第2話 デートをする男
「――あのお店、臨時休業なんてひどいです。せっかく楽しみにしてたのに……」
頬を目いっぱい膨らましながら、車を運転する唯子。後部座席には、昼間の買い物の品々が無造作に積まれている。
今日はだだっ広いショッピングモールを、延々と歩かされてクタクタだ。
挙句の果てに、予定していたイタリア料理の店は臨時休業。
自信たっぷりに唯子が薦めていたので、期待に胸を膨らませた反動は大きい。
「まあ、残念だったのはわかるんだけど、どうしてこうなるの?」
「締めの食事までが、今日一日の完璧なプランだったんです。台無しにされた以上、今日は鳴海沢さんの家で晩ご飯を作らせてもらいますから」
「いや、完璧なプランって……。お腹空いてるし、手近なファミレスでもいいんじゃない?」
デートだったかのような、唯子の口ぶり。
買い物に付き合ってくれと言われたから、同行しただけだというのに。
手料理を振る舞ってもらえるのは嬉しいが、空腹も極限。すぐに食べられるコンビニ弁当の方が、今日に限ってはずっとありがたい。
「普段、ちゃんとしたもの食べてないでしょ? だから今日は、私がちゃんとしたもの作ってあげます。こう見えても、お料理は得意なんですよ?」
「料理の腕を疑ってるわけじゃないよ。それにこう見えても、ちゃんとしたものだって食べてるよ? 外食だけど……」
「外食じゃリラックスできないでしょ? もう材料も買っちゃったし、いいじゃないですか。お家でくつろぎながら、ちゃんとしたお食事をするのもいいものですよ?」
鼻歌まじりで、機嫌良く運転する唯子。
さっきまで憤っていたのは、いったいなんだったのか。
それに外食に否定的だが、そもそも外食を予定していたんじゃなかったのか……?
相変わらずのボロアパートに到着。
階段は相変わらず、いつ踏み抜くかわからない錆びだらけ。そこを二人で上ると、出会った初日を思い出す。
あの時は表情を強張らせていたというのに、今は穏やかなものだ。
きっと、父親の自殺の真相が明らかになったことで、彼女は吹っ切れたのだろう。
階段を上り切り、部屋へと向かうと、そこには膝を抱えた子供の姿。
見たところ四歳から五歳。いつも安眠を妨害してくれる、隣の子だろう。
こんなに小さいんじゃ、聞き分けがなかったのも無理はないか。
「どうしたの? おうち入れないの?」
「…………」
心配そうに、子供に問い掛ける唯子。
子供は、一度は声のする方に振り返ったものの、無言でまた膝を抱えた。
それを見て唯子は、子供と視点を合わせるためにしゃがみこむ。
だが俺は、そんなことよりも腹が減っていた。
「どうせ親に怒られて、締め出されたんだろ?」
「お父さんかお母さんは?」
「何してんだ? 早いとこ飯にしようぜ。もうお腹がペコペコだよ」
さらに夕食が遅れそうで、少しイラつく。
レストランの臨時休業で、既にお預けを食らっているというのに……。
――ぐぅ……。
俺の言葉に刺激されたのか、子供のお腹が鳴る。
「お腹空いてるの?」
「…………」
唯子の問いかけに、無言でうなずく子供。
それを見て、唯子がこちらを見上げる。
同情を求めるようなその表情。何も口にしなくても、言いたいことは明らかだ。
「ああ、わかった、わかった。これから、このお姉ちゃんが料理作ってくれるから、おとなしく待てるなら食わせてやるよ」
その言葉に、露骨に表情を明るくする子供。
そんな顔をされては仕方がない。ドアを開け、唯子と子供を招き入れる。
さっそく台所で、夕食の支度を始めた唯子。
子供は親指をしゃぶり、その足元にしがみついて離れない。
「ここは危ないから、お兄ちゃんとあっちで待っててね」
「…………」
「ほらほら、蹴っ飛ばしちゃったら大変だから、あっちで。ね?」
唯子が動く度に、追いかけるようにまとわりつく子供。
この分じゃ、さらに夕食の出来上がりが遅れかねない。
俺は強引に背後から子供を抱きかかえ、居間へと連れて行く。サラダ用に置いてあったハムを、一枚くすねて。
居間に腰を下ろし、くすねてきたハムを子供の前に差し出す。
子供は一瞬ためらったが、次の瞬間奪い取り、すぐさま口の中に押し込んだ。
(どれだけ飢えてたんだか……)
あっという間に子供はハムを平らげると、また台所へと駆け出していく。
なかなかの食いしん坊ぶり。それならそれで、いい作戦がある。
唯子からロールパンを一つ分けてもらい、居間へ。
これを餌に、子供をおびき寄せる。
「こっちでおとなしく待てるなら、これをやるぞ」
その声に振り返った子供。
見せつけたパンに引き寄せられるように、素直に駆け寄ってきた。
だが、まだお預け。
手の届かない高さにパンを掲げ、子供に質問してみる。
「名前は?」
「…………」
「歳はいくつだ?」
「…………」
親指をしゃぶり、不満そうな表情を浮かべる子供。
相変わらずのだんまりだ。
「教えてくれないなら、このパンは俺が食うぞ。いいのか?」
「うー……。あーちゃん……。よっつ……」
「そうか、あーちゃんか」
ご褒美代わりに、パンを一口大にちぎって渡す。
それを嬉しそうに口に放り込む、あーちゃん。
こうやって時間潰しでもしなければ、唯子の料理が出来上がるまで間が持たない。
それにしても、四歳ってこんなものだろうか?
