第4話 不動産屋の女
名刺の住所を頼りに不動産屋を探すと、毒々しい看板にたどり着いた。
駅前のロータリーから外れた路地に構えた店。過剰な色使いが目立つこの看板は、少しでも目立たせようという苦肉の策か。
さらに、窓ガラスにびっしりと貼られた、『おすすめ』と称する物件の数々。
どうせ、店にとっての『おすすめ』だろ……と、毒づきながらドアを開ける。
「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でしょうか」
「部屋探しで。この人をお願いしたいんだけど」
そう言って、さっきもらったばかりの名刺を見せる。
応対の女は店の奥に目を移すと彼女の姿を確認し、再び向き直る。
「川上は……、ただいま接客中ですね。終わり次第お声をお掛けしますので、こちらのお申込み用紙にご記入になりながら、しばらくお待ちください」
あまり部屋にはこだわらない。
一つの街に長く居続けることもないから、雨風が凌げて好きなときにぐっすり寝られる場所があれば、それでいい。
むしろ今必要なのは、彼女に近づき昨夜の悪徳社長の情報を引き出すこと。
なので、申込用紙は必要最低限の部分だけ記入。後は待つだけ。
「お待たせしました。……って鳴海沢さんじゃないですか。どうしたんですか? こんなところで」
居眠りしかけたところに声がかかる。
目を開けると、思ったより近くに唯子の顔。一瞬、ドキリとさせられた。
そして、接客用のテーブルに案内され、サービスのコーヒーが差し出される。
「お名前は……、
「知ってるって」
その言葉を聞くなり、突然眉をひそめる唯子。
そして顔を寄せ、周囲に聞かれないように小声で、とんでもない質問を投げつけてくる。
「……あの、ひょっとして鳴海沢さんて、何でもお見通しな方なんですか?」
やはり、あの不良との一件を怪しんでいるのだろう。
だがさすがに、何でもってわけじゃない。その時に思っている記憶だけだ。
しかしそもそも、今回の唯子の疑いは見当違いだ。
「名刺、置いていったでしょ」
「あ、ああ、そうでしたね。私、てっきり……」
てっきり、なんだというのか。
天然。早とちり。おっちょこちょい。
名刺がなかったとしても、ネームプレートからでもわかる。
「それじゃ、本題に入りましょうか。お部屋のご希望欄に、何も書かれていないようですが……」
「そんなに広い部屋は必要ないし、家賃も特には……。強いて言えば、良く眠れる部屋がいいかな」
店員泣かせの回答かもしれない。
だが別に、いじめて楽しんでいるわけではない。正直な希望だ。
それでも唯子は、せっせとファイルをめくりながら物件を見繕う。そして、パラパラと彼女が飛ばしかけた物件に目が留まる。
「ちょっと待って。これなんだけど」
「ここは……。あんまり、おすすめできないですよ」
唯子は目を伏せながら、再びページをめくろうとする。
だが、それを制止。やや強引に、ファイルを取り上げる。
「まあまあ、もうちょっと良く見せてよ」
「そこは……。きっと、安眠とは程遠いかと……」
添付されていた室内の写真を見て確信する。
これは使えそうだ。
「それは、ここが事故物件だから?」
「どうしてそれを……」
彼女に動揺の色が濃くなる。
しかし、まだそれは彼女の早とちり。
「ここに『告知事項あり』って書いてあるからね。それに、家賃もやけに安いし」
「あ、ああ……そうですね。ですからきっと、お客様もあまり良い思いはされないんじゃないでしょうか……」
「それは、君に限っての話では?」
唯子は険しい表情で顔を上げる。
明らかに、何かを怪しんでいる目つきだ。
面と向かって睨まれたところで、サングラスをかけている今は記憶を見せつけられる心配はない。
「鳴海沢さん、やっぱりあなたは…………」
「ん? どうかした?」
「い、いえ。何でもないです……」
手応えあり。
充分に彼女の心は揺さぶれただろう。
普段ならこんな回りくどいことはしないが、今回は小銭稼ぎとは違う。
昨夜の男の情報を得るためには、じっくりと、慎重に、確実に、だ。
唯子の運転する営業用の車に、十五分ほど揺られただろうか。
