第8話 愛を伝える男

「――どうしたんですか? 鳴海沢さんから食事に誘ってくれるなんて」


 待ち合わせ場所からずっと、満面の笑みを絶やさない唯子。

 そんなに焼肉が好物なんだろうか。

 それにさっきから、何やらソワソワしているような、浮足立った素振り。

 他人に聞かれたくない話もあるからと、個室へ案内してもらったが、そのせいで落ち着かないのかもしれない。


「ひと仕事手伝ってもらったしね。それに話したいこともある。まあ、今日は好きなもの頼んでくれよ」

「助手への気遣いですか? 上司の鑑ですねー」

「まだ、そんなこと言ってるのかよ」

「だって鳴海沢さん、私を助手にしてくれたじゃないですか」

「君の会社は、副業は認められてるのか?」

「あっ…………」


 さっそく助手の話を蒸し返されたが、なんとか切り返す。

 しかし言葉を失くしたまま、神妙な面持ちで何やら考え始めた唯子。

 このまま放っておいたら、会社の方を辞めて助手に専念するぐらいのことを言い出しかねない。

 ならばと手元からポーチを取り出し、唯子の目の前に無造作に突き出す。

 少し早いが今日の用件、その一つ目。


「やるよ。というか、これは君の物になるべき品だ」


 首を傾げ、困惑の表情を浮かべる唯子。

 そのまま、おずおずと差し出した両手でそれを受け取る。

 唯子の意識は完全にポーチへ。

 助手の話など、今や忘却の彼方。狙い通りだ。


「えーっと……これは? ひょっとして、誕生日プレゼントですか? だったら、まだまだずっと先ですよ」

「なんで俺が、君の誕生日を祝うんだ。むき出しで渡すわけにもいかないから、ポーチに入れただけだよ」

「え、でも、これってブランド物なんじゃ……。こんな高価な物、人からもらうの初めてですよ! ありがとうございます、大切に使わせてもらいますね」


 神々しさを感じるほどの、唯子の喜びの笑顔。

 どうも唯子が相手だと調子が狂う。

 さすがに紙袋というわけにもいかないと、ちょっと見栄を張っただけでこの喜ばれよう。何やら、誤解させた気がする。


「いや、だから……。そのポーチは、包装紙代わりのオマケだって。本当に渡したかったのは、その中身だよ」

「これ以上、何をくれるっていうんですか……。もうこれだけで、充分……えっ?」


 ポーチのファスナーを開きながら、驚嘆を漏らす唯子。

 それもそのはず、中身は札束が五つ。

 過剰に受け取っていた報酬も、これで無事返却というわけだ。


「小切手は換金しといた。それは君の取り分だ。受け取れないって言うなら、そこらに捨ててくれ。俺は借りは作らない主義だ」

「ふふ……わかりました。鳴海沢さんなら、本当に捨てちゃいそうですしね。それじゃこのお金で、父のお墓を立派にさせてもらいます」

「好きに使えばいいさ。それで、話が出たついでなんだけど……。君のお父さんの自殺の理由は、やっぱりわからないのか?」

「っ…………」


 途端に、表情を曇らせた唯子。

 さっきまでの、はしゃいでいた素振りが嘘のよう。

 口は真一文字、目は伏せ気味。

 続く沈黙、さらに曇る表情。

 声を掛けようと口を開きかけたが、先に話し始めたのは唯子だった。

 だがその声は力なく、ぼそぼそと歯切れが悪い。


「前に言いましたよね? 遺書もなかったって……。それなのに、わかるはずないじゃないですか。それに借金の完済にも目途がついて、これからってところだったんですよ? そんな時に、死を選ぶなんて……」

「それでさ――」

「私はきっと、厄介者だったに違いありません。工場が倒産した時、母は弟だけを連れて家を出ました、私を残して……。父と一緒に暮らすことに不満はなかったですけど、母に捨てられたような気がして――」


 地雷を踏んでしまったか。ほんの前振りのつもりだったのだが……。

 話を遮ろうと試みたが、割り込むのも申し訳ない雰囲気になってしまった。

 ここまで真剣な表情で、自分のことを話す唯子は初めてかもしれない。

 いつも明るい笑顔を見せている唯子だけに、対処に戸惑う。


「――責任感の強かった父は、借金を返して自分の責任を取り終えました。でもその後もさらに、私を抱えて生きていかなきゃいけない。そんな生活に疲れてしまって、死を選んだに違いないんです。私なんて、愛されてなかったんですよ!」

