第3話 お人好しの女

「――お財布、戻ってきて良かったですね」


(そんなわけあるかよ……)


 女は目の前で、我が事のように嬉しそうな笑顔を浮かべている。

 だが、本気でそう思っているのなら、よほどのお人好しだ。


 それにしても、俺は美味いものといったはずなんだが、この店はなんだ。

 いや、不味いとは言わない。そして俺だって利用することはある。

 誘いに応じてみれば、案内された店はファーストフード。

 早いところ空腹を満たしたかったとはいえ、こんなことなら自力で店を開拓するべきだった。後悔しながら、ハンバーガーにかぶりつく。


「……どうして、私が万引きを注意して追いかけられてたって知ってたんですか?」

「適当言ったら当たっただけじゃないかな。まぐれだよ」

「……あの人たちがお財布の拾い主だなんて、すっごい偶然でしたよね」

「そんなこともあるさ」


 質問にちゃんと答えていないことぐらいわかりそうなものなのに、彼女は笑顔を絶やさず、本気で受け取っている様子。

 真面目か。それもがつくほどの。


「そういえば、まだ名乗ってなかったですね。私、川上っていいます」


 名乗りながら差し出される名刺。

 そこに書かれていた名前は『川上かわかみ 唯子ゆいこ』。職業は不動産屋勤務らしい。


「わざわざご丁寧に。俺は鳴海沢なるみざわです」

「やっぱりご迷惑でしたか? 無理に引き留めてしまって、ごめんなさい」

「いや、別に」

「でも、ずっと窓の外を見てばっかりですし、つまらないかなって」

「そんなことはないよ」

「でしたら……こっちを向いてくれませんか? ほら、お話しする時は相手の目を見ましょうって言うじゃないですか」


 少しでも場を和ませようとしているのか、唯子は冗談めかして笑顔を振りまく。

 一体どんな人生を歩めば、こんな善人面ができるようになるのだろうと、逆に興味が湧く。こういうタイプの人間ほど、内面ではドロドロと腹黒いことを考えているものだ。

 それにさっき体当たりを受けた時に垣間見た、衝撃的な彼女の記憶。ついつい、野次馬根性が顔を出す。


(仕方がないな。ご要望通り、目を合わせてやるとするか……)


 色つきのサングラスを掛けていれば、相手の記憶は見えない。

 不意に目が合って、見たくもない過去を見せつけられるのはかなりの苦痛なので、常日頃はこうして対策を講じている。

 そのサングラスをそっと外し、唯子の要望に応えるべく、じっと目を見つめる。


「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「ちょ、ちょっと、そんなに見つめないでください。照れるじゃないですか」


