第10話 眠りから覚める女

「――メグの意識が戻りましたよ。行きましょう、鳴海沢さん」


 唯子に揺り起こされ、目が覚める。

 随分と能力を使ったせいか、中澤を見送ったところで力尽きたらしい。そのまま、居眠りをしてしまったようだ。

 寝言やうめき声をあげたら格好が悪い。妙な夢を見ずに済んでなにより。


 病室の中は、さながら研究所だ。

 身体に繋がる点滴回路やカテーテル、それに電極。周囲を取り囲むモニタの数々。電子音が規則正しく室内に響く。

 あまりまじまじと眺めるのも失礼だろう。何しろベッドに横たわっているのは、唯子と同い年の女性だ。

 だが、記憶は別。なんで中澤のような、下衆な男と一緒に暮らしているのかも興味深い。サングラスを外して、ベッドの脇から彼女の目を見下ろす。


「ユイ……。あたし、どうなってんの? 身体中痛くて……。達也は来てない?」

「中澤君は……えっと……」


 口ごもる唯子。

 親友という立場的にも話しづらいのだろう。ならばと、代わりにハッキリと伝えてやる。


「彼なら、警察に行ったよ。君を蹴り落としたことを、自首するそうだ」

「ああ、そっか…………。階段から落ちたんだ、あたし…………」


 言葉をなくしてしまったらしい。

 寝起きに聞かされるには、きつすぎる一言だっただろうか。だが取り繕ったところで、遅かれ早かれ知る事実。後は彼女次第。

 そして、沈黙を続ける彼女。

 今日はもう、これ以上話を聞くのは無理かと諦めかけたが、どうやら彼女は気を取り直したらしい。しげしげと顔を眺めながら問いかけられた。

 

「……で? あんたは?」

「この人は鳴海沢さんだよ。今回助けてくれた人」


 助けたつもりは全然ない。

 駆けつけた時には搬送済みだったし、手当てをしたのは医者だ。

 中澤の自首だって結果論。本当は、金を巻き上げてやるつもりだった。

 そして今だって、こうして記憶を覗き見ている。

 やれやれ、複雑な人間関係が垣間見えてきたようだ……。


「鳴海沢和真です。たまたま居合わせたってだけで、感謝されるようなことはなにもしてないよ」

「ひょっとして……、ついにできた? ユイにも彼氏が」


 顔を真っ赤にする唯子。

 この間記憶を見た時も、男の影を感じないなとは思っていたが、やっぱりか。

 だが、誤解は速やかに解いておくに限る。


「川上さんとは別に――」

「な、鳴海沢さんは……えーっと、高校生に絡まれてたところを助けてもらったのよ。それから、部屋探しをお手伝いして、父のことでもお世話になって……。えーっと、それから……」

「あー……。こんな子だけど、よろしく頼むね。鳴海沢さん」

「だから、そういうんじゃなくて! ――」


 ムキになる唯子。明らかに誤解がこじれた。

 慌てず普通に否定すれば済むものを、なんであんなにうろたえるのか。

 こうなると下手な否定は逆効果。放っておいた方がいいだろう。


「――こっちは鹿島かしま めぐみ。高校の時からの付き合いで、一緒に演劇部だったんです……って、この話はしましたね」

「うん、さっき車の中でね。

 その演劇部の先輩の自殺現場を目撃したんでお通夜に行ったら、川上さんとバッタリ顔を合わせて、その流れでここへきたってわけです。自殺の理由はまだわかってないみたいだけど、何か知りませんか? 鹿島さん」


 ずいぶんと遠回りをしたが、わざわざここまで付いてきた目的はこれだ。

 中澤の件はただ働きだったし、せめて価値ある情報を入手したいところ。

 眠気も再び湧いてきたので、ストレートに問いかけた。


「メグでいいよ。先輩の自殺の理由かー……たぶん、アレじゃないかなー。口止めされてたけど、本人はもういないし……。いいよね、話しても」

「え? なんか、ヤバい話なの? メグ……」

「ちょっと前にね、深刻な顔で相談されたんだ。お客さんのお金、使い込んじゃったって。絶対返さなきゃダメって言ったんだけど、もう使っちゃったから返せないって」


 これは有力な情報かもしれない。苦労も報われたというものだ。

 客の金の使い込み。発覚を恐れるあまり自殺。……充分にありえる。

 使ってしまったということは、金が流れた先があるということ。もちろん、買い物をして使い果たしたという可能性もあるが、調べる価値は大いにある。


「私は、男の人のことで悩んでるって聞いたよ」

「えー、マジで? あたし、その話は知らないよ」


 二人それぞれからの情報を併せて考えると、浮かび上がる一人の男。

 まさか、再びあの男に用事ができるとは、思ってもみなかった。

 どこかの湖にでも、沈められていなければいいが……。


「情報ありがとう。メグさん」

「『さん』とかいらないから。『メグ』って呼んで」

「高校入学の自己紹介でも、自分からあだ名指定してたよね。『あたしのことはメグって呼んで』って……クスクス」

「なによ、そんなことまで言わなくてもいいじゃない。だって、最初から気に入った呼び方指定した方が、みんなだって呼び方迷わなくていいし、あたしだって変なあだ名付けられなくて済むんだから、オールオッケーでしょ――」


