第7話 着の身着のままの男

「――じゃっじゃじゃーん。これが私の愛車です。かわいいでしょ?」

「…………そうだね」


 部屋探しの時に乗った営業車よりも、さらに窮屈な軽自動車の助手席。体育座りをしているような錯覚に陥る。

 薄いピンク色の車体、かわいらしい内装、そして漂う良い香り。

 これは罰ゲームだろうか。


「自宅でいいですか?」

「あ、いや……。ああ、それで……」


 あざみ台のホテルにと思ったが、さすがに図々しいか。

 もうチェックアウト済みだし、面倒な説明が必要になるのも確定的。

 仕方なく、言われるがままに妥協する。まだ退去してなくて良かった。


「あ、すみません」


 走り出していくらもしないうちに、シンプルな着信音が車内に響く。

 唯子は路肩に車を停め、バッグから携帯電話を取り出すと、不思議そうな顔をしながらそれに出る。


「もしもし。……えっ……?」


 一気に青ざめる唯子。

 目も泳ぎ、焦点も定まっていない。

 ただ事でない空気が、唯子から漂い始める。


「わ、わかったわ。すぐに、すぐに行くね……」 


 電話を切っても、唯子は顔を青ざめさせたまま。

 さすがに心配になり、恐る恐る声を掛ける。


「どうした? 大丈夫?」

「あ、すみません。親友が階段から落ちて、意識不明の重体だって言われて……」


 なるほど、そういうことなら仕方がない。

 元々罰ゲームのような車だったし、この先はタクシーでも拾えばいいか。


「じゃあ、俺はここで降りるから。すぐに病院に行ってあげなよ」

「いえ、方向一緒なんでこのまま行きましょう。病院から鳴海沢さんの家なら、そんなに遠くないですし」

「え? でも――」


 返事をする間もなく、薄いピンク色の軽自動車は急発進。

 病院に向けて走り出した。


「すみません。なんか、付き合わせてしまうことになってしまって……」

「まあ、別にいいけど。それより親友って?」

「高校の時の同級生で、三年間同じクラスだったんです。部活も同じ演劇部で」

「ふーん。じゃあ、その人も先輩のこと知ってるわけだね」

「ええ、私よりもあの子の方が先輩と仲良しでしたね」


 そんな話を聞かされてしまっては、無視するわけにもいかなくなる。

 むしろ顔つなぎをして、先輩の話を聞きたいぐらいだ。

 ちょっと無理があるかもしれないが、同行を申し出てみる。


「明日は予定もないから、見舞いも付き合うよ。夜の病院なんて、一人じゃ気が滅入るだろうしね」

「ありがとうございます。鳴海沢さんが一緒なら、心強いです」


 二つ返事で快諾の唯子。逆に感謝の言葉までかかる。

 相変わらず、人を疑うということを知らない。

 本当にこの調子で、この先の人生は大丈夫なんだろうか。他人事ながら心配になる。いやいや、大きなお世話か、俺らしくもない。


 真剣な表情でハンドルを握る唯子は、やっと乾いた目を、再び涙で潤ませていた。




 【凪ヶ原総合病院なぎがはらそうごうびょういん

 闇の中にライトアップされて、看板に書かれた名称だけが浮かび上がっていた。


「先に行きますね」


 駐車場に車を停めた唯子はそう告げると、足早に駆け出す。

 付き添いとはいえ、完全に部外者。一緒に息を切らして駆け出すのも不自然。かといってのんびりしているのもおかしいので、早歩きで後に続く。

 すると、ホールでエレベーターを待つ唯子。まさか、あっさりと追いつくなんて。

 なんでまだこんな所にいるのやら。


「五階だったっけ?」

「……あ、はい。お願いします」


 時間外窓口で聞いておいたフロアのボタンを押す。

 横には思い詰めた表情の唯子。

 流れる重い空気。

 呼吸音すらも立ててはいけない、そんな緊張感。 

 永遠にすら思えた、わずかな時間。

 目的の五階に到着すると、エレベーターのドアが開く。

 

「先に行きますね」


 デジャブかと思わせる言葉を残し、唯子はまた駆け出す。

 だが、エレベーターを降りて目と鼻の先、ナースステーションのすぐそばに目的の病室はあった。ドアには『面会謝絶』の札。

 すぐ脇のソファーには、頭を抱えたまま腰掛ける男。

 今日は肌寒いというのに、服装もトレーナーにスエット、そしてサンダル履き。慌てた様子がうかがい知れる。

 そして唯子はその男に近づき、おずおずと声を掛ける。


「中澤君……メグはどうしてこんな……」

「ああ、ユイ。久しぶり…………」


 男は顔を上げかけたが、またすぐに俯き、床を見つめる。

 中澤という男もまた思い詰めた様子で、周りの景色も目に入っていないようだ。

 唯子は中澤の隣に座ったが、ソファーにはまだ余裕があったので、彼女の陰になるようにそっと座る。


「中澤君……。どうしてメグは、こんなことになっちゃったの?」

「さっき、二人で晩飯の買い物してアパートに帰った時に、『先に鍵開けてくる』って階段を駆け上がってる最中に転んで……。そのまま、下まで転げ落ちたんだ……」


 唯子の問いかけに、中澤は重い口をゆっくりと開く。

 言葉の合間、合間に漏れるため息。

 沈痛な面持ちで、絞り出すような、か細い声。

 唯子の目にも、涙が浮かび始める。


「俺は両手に荷物を抱えてたから、少し後ろから付いて歩いてたんだけど……。あっという間に転がり落ちて、どうすることもできなかった……」

「そういえば、メグってよく転んでたよね……」

「それで……、ぐったりして動かないから慌てて救急車呼んで、この状況さ」


 中澤はそこまで言うと、両手で頭を抱える。

 両眼もきつく閉じ、嗚咽を堪えているかのようだ。

 空気の重苦しさは、さっきのエレベーターの比ではない。

 長く続く沈黙。

 長い長い沈黙。

 やっと少しばかり空気が緩んだところに、唯子が質問を加える。


「……一緒に、暮らしてたの?」

「ああ……、すぐそこのアパートでね。結婚はまだ考えてなかったけど……」

「そっか……」


 再びの沈黙。

 友人に起こった不慮の事故に、途切れない涙を流す唯子。

 組んだ両手に額を当てたまま俯き、祈るような体勢の中澤。

 そして時折、ナースステーションからこちらを伺う看護師たち。

 どこをどう見ても、同情を禁じ得ない可哀そうな人たちの図。


 ――だが、怪しい。


 俺には違和感しか浮かばない。

 全ては中澤と目を合わせればはっきりするが、何の証拠もないまま、強引に目を合わせられる雰囲気でもない。

 しかし今は、こちらに意識が向いていないこの状況、利用しない手はない。

 コッソリと唯子を連れ出し、物陰でアドバイスをする。


「あの様子じゃ、入院準備も何もしてなさそうだ。川上さんがここに残って、彼を一回家に帰してあげた方がいいんじゃないかな?」

「確かに……。そうですね、アドバイスありがとうございます。鳴海沢さんて、いつも冷静で頼りになりますね。やっぱり、付き添ってもらって良かった」

「それほどでもないさ」


 さっそく中澤のところへ戻る唯子の背中に、心の中で呟く。




(――上手くやってくれよ……)

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