第2話 絡まれる女

「――ああ、身体中が痛い……」


 晴れ渡った青空に向かってひと伸び。

 サングラス越しにも太陽の眩しさが目に突き刺さる。

 身体を戻すと、正面に見えるのは夕べ降り立ったばかりの凪ヶ原駅。

 ビルが乱立するほどの都会ではなく、かといって風光明媚な観光地を売り文句にするような土地柄でもない。

 なので駅周辺にもホテルはなく、一夜を明かす場所として選択したのは駅前のネットカフェ。その狭い部屋の一室で、身体を折りたたむように仮眠を取った結果が、この身体中の軋みだ。


 腰を落ち着けるからには、まず部屋探しか……。

 いや、でもその前に腹ごしらえか……。


「おい! 待てって言ってんだよ!」

「逃げんなよ! コラ!」

 

 怒鳴り声に思わず振り返ると、目の前に迫る髪の長い女。

 すでに避けられる距離ではない。


「きゃっ!」


 女は後ろを向きながらこちらへ突っ込んできたが、抱き止めて難を逃れた。しかし、その拍子にサングラスがはじけ飛ぶ。

 そして驚いて振り返った女と、つい、見つめ合う体勢に。『この女もか……』そんな言葉が頭をかすめたが、今はそれどころではなかった。


「なあ、邪魔しないでくんねえ? 俺ら、その女に用があんだけど」

「うぜえから早く消えろよ」


 不機嫌そうな顔でこちらを睨んでいるのは、この女を追っていた男の二人組。

 制服を着崩し、パーマをかけた、古い学園ドラマから抜け出てきたような、悪そうな感じの高校生だ。

 一方追われていた女の方は、涙を浮かべながら顔を青ざめさせている。

 歳は二十歳ぐらいで、目はパッチリと大きい、可愛いタイプの女。雰囲気は良く言えば穏やかそうな、悪く言えばどんくさい感じ。


 こんな奴らに関わると面倒なのは間違いない。とっとと立ち去るに限る。

 ところが背中に回りこんだ女は、俺の身体に身を隠す。盾代わりのつもりか。

 振りほどこうと女の手を掴むと、今度は二人組から怒鳴りつけられた。


「あん? 正義のヒーロー気取りかよ! かっこつけるのも大概にしろよ」


 思わず漏れるため息。

 完全に勘違いされている。巻き込まれたって奴だ。

 仕方なく、弾き飛ばされたサングラスを拾い上げ、二人の男の目を順番に睨み返す。


「それで? 何を必死に鬼ごっこしてたんだ? いい歳して」

「うるせえな。おめえには関係ねえんだよ」


 煽り言葉に触発されて、表情を険しくする二人。単純だ。

 そして二人組は威嚇のつもりだろうか、首を捻ったり、握った拳の関節を鳴らしたり。きっと、喧嘩には自信があるに違いない。

 ならば、こちらはこちらの武器で対抗だ。

 たった今読み取った記憶を、男たちに突きつける。

 

