第17話 どさくさに紛れる男
「――さぁ、四名様を地獄へご案内だ」
銃を向けたまま、少しずつ黒服が詰め寄る。
このまま拘束するつもりなのだろう。
だが、その時だった――。
ドアの外から聞こえてくる、騒がしい声。
声はすぐに大きくなり、ドアがしきりに叩かれる。
その荒々しさは、もはやノックではない。
共に聞こえてくるのは、懇願する男の声。
「ご報告が! ご報告があります! 緊急事態です」
「わかったから、少し待て」
尋常でない気配に、最寄りの黒服によって解錠されるドア。
そして、報告を聞くために外へ出ようとしたのだろうが、猛烈な勢いでドアが押し開かれる。
それと同時に、間髪入れずになだれ込んできたのは三人の男たち。彼らもまた黒い服に身を包んでいる。下のフロアの係員だろう。
突然の事態に慌てたのは室内の黒服たち。構えていた銃を各自、懐へとしまう。
「何事だ! 騒々しい!」
「も、申し訳ございません、小池谷様。ですが、下のフロアが大変なことになっていまして……」
「早々に報告を済ませて、とっとと立ち去れ。つまらぬ報告をしようものなら、容赦はしないからな」
苛立ちの声を上げたのは小池谷。
復讐の総仕上げが、すんでのところで邪魔が入ったのが不満なのだろう。
険しい表情で凄んで見せたが、それに臆する気配を微塵も見せない三人の黒服。
小池谷の機嫌を損ねるよりも報告を優先させるほどに、下のフロアの事態は切迫しているらしい。
声を詰まらせながら、飛び込んできた順に報告が始まる。
「スロットマシーンのコーナーで、全台が一斉にオールセブンが揃い、とんでもない枚数のメダルが払い出され続けています!」
「ルーレットのコーナーでは、緊急用の調整装置が誤動作を起こしてホイールが止まらず、お客様たちがイカサマだと騒動になっています!」
「競馬ゲームのコーナーでは全馬が同着して、ベットが全的中に。さらに、バカラのコーナーではディーラー用の隠しカメラの映像が――」
「ええい、一体何がどうなってるというんだ! とにかく、騒ぎを鎮めてこい!」
困惑する小池谷だが、今の彼の頭の中はそんな騒動すらも、きっと些細なこと。
間違いなく最大の関心事は、大山鳴動への復讐。
しかもそれが、もう一息で達成されるというところまで来ている。
そんな寸止めを食らった小池谷の、歯ぎしりするような思いが手に取るように見て取れる。
「今懸命に階段のところで抑えていますが、責任者を出せと大騒ぎです。ここへ押し寄せてくるのも、時間の問題かと……」
「それを何とかするのが、お前たちの役目だろうが! もうしばらくの間、何としても持ちこたえろ!」
「お言葉ですが……」
「うるさい! 早く行け!」
そうしている間にも、ドアの外から聞こえてくる音は大きくなる。
ここへと徐々に、招待客が迫りつつあるのだろう。
察した小池谷の表情に、焦りの色が濃くなる。
滑稽すぎるその姿。
対照的に満足気な表情を浮かべるのは、大山夫婦に麗子の父。
そして俺自身も小池谷の滑稽な姿を目の当たりにして、堪えようにも笑いが堪え切れない。
「ククク……。勝負事は、最後に勝てばいいんだったよな。勝ちを確信するのは、ちょっと早すぎたみたいだぜ」
「な、なんだと……!?」
何が起こっているのか、状況が把握しきれていない小池谷。
ましてやそれが仕組まれたものだとは、考えが及んでいなかったらしい。
慌てる小池谷に対して、ゆったりと始める種明かし。
この、得も言われぬ優越感は、勝者に与えられた美酒だ。
「さっきボディーチェックをした時にも、ベルトのバックルに仕込んでおいたスイッチには、気づけなかったみたいだな。こいつを五回続けて押すと、一斉に下のフロアの仕掛けが動き出す仕組みさ」
「ディーラーを勤めつつも、機械の調整と称してこの日のために、少しずつ仕込ませていただきましたよ。仇敵を再び雇い入れるとは、お人好しですな」
両手を潰されているというのに、微笑みすら浮かべる麗子の父。
本懐は遂げたという充実感か。
「その仕掛けのための資金も、ここのルーレットで稼がせてくれるなんて、ほーんと太っ腹よねぇ」
「正直言えば、これでもやり足りないぐらいだ。何しろ父は未だにベッドの上、意識だって戻っていない。だが老い先短いあんたの人生、これでもう浮かび上がることはないだろうよ」
大山夫妻も煽る。
勝者の特権とばかりに、これ以上ないほどに煽る。
だが彼が言うように、幸一の父が未だ植物状態ということを考えれば、それぐらいの追い討ちをかけなければ気持ちも収まらないだろう。
