第3話 情報通の女

(――腑に落ちない夢だったな……)


 しばらくは金を稼ぐ必要もないし、父に繋がるネタでもない。だからあのまま一万円をいただいて、放っておいても構わなかったはず。

 だが、記憶を覗き見て興味が湧いてしまうと、放っておけなくなるのが性分。

 一体、誰の血を受け継いだのやら……。


(さて、どこから手を付けるか……)


 あの男の記憶しか見ていないのだから、情報は偏っている。それに俺は医者じゃないから、あの男の行動が正しかったかどうかもわからない。しかしそれを差し引いても、怪しげな匂いがしたのは確かだ。

 まだぼんやりとした頭で、昨夜登録した携帯の電話帳を確認する。

 『剣持けんもち 建夫たてお凪ヶ原総合病院なぎがはらそうごうびょういん、元外科部長』


(この病院は、確か……)


 病院名には覚えがある。唯子の親友、メグが入院してる病院だ。

 病院なら、一般人がうろついていてもおかしくはない。しかし、患者の入院する病棟はどうか。

 患者や関係者かどうかは顔を見ればわかるし、面会者にしても面会証が必要だ。

 そして、直接メグを見舞うほどの親密さはない。と、なれば手段は一つ。

 さっそく、唯子の携帯に電話をかける。


「急な電話で申し訳ないんだけど、凪ヶ原総合病院の評判を知りたくてね」

『どうしたんですか? 突然』

「医療ミスがあったっていう話を耳にしたんで、実際はどうだったのかなってね」

『確か二年ぐらい前、週刊誌に載った時には結構な噂にはなりましたけど……。なんか、推測ばっかりで信憑性に乏しかったですね――』


 読者にもそんな感情を持たれる程度の、週刊誌の記事。

 その程度の記事だというのに、責任を取らされた院長や剣持。

 あまりの出来過ぎた話に、作為的なものを感じる。

 見え隠れする謀略。

 予感が違うものへと、徐々に姿を変えていく。


『――うーん……。鳴海沢さんて、水野江工業や銀行を調べてましたよね。そして、今度は病院のことを聞いてきて……。ひょっとして、探偵さんなんですか?』


 探偵。便利な職業かもしれない。

 話を聞く度にいちいち理由を考えるのも面倒だし、そういうことにしておくか。


「まあ、そんなところだよ。それでちょうど、君の親友が入院してたことを思い出してね。彼女にも話を聞けるとありがたいかな」

『わかりました。またお見舞いに行こうと思ってたところですから、ご一緒しましょう。私は今度の水曜日がお休みなんですけど、その日でいいですか?』

「もちろん、合わせるさ。ありがとう、助かるよ」

『それじゃ、仕事に戻りますね。では……』


 本当は、メグに話を聞きたいわけではない。

 唯子と同い年のメグじゃ、出てくる情報なんて大差ないだろう。

 そんなものは建前。病院に潜り込む口実ができれば、それで充分だ。

 何の疑いも持たない唯子。相変わらずのお人好しっぷり。

 さらに、地元民で職業も不動産関連、今後も役に立ってくれそうだ……。




「――私を、鳴海沢さんの助手にしてくれませんか?」


 待ち合わせ場所の凪ヶ原総合病院。玄関で再会するなり、唯子が声を上げる。

 唐突過ぎる頼み事に言葉を失う。

 突然、何を言い出すのか。


「助手って……何の話?」

「私、小さい頃から憧れてたんです、探偵の助手に。だからこの間お手伝いした時も、すっごいワクワクしたんですよ。あー、それっぽいって――」


 唯子の意外な一面を垣間見た。

 そして探偵じゃなくて、助手に憧れるところが唯子らしい。

 だがどう考えても、嘘もつけない唯子に勤まる職種ではないだろう。


「――だから、鳴海沢さんが探偵だって知って、これはもう助手にしてもらうしかないって……」

「俺は、助手は取らない主義だから」


 一体、どんな主義なのか。自分で言っておきながら意味不明だ。

 だが、助手を申し出られてもはなはだ迷惑。そもそも、俺は探偵じゃない。


「えー、そんなー。私の仕事ぶりじゃダメですか?」

「いやいや、そういうことじゃなくて――」


 簡単には引き下がってくれない唯子。

 その場しのぎについた嘘で、こうも苦しめられることになるとは。

 唯子に嘘をつくと、罰が当たるイメージだ。純真な天使を汚すなとの、神の思し召しか。


