第16話 許されざる男

 城戸崎の視線の先にあったもの。それはテーブルについたままの、地味な男の姿。

 もちろんディーラーは残っていて当然だが、いつもなら五回のベットを済ませたらすぐに帰る地味な男が、まだそこにいる。


 そしてそれを城戸崎が見つめているということは、俺の指示があの男の賭けを元にしていることにも気付いているということだ。

 だがそれは織り込み済み。的中を言い当てた四回とも、あの男と同じ場所に賭けていれば、いくら城戸崎でも気付くというもの。だが、バレたところで彼らは五回の賭けが終われば帰るから、別に構わないと考えていた。


 しかし男は今なお、賭けを継続する気に満ち溢れている。

 そして漂う不穏な空気、とてもいやな予感がした……。


「帰りますよ。城戸崎さん」

「あ、お先にどうぞ。私はもう少し、残らせていただきますので」


 やはりか。城戸崎もまた、賭けを継続する気が満々。

 血走った目。荒い鼻息。そして帰宅に応じない強い意志。

 城戸崎をこのテーブルから引き剥がすのは難しそうだ。

 そして、この不穏な空気からみても、場が荒れるのはたぶん間違いない。


 思わぬ誤算に、選択肢は二つ。このまま帰るか、先まで見届けるかだ。

 今すぐに帰れば五百万円を確保した上に、イカサマとの関連も怪しまれずに済む。

 しかし、城戸崎の行動の結末を見届けることはできない。そしてこの後の、城戸崎から金を搾り取る計画にも支障をきたす。

 さらに、可能性は薄いが奴がまんまと大金を手にして、これまでのすべての悪事を帳消しにしてしまう可能性も否めない。


(そいつはちょっと、認められないな……)


