんにもらった小切手だから、今日は俺が豪勢に奢らせてもらうよ」




 ――俺は、あざみ台での一連の出来事を思い出に刻み、街を後にした。

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