「――はぁ、わかったよ。助手は取らないけど、これからも手伝ってもらうことはあるかもしれないから、そのときはよろしく頼むよ」

「はい、わかりました。何でも言ってください、ボス!」


 唯子は冗談めかして、大袈裟な口ぶり。

 わざとらしく、ピンと伸ばした右手を額にやり、敬礼のポーズまで取ってみせる。

 それじゃ警官だろう。思わず額に手を当て、目を伏せる。

 この件が片付いたら、また着信拒否にしてしまおうか……。




 メグの病室に到着。だいぶ回復したようで、元気そうだ。

 あの時の個室とは違って、一室六人の大部屋に移っていた。


「メグ、元気にしてた?」

「あ、唯。いつもサンキューね」

「随分と元気になったみたいですね、メグさん」

「あ、あん時の彼氏さん。今日も仲良しさんじゃなーい。おかげで、もうすぐ退院できそうだよー」

「ちょ、ちょっと。だから、鳴海沢さんとは違うんだってば……」


 誤解されて顔を赤らめる唯子。何をヘラヘラしているのか。

 中途半端な取り繕い方をするから、さらに誤解が深まるのをわかっていない。冗談なんて、毅然とした態度で否定すればいいものを……。

 そんな、親友同士の和気藹々としたムードに水を差すのは申し訳ないが、こちらも早く行動に移りたい身の上。遮るように、単刀直入に話を切り出す。


「今日はちょっと、メグさんに聞きたいことがあってね」

「メグでいいって。さん付けされると、あんま可愛く聞こえないじゃーん」

「じゃあ、メグ……。あんまり大きい声じゃ言えないけど、この病院で起きた医療ミスについて、何か知らない?」

「えー、そんなことあったかなー。唯、知ってる?」


 唯子に話した建前上、一応筋を通す。

 期待はしていなかったが、予想通りの展開だ。まあ、こんなものだろう。

 形式的な義務を果たし、いよいよ本番の調査に向かう。

 しかしその出鼻をくじくように、カーテンの向こう側から声が掛かった。


「――どんなことが知りたいんだい? お隣さん」


 びっくりしてベッドを隔てるカーテンを開くと、そこには仰向けに横たわる老女。

 髪は真っ白で、鼻には酸素チューブ、点滴をしたまま顔だけこちらに向けている。


「何か、ご存じなんですか?」

「あたしゃ、この病院は長いからね。何でも聞いとくれよ」

「じゃあ早速……、一体どんなミスだったんですか?」

「知らん! ――」


 思わず手で顔を覆う。

 大見得切っておいて、直後にこれか。

 かまって欲しいだけの、年寄りの戯言だったか。


「――剣持先生にもわからんもんが、あたしにわかるわけないじゃろ。患者はまだ子供だったみたいじゃが、手術も成功して順調に回復していたらしいよ。でも、ある日突然急変して、そのまま亡くなった。いくら調べても、納得いく原因はわからなかったって話じゃ」

「週刊誌にも記事が載ったんですよね?」

「ああ、じゃがあんなもん、記事とも呼べんわ。あたしゃ当時から入院しとったが、話題にはなったよ。でも、入院患者の誰も信じとらんかったし、あっという間に噂も消えていった。あれじゃ、院長先生と剣持先生がかわいそうじゃ」


 第一声には幻滅したが、続く話をよくよく聞いてみれば、剣持の言った通りだ。

 これは、思った以上の有力情報かもしれない。


「人も随分と入れ替わったみたいですね」

「院長先生が責任を取って辞め、剣持先生も格下げになってその後辞めてった。副院長が院長になって、内科部長が副院長に。看護師長も、その時に入れ換わったんじゃったな。事務の方でも何やらあったらしいが、そっちまではわからん」

「なるほど。詳しい情報、ありがとうございました」

「こっちこそ、ちょっとした退屈しのぎができたわ。また、いつでもおいで」

「それじゃ、メグさんもお大事に。川上さんも、どうも」


 貴重な情報提供に感謝して、老女に深々と頭を下げる。

 続いて二人にも感謝の会釈。

 とはいっても、病院潜入の口実に使っただけだが。


 幸先の良い、情報提供者との巡り合わせ。

 渦巻く陰謀を暴いてくれと、まるで後押しされているかのようだ。




(――さあ、執刀といこうか。悪性の腫瘍は取り除いてやらないとな……)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る