「まあまあ、落ち着きなよ。愛してなかったら、君に特許権なんて残しやしなかったって」

「私だって信じたい! 父から愛されてたって信じたいです。でも……、だったら何も言わずに、自ら命を絶つはずがないじゃないですか!」


 向かいの席から、いくら気休めの言葉を掛けても効果は無さそうだ。

 唯子の隣の席に移り、そっと肩に手を掛ける。

 そして持参した大きめの茶封筒を、唯子にそっと手渡す。

 これが今日の用件、その二つ目。


「これは?」

「まあ、開けてみなよ」

「なんですか? これ……。病院のカルテみたいですけど――」


 不思議そうな表情の唯子。ひとまず、興奮状態からは脱したようだ。

 たった一枚のカルテのコピーを、何とか解読しようと睨みつける唯子。

 だが、無理だろう。俺にだって読めない。


「――これ、一体誰の……。まさか?」

「そう、君のお父さんのだ」

「父が、病院に通ってたなんて……知らなかった」

「正確に言うと、通ってない。通院は、そのカルテの一回きりらしい」


 剣持に入手してもらった、カルテのコピー。

 当然ながら持ち出し厳禁の品だが、そこは命の恩人の頼みということで、上手いことやってもらった。

 そして、受け取った時に剣持から聞いた説明を、そっくりそのまま受け売りする。


「ガンだったらしいよ。しかも、かなり進行した……。この話は、偶然知り合った担当医師から聞いたんだけどね。痛みに耐え切れず、病院を訪れたらしい」

「じゃぁ、もう手遅れだったっていうことですか?」

「いや、それはわからなかったって……。最善を尽くせば、何とかできたかもしれないし、手の施しようがなかったかもしれない。何しろ、検査入院すら拒否されたらしいから……」

「え? そんな……。どうして……」


 剣持が思い浮かべた、唯子の父親の記憶。

 記憶の中の目から、さらに記憶を覗き見るなんてことは、もちろんできない。

 だが、剣持が『まるで仏様みてえに穏やかな顔』と表現したその表情を見れば、唯子の父親の心境は、想像にかたくない。


「治る保証もないのに、高額な医療費なんて払えないってことだよ。健康保険も入ってなかったみたいだしね」

「だからって、病院代ぐらい……」

「当時は、借金の返済に必死だったんだろ? 『自覚症状はだいぶ前からあったはずだ』って先生は言ってた。それでも病院代を惜しんで、借金の返済に充てたんだろ」

「……ごめんなさい……お父さん。気付いてあげられなくて……」


 うつむく唯子。

 両手を強く握り締めると、持っていたカルテにシワが寄る。

 そして雨粒が地面を濡らしていくように、カルテに一粒、二粒と滴り始める涙。


 やがて肩は大きく震え、こみ上げてきたのか嗚咽も漏れ始めた。

 テーブルにあったおしぼりを、唯子の手にあてがう。

 受け取り、目に当てたまま黙り込む唯子。きっと、心の整理がつかないのだろう。


「治療しても治らなかったら、また多額の借金だけが残ることになる。だから、自ら命を絶った……って考えるのが自然じゃないかな。経済的負担をかけないためにね」

「そんな……だからって自殺することないのに……。一言、相談してくれれば……」

「クソ真面目なあんたのことだ。病気を告げればあんたは間違いなく、自分を犠牲にしてでも治療をさせただろ? どれだけ医療費がかかろうと」


 言葉が気に入らなかったのか、もたげた顔は涙でくしゃくしゃながらも険しい。

 さらにそれだけでは飽き足りず、シャツの胸元を掴んで睨みつけながら激昂する。


「――当たり前じゃないですか。命が懸かってるんですよ!」


 これほどまでに、感情をむき出しにした唯子は初めて見た。

 思わず怯みそうになる程だ。


「それがわかってたから黙ってたんだよ。病院に行けば家計の負担、かといって我慢できるような痛みでもない。君を思っての、究極の選択だったんじゃないかな」

「だったら……。せめて遺書を残して、真実を教えて欲しかった……。そうすれば……そうすれば、誤解して父の愛情を疑ったりしなくて済んだのに……」


 ここまでの唯子を目の当たりにして、父親の行動に納得がいく。

 そしてそこには、彼の不器用な思いが垣間見えた。


「遺書に記さなかったのも、君を思ってのことだよ、きっと。真実を知ったら、あんたは自分を責める。徹底的にね。君のお父さんは、心の重荷も、借金の重荷も、残さずに済む方法を選んだ。この上なく愛されていたと思うね、俺は」

「そんな……、そんな事実を今さら知って、私はどうすれば……」


 胸元を掴んだまま、倒れこむように顔を埋める唯子。

 そのまま我を忘れるように、声を上げて号泣を始める。




「――答えは自分で言ってたじゃないか。固く信じて生きていけばいいんだよ、『お父さんに愛されていたんだ』ってね」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る