 昔話に突入か。必要な情報は得られたので、後は二人でご自由にどうぞ。

 まだ全然眠り足りないようで、猛烈に睡魔が襲ってくる。

 そっと病室を後にして、廊下のソファーに身体を横たえる…………。



『言われた通り、渡したけど……。好みじゃないからって、読まないで捨てられちゃったよ』


 私は、しわくちゃの手紙を達也に返した。

 お世辞にも奇麗とは言えない文字で書かれた、【川上唯子様】という宛先。


『そ、そんな……。マジかよ……』

『ああ見えて、ユイはクールだからね。恋愛に関しては』


 目にみえる落胆ぶり。

 肩を落とし、今にも泣きそうに引きつる表情。

 決死の告白だったんだろう。


 でも、私だって必死だった。

 達也からラブレターの配達を頼まれた時は、目の前が真っ暗になった。

 お人好しのユイが断るとは思えない……。

 私がこれを彼女に届けてしまったら、きっと付き合い始めてしまう。

 そうなったら私は毎日、どんな気持ちで二人を見ればいいの……。


 その時、心の悪魔が囁いた。『握り潰せ』と。

 届けた振りをして、受け取りを拒否されたことにしよう。

 芽生える、罪悪感。

 バレたらどうしようという、不安感。

 でも、『中澤達也』という人物を取られたくない感情が、それを上回ってしまった。


『まいったな……。俺、明日からどうすればいいんだろ』

『私で良ければ、そばにいてあげるよ』


 ――その日から、達也との交際が始まった。



 後ろめたさを抱えながらも、幸せな日々。同棲も始めた。

 きっと、このまま結婚するんだ。そう思ってた。

 でも、徐々に達也の気性が激しくなる。

 帰りが遅いと、蹴られる。

 献立が気に入らなくて、叩かれる。

 お風呂が熱いと、突き飛ばされる……。


 理由は、成人式の後の飲み会だった。

 手紙なんて知らないと、ユイから聞いてしまったらしい。

 そっか……、バレちゃったのか……。今頃になって……。



「……さん。鳴海沢さん……」

「ハッ……」


 呼びかける声に驚き、慌てて飛び起きる。すると、目の前には唯子の顔。

 思わぬ急接近に、二人揃って慌てて距離を取る。


 興味本位で覗いたメグの記憶。疑問は解消した。

 とんだ親友だ。と言いたいところだが、人間なんてみんなこんなもんだ。

 結局のところ彼女にも原因はあったようで、自業自得と言えなくもない。


「退屈だったでしょう。気を使わせて、ごめんなさい」

「眠かっただけだよ。気を使って席を外したわけじゃない」

「フフ……、優しいんですね。そろそろ帰りましょうか。遅くなっちゃいましたけど、家までお送りしますね」


 なんか勝手な誤解をしているのが気にかかるが、頭も回らない。

 やっぱり、ちゃんと寝ないとダメだ。今日は能力を使い過ぎた。



 再び助手席に乗り込む、薄いピンク色の軽自動車。

 目を閉じようと思ったところに、運転席から身を乗り出して顔を寄せる唯子。

 驚いて身を引くと、唯子が眼を輝かせながら口を開く。


「聞きたかったんですけど、なんで中澤君はメグのことを階段から突き落としたんですか? それに、彼を自首させるなんて、鳴海沢さんは一体どんな魔法を使ったんですか? もう、ずっと気になってて……」


 そういえば、唯子には断片的な話をしただけで、寝てしまったんだっけ。

 きっと、内容が内容だけにメグにも聞けず、胸の中でもやもやしていたに違いない。

 とぼけてそのまま寝てしまうという手もあるが、それはかわいそうか。

 でも唯子にとっては、真実を知る方がかわいそうかもしれない。


「いいの? 全部話して」

「もちろんです。ちゃんと教えてください」

「わかった、全部話すよ。そもそもの発端は――」


 唯子に全てを話す。

 中澤のメグに対する日常的なDVや、転落の経緯。そして、親友と思っている人物の裏の顔も。

 そこまで話さなければ、今回の件は理解できないだろう。

 唯子には酷かもしれないが、これはこれでいい勉強になるはず。少しは人の心の闇にも触れておくべきだ。


「――結局、中澤が本当に好きだったのは、君だったってことさ。だけど、君の親友とやらが中澤のことを好きで、嘘をついて彼女の座に就いた。嘘で固めて作り上げた愛の絆なんて、真実が明らかになれば壊れるに決まってるさ」

「メグ……。嘘なんてつかなくても、私だって好きでもない人と付き合ったりしなかったのに……。昨夜だって、中澤君の告白はお断りしたし……」


 昨夜の中澤の告白? アパートで調べて回ってる最中だろうか。

 唯子の名前を出せば、中澤は落とせると踏んでいた。しかし、まさかの開き直り。不思議に思っていたが、これで納得がいく。

 あの時点で既に失恋済みだったから、中澤にかけ続けた圧力は全て、自首への後押しに働いてしまったというわけか……。


「そのお断りが魔法の呪文だよ」


 唯子は、不思議な顔をして首をかしげる。

 俺は、思わぬ計算違いに苦笑する。


「でも、中澤君も被害者だったんですね……」





「――いや、奴は自分の命運を他人に委ねたから、罰が当たったんだよ」

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