認めない男

第1話 認めない男

「――凪ヶ原に蔓延はびこっていた反社会的勢力は、【大山鳴動たいざんめいどう】と名乗る市民集団によって、壊滅を余儀無くされた……か」


 軽くため息をつき、黒い表紙のスクラップブックを閉じる。

 あざみ台の騒動から逃げるように、舞い戻った凪ヶ原。

 当面の生活に困らない金は得たが、暇があれば露店を開く習慣は変わらない。

 だがここでは、よく当たるなんていう噂も立ってしまったらしい。

 今度は少し場所を変えて、寂れた飲み屋の連なる路地で、ひっそりと店を出す。


 注目を集めれば自由がなくなる。

 かといって、適度に外すなんてことはプライドが許さない。

 そんな自分に折り合いをつけるための、自衛の措置だ。


(やっぱり、これといった情報は見つからないな……)


 母から譲り受けたスクラップブック。新聞記者だった父が、生前に書いた記事が集められている。

 父がかつて訪れた場所に赴き、父が見たであろう景色を眺める。

 そして、父の遺品の取材手帳に記された人物から、生前の父の話を聞く。

 この露店だって、あわよくば父につながる人物に巡り合えればという思惑も含んでのこと。

 そんなことに意味があるのか、自分でもわからない。

 だがそれが、今の自分の素直な欲求だ。


 スクラップブックを見れば、今でもすぐに頭に浮かぶ。切り抜いた新聞記事を貼り付けながら、父の自慢を自分の事のように語っていた母の姿。

 そんな穏やかな日常も、六年前の父の自殺で幕引きとなった。

 いや、自殺と断定したのは警察であって、真実とは限らない。


(追いかけているのは、幻想なのかな……)