ここは畑も点在していて、のどかと言っていいぐらいの、住宅街とはお世辞にも呼べないところだ。古びた外壁、錆びた階段……、目的地のコーポ・サンセットはそこにあった。
日本語にすれば日没荘……。おあつらえ向きの名前。
「ああ、玄関だけ開けてくれれば、あとは勝手に見るよ」
「いえ、そうはいきません。仕事ですから」
険しい表情で、覚悟を決めるように玄関のドアを開ける唯子。
ドアを開けるだけなのにその意気込み、無理をしているのは明白だ。
やはり、真面目なのだろう。
入ってすぐに三畳ほどの台所。そして引き戸に隔てられた居間へと続く。
唯子に目を向けると、玄関を上がった所で俯いたまま。
だから、外にいていいと言ったのに……。
彼女には構わず、居間へと足を踏み入れる。
そして、視線は自ずと梁に開けられた穴へ。
そこへ、唯子から声が掛かる。
「鳴海沢さん……やっぱりあなたはご存知ですよね。ここで何があったのか。そして私のことも……」
「知らないと言えば嘘になるけど……、君が思ってるほどは知らないよ。きっと」
「あ、あなたは一体、何なんですか?」
当初の予定では、この内見は親睦を深めるきっかけ作りに過ぎなかったが、順調すぎる展開だ。せっかくなので、本題を切り出すとしようか。
「ちょっとこの街で、あこぎな社長さんがのさばっているようなんで、調べてるだけだよ」
「それって、水野江工業の社長さんのことですか? ――」
さっそく、具体的な手掛かりを入手。
順調、順調。だがその直後にガッカリな言葉。
「――でももし、父の自殺との関連を調べているのなら、直接の関係はないと思いますよ」
「どうして言い切れる? 君のお父さんの自殺の理由は?」
「理由は……わかりません。遺書もなかったんで……」
「だったら、無関係とは言い切れないんじゃないか?」
「父が工場を経営していた頃は、確かに水野江工業さんと取り引きもしていたみたいです。でも自殺をしたのは、経営不振で倒産してから三年も後の話ですし」
昨夜ターゲットにした、鬼畜な成金趣味の悪徳社長。
その記憶に中にいた、唯子の父親。
さらに彼は自殺していた。
間違いなく一つに繋がって、美味しいネタになると思ったのに空振りか……。
【水野江工業 社長】
携帯電話にキーワードを入力して、検索をかけてみる。
出てきた候補の画像の数々は、間違いなく昨夜の男。
詳しくは後でゆっくり調べるとして、素性は判明した。
「この男で間違いないか?」
確認のために携帯電話の画面を見せると、唯子は顔を強張らせて大きく頷く。
画面を見つめる眼に感じられるのは憎しみ。そして哀しみ。
涙を浮かべた顔を上げると、唯子は静かに語り始める。
「直接見たのは一回だけですけど、間違いないです。工場が倒産して、次々と運び出されていく機械を力なく見送る父の横で、高笑いしていたこの人のことは忘れたくても忘れられません」
脳裏に映るのも、言葉通りの光景。
結構な台数の機械に、なかなかの広さの工場。
落ち込む唯子の父親と対照的な、憎らしいまでに満面の笑みを浮かべるこの男には、第三者の俺でさえも憎しみが芽生える。
「そいつはひどいな」
「人を恨んじゃダメだって、父に教えられてきました。倒産だって、自分に経営の才能がなかったからなんだって……。でもやっぱり、父の努力が無になった場面を嘲笑われたのは許せなくて……」
あこぎな社長と言っただけで、水野江工業が浮かんだ唯子の心理は充分理解した。だがこれだけでは、あの男につけ込む弱みにはならない。
もっと決定的なものを掴まなければ。
「この部屋に決めたよ。そんな悪党の調査をする拠点には、もってこいだしね」
目の合った相手の記憶が、映像として見える。
そんな能力に目覚めて、もう六年。
どうせなら、音声や感情もわかればいいのにと思う場面も少なくない。そうすれば、こんなにちまちまと調査する必要もないのに……。
「――ここに住むんでしたら、もし何か出たときは教えてくださいね……」
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