 結局、選択肢などない。この場に残る一択だ。

 とはいえ、ここから先は何があるかわからない。神経をこれ以上なく研ぎ澄ます。

 サングラスを外して覚悟を決め、地味な男の向かい側へと移動すると、その一挙手一投足に集中する。

 もちろん、周囲への気配りも怠らない。ディーラーは当然、カモフラージュに使っている女、さらにまだ俺が気づいていない人物の可能性まで考慮に入れる。


 そしてベット開始のベルが鳴り、ゲーム開始。

 地味な男はいつも通り、十万円のチップを一枚手に取る。

 つられて反応する城戸崎。男はそれを見て、今度は俺に視線を向けた。

 相当に俺と城戸崎を意識している。やはりイカサマに便乗して、二千万円以上も稼いだのが気に障ったのだろう。

 となれば、これから先は素直に賭けてくるはずがない。


「ちょっと、一息入れるためにトイレでも行きませんか?」

「今、大事なところなんだ。行くなら一人で行ってください」


 肩にかけた俺の手を振り払う、血走った目の城戸崎。

 きっと忠告を耳打ちしたところで、聞きもしないだろう。

 熱くなって、周りが見えていない。これは、ギャンブルで大負けする前兆のようなもの。いわばフラグだ。

 城戸崎を降ろすことができない以上、仕方なく地味な男の正面へと戻る。

 そして、男も握りしめたチップを手元に戻したところで、ベット終了の合図。

 今回は何ごともなく、ゲームが終了した。


「……このまま続けても、あなたに勝ち目はないですよ……」

「……あんたの作戦がわかったんだ。もう一回、もう一回だけ賭けさせてくれ……」


 地味な男が賭けた場所が五回連続で的中したところを見て、完全に慢心しているのだろう。同じ所に賭ければ勝てると。

 城戸崎は気が付いていない、さっきとは場の空気が全然違うことに。

 テーブルを離れようとしない城戸崎には、これ以上の説得は無理だ。もっと詳しく説明したいところだが、いくら声を潜めても周囲には聞かれてしまう。

 もはや打つ手もなし、好きにさせるしかない。


 細長いルーレットのテーブル。

 ホイールを右側に見る位置に立つ俺。ちょうど向かい側に立つ地味な男。そしてその右隣りには、色気漂う女。

 城戸崎はホイールと正反対の位置で、賭けるべき場所の中央のコラムを目の前に見つめる。

 ベット開始のベルとともに、次のゲームが始まる……。


 最初に動いたのは女。

 豊満な胸を揺らしながら、右へ、左へと複数の場所に手際よくベットしていく。大きな動きで、野次馬の男たちの目をくぎ付けにしながら。

 その隙に、さり気なく十万円のチップを中央のコラムにベットする地味な男。

 ここまでは、過去の五回のベットのときと何も違いはない。

 中央のコラムを凝視していた城戸崎も、地味な男がベットしたのを見て動く。


 ――全額、中央のコラムへベット。二千万円の大勝負だ。


 さすがに、周囲の客もどよめく。

 的中すれば六千万円、外れればゼロ。確率は約三分の一。

 城戸崎のベットを見た地味な男は、今度は俺の顔色をうかがうように睨みつける。

 きっと、二人組だと思い込んでいるのだろう。だが、それはさっきまでの話。忠告を聞き届けない城戸崎など、もう見限っている。


 俺は動かず、ただ睨み返す。

 そして回されるホイール。

 地味な男がディーラーに視線を向けると、投げ入れられる球。まるで合図を待っていたかのようなタイミング。

 そして、再び睨みつけてくる地味な男。

 こちらの動きを確認したかったのだろうが、お陰で向こうの考えがハッキリとわかった。脳裏に男の考えが飛び込む……。


 ――緑【0】。


 慌ただしく動き始めたのは女。

 再び胸を揺らしながら、ベットしていたチップを引き上げていく。

 34、32……次々と引き上げられるチップ。城戸崎はそんなことには目もくれず、目の前に積んだ二千万円のチップを祈るような目で凝視している。

 女はさらにチップを引き上げていく。

 7、5、3……。

 俺は、その今にもこぼれ出そうな豊満な胸に向けて、そっと手を伸ばす。


「…………」


 当たる手の感触。

 そして顔を上げると、その触れた相手と目が合う。

 ニヤリとする俺。驚いた表情の、地味な男。

 お互いの手に握られているのはチップ。俺は百万、男は九十万。それぞれが【0】へとベットされた。

 そこで再びベルが鳴らされ、ベット終了。注目はホイールへと集まる。


 ベットされているのは、中央のコラムに城戸崎の二千万円と地味な男の十万円。

 女のベットは全て引き上げられ、賭け金はゼロ。

 そして【0】には二人の合計、百九十万。

 女の派手なベットの回収は、男が【0】に賭ける手を隠すための死角作り。だが、そんな手には引っ掛からない。


 そんな派手なやり取りが行われていたことすらも、全然気付いていない城戸崎。

 胸の前で手を合わせ、中央の縦一列の数字が出ることをひたすらに祈っている。

 勢いを落とし、ポケットへと吸い込まれる球。

 回転が徐々に緩やかになるホイール。

 周囲の野次馬も、二千万円の行方に注目する。

 そして、雌雄は決した。


 ――【0】。


 茫然自失のあまり、貧血を起こす城戸崎。

 三千万以上の配当を受けながらも、悔しそうな表情で睨みつける地味な男。舌打ちをしながら、テーブルを後にする。

 俺の配当は三千六百万。さらに手持ちの四百万を合わせて、合計四千万。

 換金へ向かおうとすると、何やら足に絡みつく感触。


「た、頼む。二千万、二千万貸してくれ。必ず返す。それに、何でも言うことを聞く。だから頼む……。この通りだ、助けてくれ……」


 床に額を擦りつけながら、これ以上ない態度で懇願する城戸崎。

 絵に描いたように見事な土下座だ。


「信念を貫いて勝負に出た姿、カッコよかったよ、城戸崎さん。その結果ほんの束の間だったけど、人生をやり直すチャンスも掴みかけたからね――」


 あの男の手だけを注意深く見ていたなら、城戸崎にも的中のチャンスはあった。

 そしてあそこで大金を掴まれていたら、俺も搾取はしきれなかっただろうし、横領した金もちゃっかり返済されていたかもしれない。


「――でもあんたは最後に選択を誤った。答えは目の前にあったのにね。目の前に賭けられた十万に目を奪われて、他の可能性を見落としたあんたのミスだ」

「もう一度、もう一度だけ……。チャンスをください。お願いします」


 涙を流しながら訴えかけるように見上げる城戸崎に、無情な宣告を告げる。




「――命運を賭すなら、もっと慎重になるべきだったな。手のひらからこぼれた天運は、もう戻ってはこないぜ」

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