第13話 立ち去る男
仲介役という立場の自分では、権利の放棄を阻む力はない。
だが、このまま終了なんて納得がいくか。
せめて、このタヌキじじいには、煮え湯を飲ませてやらないと気が済まない。
「ちょっと待て。こんなの謝罪に入るかよ。川上さん、あんたもあんただ。反省もしてないやつを許すなんて、お人好しがすぎるぜ!」
叱責の言葉に小さくなった唯子を尻目に、席を立つ。
そして、ズカズカとドアまで歩み、勢いよく開く。
そこには、聞き耳を立てていた記者たち。
制止する従業員を無視して彼らを招き入れ、水野江に向かって宣告する。
「ほら、謝罪お願いしますよ。自分の息のかかった金融会社から融資を受けていた川上さんを陥れて、工場を潰したのは私ですってね。周辺の工場があんたに頭が上がらないのを良いことに、川上さんの工場への仕事を全部引き上げるように指示したんだろ?」
「待て……。でたらめだ、そんな話」
「さっきは謝ってたじゃないか。謝罪するって言ったのは嘘だったのか? 誰も聞いていない所でしかできない謝罪なんて、謝罪とは言わないぜ」
記者たちが一斉にメモを取り始める。
囲まれる水野江。
役員たちも、対応しきれずにうろたえるばかり。
「ああ、そうだ。場所を変えましょう。謝罪はこっちでお願いしますよ」
水野江の腕を掴み、社長の机へと向かう。
何ごとかと、ぞろぞろと追従する人たち。
贅沢な革張りの椅子をどけて、床を晒す。
一見、何の変哲もない床。
しかしこの床に仕掛けがあることは、最初に会った時に見た記憶で知っている。
「ここでお願いしましょうか。あれー? なんかこの床、変じゃないですか?」
取り囲むように見守っている、記者や役員。
その表情は、どこか怪訝な面持ち。誰の目にも、普通の床にしか見えないだろう。
そして水野江も、若干顔を引きつらせながら、平静を装う。
だが、机のペン立てに刺さっていた、特殊なドライバーのような工具を手に取った瞬間、水野江の態度は急変。慌てた様子で掴みかかってきた。
「お、おい、貴様。なんでそれを……。ちょ、ちょっと待て」
「ちょっと、邪魔しないでくださいよ。誰か、押さえていてもらえませんか?」
水野江の、尋常ではない慌てぶり。
通常ならば擁護に回るべき役員たちも、これから起きる何かへの興味の方が上回ったらしい。水野江をなだめながら、引き離す。
そして自由になった右手で、その工具を床のほんの小さな穴に差し込むと、わずかばかり浮き上がる床板。そこへ指を掛けて床板を外すと、お目当てのものはそこにあった。
「おやおや、こんなところに金庫がある。役員のみなさん、ご存知でしたかー?」
ざわつく室内。
首を振る者、興味津々に覗き込む者、そして撮影を始める記者たち。
中には、存在を知っている者もいるのかもしれない。
だがこの衆人環視の中、申し出るやつなどいない。
水野江は完全に孤立した。
「役員さんたちも知らない、この金庫には何が入ってるんですかね? 水野江さん。開けてもらえませんか?」
「こんな金庫なんて知らない。わしは使ってないぞ。開け方だって知らないし、中身だって知らない」
苦し紛れの言い訳。
こんな場所にある金庫を、他の誰が使うというのか。
だがきっと水野江は、この場で開けられなければごまかせると判断したのだろう。諦めてみんなが帰った後、証拠隠滅でもする魂胆か。
サングラスを外し、水野江を睨みつける。
水野江は怯えながらも気丈に振る舞い、睨み返す。
「そうですか……。仕方ない」
金庫はボタン式。
ハンカチを取り出し、指紋が付かないように入力ボタンに指を伸ばす。
一桁目を入力して振り返ると、顔色を青ざめさせている水野江。
ニヤリと笑ってみせると、信じられない様子で見つめ返す。金庫を目の前にして、水野江の頭の中は開けられないことだけを、切に願っているに違いない。
だが、願えば願うほど鮮明に見えてくる暗証番号。頭の中はそれ一色。
水野江の記憶通りに一桁。
さらに、また一桁。
そして、九桁目の入力を完了する。
――ピー。
解錠を知らせる電子音。
その音を聞いて、ひざを折り、へたり込む水野江。
開かれた金庫の中には札束に有価証券、そしてきっと表には出せない書類。
記者たちが、こぞって写真に収める。
「役員のみなさん。まさかとは思いますが……、これは会社ぐるみですか?」
一様に首を振る役員たち。
共犯がいないとは思えないが、そんなことはどうでもいい。
きっと水野江は、全ての罪を押し付けられることになるだろう。
いい気味だ。少しはスカッとした。
予定では一億の半金の、五千万円を手にするはずだった。
これぐらいの八つ当たりでもしなけりゃ、気が治まらない。
「じゃあ、後はお任せします。警察を呼ぶなり、国税庁に通報するなり好きにしてください」
無残な結末を迎えた儲け話に対して、肩を落とし大きくため息をつく。
そして唯子を一瞥。彼女のお人好しを甘く見た俺のミスか。
用のなくなったこんな場所にいても仕方がない。退散するとしよう。
記者に取り囲まれるが、語るコメントなどない。
無言で掻き分けながら、もう一つの人溜まりの中心にいる水野江の所へ。
ネクタイを掴み、顔を引き寄せ、小さい声で呟く。
「――だから言ったろ。大人しく隠居生活でもしてろって」
「はあ、無駄骨かよ……」
独り言とは思えないほどに、はっきりと大きな声で呟く。
あれだけ時間をかけて調査した結果が、ただ一人の男の悪事を暴いただけじゃ割に合わない。
「正義のヒーロー気取りかよ! かっこつけるのも大概にしろよ」
自虐的に、再び大きな声で独り言。
まるで酔っ払いだなと、我ながら思う。
大きなバッグを抱え、向かっているのは凪ヶ原駅。
あれだけ目立つこともしたし、この街ともお別れだ。
短い期間だったが、この街でもやっぱり手掛かりは得られなかった……。
「あ、伯父さんですか? 和真です」
『どうしたのかね? こんな時間に』
「この間保証人になってもらったばっかりなんですけど、また引っ越すことになりそうなんで、前もって伝えておこうかと思いまして」
『またかね? 保証人は構わんが、フラフラとあっちこっち……。やっぱり、妙なことを調べて回ってるんじゃないだろうね』
「やだなあ、伯父さん。俺は色々な景色を見て回りたいだけですって。それじゃ、失礼します」
――俺は凪ヶ原を後にした。
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