「万引きを見つかったお前らが悪いんだろ。それを、逆切れして追い掛け回すってのはどうなんだ?」


 図星を突いた発言に、動揺する二人組。

 『なんでこいつが知っている』明らかにそんな顔をしながら、お互いに顔を見合わせる二人。

 そんな彼らには構わず、容赦なく攻撃を継続する。


「おまわりさんのとこ行こうか」

「万引きは、現行犯じゃないと捕まえられねぇんだよ」

「そんなことも知らねぇのかよ」


 今度は開き直る二人組。だがその言葉は、自白とも取れる発言だ。

 きっと、二人とも気付いてはいないのだろう。だが別に、こちらも二人を捕まえて更正させたいわけじゃない。


「でもお前ら、捕まってもおかしくないことしただろ?」


 これだけ悪ぶってる二人なら、何かあるに違いないと鎌をかけてみた。

 そしてあっさりと、頭の中に記憶を蘇らせる右の男。こいつは使えそうだ。

 さも知っている風に、ニヤリと笑みを浮かべてみせる。


「そ、そんなことするわけねえだろ」

「ハ、ハッタリとか調子こいてんじゃねーぞ」


 動揺を大きくする二人組。

 この程度でこれほどの反応を示すなんて、根っからのワルではなさそうだ。

 自分とさほど歳が離れていない二人の純朴さ。きっと平穏に育ったのだろう。羨ましくさえ思える。


「お前このあいだ、拾った財布から抜き取ったクレジットカードでゲーム買ったよな――」


 やや弱気に見える右の男の首に手を回し、威圧感を与える。

 そして、キッパリとした口調で言い放つ。


「――それは、れっきとした犯罪だ」


 二人組は顔を引きつらせ、目まで泳ぎだした。

 その表情はすでに罪を認めたようなものだが、まだ認めたくないらしい。


「な、何の話だよ。意味わかんねーし」

「し、証拠は、証拠はねーだろ。……適当言ってんじゃねえよ」


 男は気まずさからか、視線を外した。

 明らかに最初の強気だった態度はなりを潜め、開き直り方も強引になっている。こうなってしまえば、場の雰囲気は完全にこちらのペースだ。

 突きつけた言葉から引き出した男の記憶を、さらなる武器として繰り出す。


「あるさ。その財布は俺が落とした物だからな。おいお前、財布出してみろよ」


 右の男の首に腕を回したまま、今度は左の男に指を突きつけ言い放つ。


「な、なんでだよ。嫌なこった」


 強気に突っぱねる左の男。

 しかし右の男の顔色は対照的に、みるみるうちに青ざめていく。

 その表情の変化を見て何か感じ取ったのか、つられるように強気な表情が、次第次第にこわばっていく。


「お前の財布、こいつからもらったよな。それが拾ったっていう俺の財布だ。これ以上の証拠があるのかよ」


 とうとう証拠まで揃った。

 完全に形勢が逆転し、追い詰められるかたちとなった二人は、顔を見合わせ沈黙している。


「さあ、交番行くぞ。言いたいことがあるならそこで言え」


 首に回した腕に力を込め、恫喝する。

 すると、もはや言い逃れる術はないと悟ったのか、二人組は手のひらを返したように謝り出した。


「すいません! 勘弁してください!」

「さーせんした!」


 真っ青な顔で、この場から逃げ出そうとする男。

 だが、首に回した腕に力をこめて、それを阻止。

 詫びの一言で済ませようなど、虫が良すぎる。


「おい! 財布出せって言ったろ。財布を返すっていうなら許してやるよ」


 渋々と財布を取り出す左の男。

 返却のために、中身を取り出そうとしている。


「おいおい、そのまま出せよ。拾った時だって空じゃなかっただろ? おい、お前もだぞ。嫌だって言うなら警察呼んで、白黒つけようぜ」


 最終宣告。

 警察という言葉を改めて出されて、完全に二人は折れる。

 右の男は仕方なさそうに、左の男は納得のいかない様子で、それぞれ財布を差し出した。


「行っていいぞ。今日のところはこれで許してやる」


 財布をまんまと二つせしめ、懐にそのまましまう。

 肩を落としながら去っていく二人組。

 そして心の中で呟く。


(まいどあり……)


 二人組の男を無事撃退。

 収穫は財布が二つ。

 悪くない結果にほくそ笑みながら、サングラスをかけ直す。

 そして立ち去ろうとしたとき、背後から申し訳なさげな女の声がした。


「あの……、本当にありがとうございました。思いっきりぶつかってしまった上に助けていただいて……」

「いや、お礼されるようなことはしてないから」


 ああ、そういえばきっかけはこの女だったっけ。

 形式上助けたことにはなるのだろうが、感謝されるような行いをしたつもりはない。

 そんなことよりも腹が減った。

 適当にお茶を濁して、この場を去ろうとするが、しつこく呼び止める声。


「ちょっと待ってください」

「まだ何か?」

「何かお礼をさせてください。そうでもしないと気が済まないので……」

「それじゃ、何か美味いもの食わせてくれますか? 腹ペコなんで」


 お礼なんて、借りを作るみたいで気乗りはしない。

 だが彼女の気もこれで晴れるだろうし、こちらの空腹も満たされる。まあ、無難な落としどころか。




「――はい! 私のお気に入りのお店、ご案内しますね」

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