第7話 支配する男

 高く張り巡らされた、そびえたつコンクリートの壁。

 そこかしこに設置されている、防犯カメラ。

 そして通用門を厳重に守る、警備員。

 ネットで調べた住所から、さっそく訪れてみたのは水野江工業。

 着慣れないスーツに身を包み、フリーライターに成りすましてはいるが、とても部外者が気軽に立ち入れる雰囲気ではない。


(やっぱり今日のところは、周辺調査にとどめておくか……)


 昨夜は久しぶりに、身体を目一杯伸ばして寝られたので快調だ。

 それで調子に乗って、本拠地に乗り込んでみるかと威勢の良いことを考えたが、この雰囲気に足がすくむ。

 やっぱり当初の予定通り、周辺の町工場を訪ねて回る作戦にしておこう。唯子の言う、水野江工業から受けていると思われる被害の調査が本命なのだから。



「すいません。取材で社長さんにお話を伺いたいのですが」

「は? もうちょっと大きい声で!」

「社長さんはどちらですか!」


 すべてをかき消す、やかましい機械の音。思った以上に声を張り上げないと、とてもじゃないが会話にならない。

 偽物の名刺を差し出し、怒鳴りつけるように入り口付近の作業員に尋ねる。

 油まみれの軍手を外し、面倒そうな表情で名刺を受け取る作業員。真っ黒い指紋だらけで、読み取れるか怪しくなった名刺を片手に、奥へと入っていく。


 案内されるままについていくと、そこには溶接作業中の人物。

 そして指差しながら「この人ですよ」と若者は告げると、不愉快そうに元の場所へと帰っていく。作業の中断が迷惑だったのだろう。


「社長さんですか?」


 必要最小限の言葉で、大声で尋ねる。

 溶接のマスクを外して表れたのは、赤黒く焼けたような肌の色の骨ばった顔。

 小柄な五十過ぎの男は、職人という言葉がぴったりだ。


「あんたは?」

「雑誌の取材です」

「そんなもんに付き合ってる暇はねえ。帰ってくれ」


 あっさりと断られた。

 だが『はいそうですか』と引き下がるには、あまりにも早すぎる。

 サングラスを外し、用件をズバリとぶつける。


「水野江工業さんのことで、聞きたいことがあるんですよ」

「何が聞きてえんだ。こっちは忙しいんだよ」


 水野江の名前を出して飛び込んでくるのは、やはりひどい有様の映像。

 あの男には、随分と苦渋を飲まされているようだ。


 映し出される記憶は、頭を下げ、謝っている場面ばかり。

 取引相手という円満な関係にはとても見えない。むしろ、受ける印象は奴隷扱い。

 こんな目に遭っているのなら、思うところもあるだろう。

 さらに詳しく話を聞き出すために、ズバリと質問をぶつけてみる。


「水野江製作所には、恨みとか色々あるんじゃないですか?」


 その言葉に、男の表情は険しくなる。

 そして口を真一文字に結び、目を閉じたかと思うと、次の瞬間に一気に開かれる。


「馬鹿野郎! てめえ、うちの工場潰す気か! そんなもんねえよ。早く帰れ!」


 予想外の言葉と、その声の大きさに思わず首をすくめた。

 そして男は立ち上がると、言葉だけでなく、身体を小突く。

 工場から追い出すように、小突く。

 さらに小突く。

 二度三度と繰り返されるその光景に、周囲の従業員も作業の手を止める。

 これだけ注目を集めては、とても居たたまれない。そのまま工場を後にした。



 気を取り直して二軒目。

 今回はやや大きめの小奇麗な建物で、やかましい騒音もあまり漏れてこない。

 今回は怒鳴る必要もなく、インターホンで用件を伝える。


「すいません、取材で社長さんのお話を伺いたいのですが」

「少々お待ち下さい」


 自ら社長と名乗った、六十近い中肉中背の男が玄関を開く。

 老眼鏡と思われる眼鏡をかけ、白髪も随分と多く、全体的に見ればグレーの髪。そして、人の良さそうな穏やかな表情。

 差し出した偽物の名刺を受け取った社長は、ざっと社内を案内すると、応接室へと招き入れた。


「どんな取材なんですかね?」

「町工場の現状のレポート記事です」

「なるほど……」


 さっきは、ストレートに質問をぶつけすぎて失敗した。

 今回は慎重に、水野江の名前を出すのも様子をみてからにしよう。

 だがサングラスは外し、いつでも目を合わせられる準備は怠らない。

 

「まずは、会社設立の辺りからお話を――」


 雑誌の取材がどんな手順で行われるかなど、わかりはしない。

 それっぽく見せるために、普段から持ち歩いているボイスレコーダーをテーブルに置く。録音しているように見せるが、スイッチは入れていない。電池がもったいない。

 そして、メモを取ってみせながら、適当な質問を並べたてる。

 水野江の話に誘導できそうな回答待ちだ。

 機をうかがう。


「――次に、町工場ならではのご苦労などお聞かせ願いますか?」

「そうですねえ……。やはり、景気の煽りをもろに食らうところでしょうね。私どものような下請けは、元請けがよろめいただけで簡単に転びますからね」


 この回答なら『水野江工業』の言葉を出しても不自然ではないだろう。

 さっそく社長の目を見て、質問を切り出す。


「この辺りで元請けって言いますと、水野江工業さんあたりですかね?」

「ええ、水野江さんには頭が上がりませんよ。うちは、あそこでもってるようなもんですから」


 やはりか。

 社長の穏やかな表情とは裏腹に、厳しい現実が飛び込んでくる。

 辞表を提出する従業員、それを引き留める姿。

 水野江工業の名前を出してそれが見えたということは、何か関連があるのだろう。

 嫌がらせに耐え切れなくなったのか、それとも引き抜きか……。

 そして、土下座までして水野江を見上げる姿。

 さらにそれを虫けら扱いで見下す、水野江の憎らしい表情。


 この社長もまた、水野江に煮え湯を飲まされているのは明らかだ。

 さっきほどではないが、やや直接的に探りを入れてみる。


「そんなご関係ですと、無茶とか言われませんか?」

「何を聞き出したいのかわかりませんが、親切にしてくれてますよ。良好な関係を保ってますね」


 一瞬顔をひきつらせたように見えたが、すぐに穏やかさを取り戻す。

 この分では、ここでも水野江の悪行を聞き出すのは困難そうだ。


「今日は急な取材にもかかわらず、ありがとうございました。紙面の都合上掲載できるかはお約束できないですが、もしも掲載の際には一冊お送りさせていただきます」

「楽しみに待ってますよ」


 永遠に雑誌など発刊されはしない。

 あらかじめの言い訳をして、工場を後にした。



 その後何軒回っても、結果はどこも似たようなものだった。

 結局わかったのは、水野江工業の絶大な影響力。

 そして些細なことでも、下手なことを口走らせない圧倒的な支配力。

 誰も水野江の悪事を語らない。

 もう日も落ちた。これ以上回ったところで、徒労に終わるだろう。


 最初に見た悪逆非道っぷりなら、付け入る隙はいくらでもあると踏んでいたが、どうやら甘かった目論見。思った以上に隙がない。

 でもまあ部屋も借りたことだし、じっくりと長期戦に持ち込むとするか……。

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