もう少しはっきりしゃべっても良さそうな……。
しかし人見知りかもしれないし、なによりも他人事だ。
「お待たせー。ごめんね、遅くなっちゃって」
鍋は一つだけ、食器だって自分用のみ。
そんな質素な台所で作られたのに、美味そうな匂いが部屋に漂う。
以前ゴミ置き場で拾った、歪んだちゃぶ台の上には豪勢な料理の数々。
ビーフシチューにサラダ、そしてバターロール。
レストランで出されてもおかしくないような、見事な出来栄え。
使い捨ての食器なのが、申し訳ない限りだ。
「さあ、食べましょうか。いただきます、しましょう。あーちゃん」
聞く耳も持たず、素早く素手でパンを掴もうとするあーちゃん。
その手を捕まえて、力ずくで両手を合わせさせる。
「いただきますだろ?」
「……いただきます……」
照れくさそうな、消え入るような声だったが、素直な挨拶だ。
ビーフシチューをスプーンですくって、息を吹きかけて冷ましてやる唯子。
それを輝いた目で見つめる、あーちゃんの期待感溢れる表情。
そこへ、夕食のひと時に割り込む、ドアのノック音。
――コンコン。
こんな時間に訪ねてくるなんて、どこかの公共放送だろうか?
テレビなんてどこにもないので、こっちは怖いものなしだ。
そう思いながら無言でドアを開けると、立っていたのは少し年上の男女。
男の方は、部屋の様子を覗き込むように探ると子供の姿を見つけ、ドカドカと強引に押し入る。
「この野郎! 勝手に人の家で、食事まで恵んでもらいやがって」
「いえいえ、外でぽつんとご両親のお帰りを待ってたみたいだったんで――」
「余計なことしないでもらおうか。こいつは甘やかしたら、すぐ調子に乗るんだよ」
泣き叫ぶあーちゃんの腕をひっつかみ、容赦なく食卓から引き剥がす男。そしてそれを、無言で見つめる女。
引越しの挨拶もなかったので初対面だったが、どうやらこの二人がこの子の親か。
そもそも自分たちの外出が原因だというのに、一方的な言い分。
さすがに、お腹を空かせていたあーちゃんが可哀そうだ。
「まあまあ、せっかく夕食を目の前にしてたんだから……。食べ終わったら、お宅に送り届けますよ」
「うちにはうちのやり方があるんだよ。もしも変な物食わされて、具合が悪くなったら責任取ってくれるのか?」
「どうやら、差し出がましい真似だったみたいですね。もう、勝手にしてください」
そこまで言われては、ため息とともに引き下がるしかない。
アレルギー体質だったり、食事制限が必要な病気だってあり得る。あーちゃんのことは、俺たちには何もわからないのだから……。
泣き喚き過ぎてえずきながらも、ずっと料理を見つめていたあーちゃん。
両親に連れられ、ドアが閉められる。
そして、間を置かずに隣から聞こえてくる、あーちゃんの泣き声。
あの父親に叱られているのだろうか。
「余計に可哀そうな思いさせちゃったみたい……。ごめんね、あーちゃん」
「他人の家庭に首を突っ込むと、ろくなことはないな」
「冷めない内に食べましょうか……」
「美味しいな、これ。得意って言うだけあって、料理上手だね」
「ありがとう……」
気を取り直し、二人で再開する晩餐。
しかしこれでは、せっかくの料理も台無し。
――あーちゃんの泣き声が、いつまでも耳に響いていた。
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