 沈黙にこらえきれず、顔を赤らめながら目を逸らす唯子。

 純情かよ。


「それにしても、万引きを注意するとか真面目だな。普通はしないよ。いいとこ、店員にコッソリ教えるぐらいだ」

「父の影響ですかね。いつも真面目で、曲がったことが嫌いでしたから」


 そう言いながら唯子が思い浮かべたのは、優しそうに微笑む四十歳ぐらいの男の姿。これが彼女の父親か。いやちょっと待て、この顔には見覚えが……。

 間違いない。昨夜見た悪徳社長の記憶の中にいた。もちろん弱者の側に。

 急遽沸き立つ期待感。

 思いがけない手がかりの登場に、胸が躍る。

 しかし、ここで豹変しては怪しすぎる。表に出さないように平静を保ちつつ、探りを入れていく。


「なるほど、いいお父さんなんだね。何をやってる人?」

「父はもう他界しました」

「そうだったんだ。事故か何かで?」

「え、ええ。まあ、そんなところです……」


 そして突如、再び脳裏に飛び込む衝撃的な記憶。

 さっきぶつかった時に見たものと同じだ。

 この女は悪徳社長攻略の上で、貴重な鍵になりそうな予感。もっと関係を深めておいた方がいいだろう。


「そういえば、川上さんは不動産屋に勤めてるんだったね――」

「ああ! こんな時間。いっけない、遅刻だわ。慌ただしくてすみませんが、これで失礼します。今日は本当にありがとうございました」


 頭を下げ、慌てて店から駆け出していく唯子。

 携帯番号ぐらい聞き出しておきたかったが、逃げられては仕方がない。仕事を思い出させてしまった俺のミスだ。

 しかし、今の今まで仕事のことを忘れていたのか。やっぱり天然なのか。


 朝からずっとバタバタし通しだったが、やっと一息ついた。

 残っていたポテトを口に放り込み、安堵のため息。

 空腹も満たされ、緊張も緩むと、次に訪れたのは睡魔。それも強烈に。

 ……一気に深い眠りに落ちていく……。




 いたるところ塗装の剥げ落ちているアパートのドアを開けると、まだ夕方だというのに部屋の中は薄暗い。カーテンが締め切られているせいだろう。

 玄関に父の靴を確認すると端に寄せ、履く時に楽なように後ろ向きに靴を脱いで家に入る。

 入ってすぐの台所は三畳程度の広さしかなく、冷蔵庫や食器棚と日用品が雑多に置かれただけでもう飽和状態。狭いシンクには、学校から帰ってから洗うつもりだった食器が、洗い桶に突っ込まれたままになっていた。


『はぁ……。晩ご飯作る前に、これ洗わなきゃだわ』


 溜息をつきながら、帰りがてら買ってきた夕飯の材料を足元に置くと、制服のブレザーを手近な所に掛け、腕まくり。蛇口を捻り、出てきた水道水をスポンジに含ませ、食器用の洗剤も染み込ませる。

 これから夕食の支度だというのに、その前に一仕事こなさなくては。こんなことなら朝面倒臭がらずに、洗い物を片付けておけば良かった。


『お父さーん、今日仕事休みだったんなら洗い物ぐらいしてくれても良かったのにー』


 ちょっと愚痴っぽく声を掛けたが、返事はない。休みだったのなら、まだ寝ているのかもしれない。

 皿を洗っていると洗剤の泡がスカートに跳ねた。

 やっぱり明日も着なければならない制服のままじゃ、気になって洗い物も満足にできない。多少汚れてもかまわない普段着に着替えよう。


『お父さん、寝てるのー?』


 着替えるために居間に入ろうとガラス戸を開けたその瞬間、目の前にあったのは……。


 ――ロープで首を括ってぶら下がる、父親の姿だった。



(……ハッ!)


 身の毛もよだつ恐怖と共に目が覚めた。どうやら、居眠りをしていたらしい。

 唯子の衝撃的な記憶を見るのも、これで三度目。

 とはいえ、身構えようもない夢の中では、衝撃は計り知れないほどに強烈だった。

 早まっている鼓動を落ち着けようと、胸に手を当てながら深呼吸を繰り返す。


 他人の記憶を長らく覗き見ると、極度の疲労感に襲われる。

 気を失うように眠りに落ちたのも、きっと不良の二人に唯子と、立て続けに三人分も深く記憶を覗き見たせいだろう。

 そしてこの夢。これも能力の副作用のようなものだ。

 能力を使っても記憶の映像が見えるだけで、音や感情などはわからないというのに、夢ではこんな調子。一種の妄想なのだろうか……。


(とんでもない夢を見たもんだな……。あんな記憶見るんじゃなかった)


 唯子の記憶を覗き見た後悔と引き換えに得た、大きな収穫。

 唯子の父親は、昨夜の悪徳社長とつながりがある。そして首を括っての自殺となれば、かなり核心に迫れるに違いない。

 さらに情報を知る唯子は不動産屋勤務。

 どうせ腰を落ち着ける場所も欲しかったところだし、部屋探しを兼ねて彼女に近づくとするか……。




 ――俺はサングラスをかけ直し、店を後にした。

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