 足元に置いたバッグに、スクラップブックをしまい込み、再び顔を上げる。

 すると目の前に、一人の男が立っていた。


「…………」

「…………」


 椅子に腰かける気配のない男。

 そして、続く沈黙。

 見上げてみると、その男は四十代半ば。

 水野江の成金趣味とは違った身なりの良さで、上客の予感をかもす。

 しかし、黙ったまま突っ立ち、話し掛けてくる素振りも見せない。

 まあ、自分から話し掛けるのが苦手な人もいる。一声掛けて様子を見てみるか。


「なにか、お悩み事でも?」

「…………」


 男はさらに沈黙を続ける。

 見下すような視線、空気がさらに凍てつく。

 こういう商売をしていれば、変わった客には必ず出くわすものだ。

 少し苛立ちながら、同じ質問を繰り返してみる。


「なにか、お悩み事ですか?」


 男は相変わらず見下ろしたまま。

 しかし、口元に薄ら笑いを浮かべると、やっと口を開いた。


「そこから占ってみせろよ。占い師なら、それぐらい言い当てられるだろ?」


 非科学的なものは認めない。そういうタイプの人間なのだろう。

 酒が入っているようだが、泥酔はしていない。ストレスのはけ口に、困らせてやろうといったところか。よくある絡み方だ。


「言い当てられませんよ。占いじゃ」

「当然だよな。それで金を取ろうってんだから、阿漕あこぎな商売だな」

「そうじゃありませんよ。私がやるのは、占いじゃないって話です」

「今度は屁理屈か? 占いじゃないって言うなら、一体なんだって言うんだ」

「私に、未来を見通す力なんてありませんからね。その代わり――」


 サングラスを外し、冷ややかな眼で男を見つめ返す。

 仕返しとばかりに、口元に薄ら笑いを浮かべながら。

 そしてゆったりとした口調で、自信たっぷりに言葉を突き付ける。


「――あなたの過去を見つめ、進むべき道をご案内しますよ」


 男は椅子に腰掛け、机に腕を載せると、受けて立つとばかりに身を乗り出す。

 負けず劣らずの強気な態度。

 そして自信たっぷりに、言葉を突き返してくる。


「おもしれえ、やってもらおうじゃねえか。その代わり、俺は一言もしゃべらねえからな」

「ご自由に。ではまず、あなたの過去を見ますので、私の目を見つめてください。あなたを苛立たせる、その悩みを探ってみせましょう」


 酔っ払いに因縁をつけられた占い師の図。

 周囲には人だかり……とはいかないまでも、数人が何事かと足を止めた。

 しかし、男が静かに指示に従う姿を確認すると、騒動の収束を物足りなそうに、人々は再び帰途に就いていく。


 沈黙して、じっと見つめる男の目。

 経過した時間は三十秒ほど。

 充分すぎる時間。

 沈黙に耐え切れなくなったのか、男が口を開く。


「過去とやらは見えたかい? 俺の職業ぐらいはわかるのか?」


 挑発的な言葉。

 さらに、相変わらずの横柄な態度で、ニヤニヤとこちらを睨む。

 わかるはずがないという自信が、言動に表れている。


 だが、残念。

 確実とは言えないまでも、目を合わせた時点でとっくに予想はついている。

 真っ先に男が思い浮かべたのは病院の風景。どうやら、職業は医者らしい。

 悩みを探ると言われれば、無意識に頭に思い描いてしまうもの。となれば、原因はこれか。

 もちろん即答しても良かったのだが、わざと間を置いたのは、こちらのペースに誘い込むための演出だ。


「あなたは……医者? しかも、かなり大きい病院勤め。お悩みごとも、その辺りにありそうですね……」


 職業を当ててみせるときに、コールドリーディングでよく用いられる言葉は『人の役に立つ仕事』。取りようによっては、勤め人なら誰もが該当する。

 だがそれは、職業がわからないときの手段。

 今回は、曖昧な答えは使わない。ズバリと言い当てる。

 その言葉に、表情を少し引きつらせたものの、また沈黙する男。

 これだけでは不満ということか?

 だが表情と共に、浮かべる記憶にも変化が現れる。


「――手術……」


 脳裏に映った光景を呟くと、男は目が泳がせ、激しく動揺し始める。

 『手術』。それはどうやら、核心を突く言葉だったらしい。男は勝手に、記憶を走馬灯のように駆け巡らせ始めた。

 こうなれば、後は簡単なお仕事。

 映し出されたドラマのあらすじを語るだけ。


「さっき職業は医者と言いましたが、外科医ですね。……いや、元外科医と言った方がいいでしょう」

「ど、どうして、それを……。い、いや、ちょっと特殊な職業だからな。顔を知ってただけかも知れねえし……」


 口ごもり具合。そして、その言葉。職業は正解だったらしい。

 だが、男はまだ納得していない様子。

 まあ、いいだろう。さっき見せつけられた記憶の数々で、情報は充分に得ている。

 後は認めるまで、とことん打ちのめすだけだ。


「あなたは、順調に出世街道に乗っていたようですね。ですが、残念ながらあなたは躓いてしまったらしい。出世の道が閉ざされた原因は――」

「な、なんであんたが、そんなこと知ってんだよ」

「過去とやらを見つめさせてもらったんで、良く知ってますよ。あなたぐらいにはね。まだ続けますか?」

「…………」


 完全に男は沈黙。

 やめろの言葉すらもない。

 ということは、続けてもかまわないわけだ。

 それならばと、容赦なく傷口をえぐってやる。認めないお前が悪い。


「あなたは、手術の失敗という医療ミスを犯した――」


 男は、目を大きく見開く。

 その表情は険しく、今にも殴り掛かってきそうだ。


「――そして、かばってくれたのは……院長ですかね? ですがやはり、あなたは病院を去らざるを得なかった」

「わかった、わかった。俺が悪かった……。そこまで言われちゃ、認めないわけにいかねえ」


 さっきの時点で言葉を止めなかったことを後悔するように、慌てて言葉を遮る男。

 ここまで言い当てて、やっと事実を認める。

 完全勝利。

 だが、記憶を覗き見ているのだから、言い当てて当然。達成感も湧きはしない。

 しかし、男の方は完全に打ちのめされたらしい。

 見るからに最初の勢いは完全にしぼみ、気まずそうに頭を掻く。


「言いがかりをつけて悪かったな。これは迷惑料だ、取っといてくれ」


 男は力なく立ち上がる。

 ポケットに手を突っ込み、無造作に取り出す一万円札。それを、右手で机の上に軽く叩きつけると、そのまま背を向ける。

 しかし、すんなりと帰しはしない。引っ込めかけたその腕を掴み、意味ありげな笑みを浮かべながら、男を見上げる。

 振り返った男は、その目を凝視したまま動けなくなっていた。腕を掴まれたまま。




「――でもあなたは、手術の失敗に納得がいってないのでしょう?」

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