しかしこの煽りは、想像以上に小池谷のプライドを傷つけたらしい。
彼は悔し涙を浮かべそうなほどに唇を噛み締め、うめき声をあげた。
「ううう……貴様ら、よくも……。もう構わん。こいつらを撃ち殺してしまえ! これは命令だ!」
感情を爆発させ、一気に激昂する。
だが、いくら小池谷の命令とはいえ、招待客が迫りつつあるこの状況。ここまで従順だった黒服も、さすがに発砲は躊躇している模様。
その様子に堪りかねた小池谷は、すぐ横の黒服から銃を奪い取り、叫ぶ。
「命令に逆らうか。もういい、ワシがやる。銃を寄越せ!」
だが、時すでに遅し。
迫って来ていた招待客が、ドアを押し開け、室内へとなだれ込んでくる。
「責任者はどこだ!」
「スロットマシーンの払い戻しができないってのは、どういうことだ!」
「今までもずっと、ルーレットでイカサマしてやがったのか!」
「過去に負けたお金、全額返してちょうだい!」
次から次へと押し寄せる人、人、人。
そして口々に叫ぶのは、怒声、罵声、誹謗。
だがそんな人々も、積み上げられた十二億の札束を目にして豹変。
一斉に群がり、今度は争奪戦が繰り広げられる。
その先頭で必死に札束を懐に押し込んでいるのは啓太。ちゃっかりし過ぎだ……。
騒然とする室内。
そこかしこでやり合う、黒服と招待客。
大勢が入り乱れ、もはや収拾がつかない。
「――で? あんたは、何をコソコソと逃げ回ってるんだ?」
窓から避難梯子を垂らし、何食わぬ顔で窓から身を乗り出していたのは小池谷。
この騒ぎに乗じて、逃げ出すつもりだったらしい。
だがこの男には、まだ聞きたいことが残っている。そんな奴を見逃すはずがない。
「ひっ……」
逃げ切れると思ったのか、後ろ向きのまま身体をびくつかせる小池谷。
恐る恐る振り返った彼の胸倉を掴み上げ、そのまま窓の外へ押し出す。
ここは五階。転落を恐れているのか、身動き一つしない。
さらにさっきまでの威勢は鳴りを潜め、ひたすらの懇願。
「悪かった、ワシが悪かったから助けてくれ……」
「さっきも聞いたろ? 大山の親父さんだって、お前のせいで未だに苦しんでるんだ。ここから落ちても、運がよければ彼と同じ程度で済むかもな」
「やめてくれ、死んでしまう」
さっきまでは容赦なく銃を突きつけたくせに、自分が死と隣り合わせになった途端、この低姿勢ぶり。
生存本能は生物として当然だが、余りにも身勝手すぎる。
なにしろ頭に浮かべた真実は、小池谷こそが幸一の父親を車ではねた真犯人。
自首した男は、ただの身代わり。
「じゃあ質問に答えられたら、手は離さないでおいてやろう。俺の親父の自殺の理由を教えろ。お前なら知ってるんじゃないのか?」
「しらない、しらない」
「ほら、目を見ろよ。目を見てもそれがいえるのか」
「知るわけがないだろう。自殺したことだって、知らなかったのだから……。貴様、親父と同じような真似をしおって……」
さすがに命が懸かっているせいか、彼なりに必死に自殺につながりそうな記憶を辿っているのだろう。
次々と映像は浮かぶが、それはポーカー勝負のものばかり。
その結末では小池谷の言葉通り、父にもこんな風に同じ目に遭わされたようだ。
収穫はここまでかと思った次の瞬間、小池谷を掴む手が思わず緩みかける。
彼が思い浮かべた別な記憶は、それほどまでに衝撃的だった。
(どうして伯父さんを知っている……)
和室の大広間。
黒いスーツに身を包んだ男たちが取り囲む中、中央で羽織袴であぐらをかく老人。
そしてすぐ横に、仕えるように控えていたのが伯父だった。
その光景はやくざ映画にでも出てきそうな、大親分の屋敷と呼ぶのがぴったり。
だがそこに、父の姿は見当たらなかった。
父の話をして、小池谷が浮かべたこの光景。無関係とは思えない。
自殺の理由は知らないとしても、きっと俺の知らない何かをこの男は知っている。
もう一押し、この映像について問い詰めてやるとしよう。
「そうか、質問には答えられないのか……。じゃあ、手を離すしかないな」
「ま、待て。知らないものは、答えようがないじゃないか! 何でもする、何でもするから助けてくれ」
「それなら、もう一回だけチャンスを――」
その時、ふっと身体が軽くなる。と同時に、後方に飛ばされた自分の身体。
一瞬、何が起こったのかと戸惑う。
(俺は投げ飛ばされたのか……?)
――体を起こして見上げると、そこには黒い服に身を包んだ
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