第6話 買われる女

「――良かったんですか? あのまま、連れてきちゃって」


 唯子の家に向かう車内では、後部座席の隣であーちゃんが寝息を立てている。

 わざわざレンタルまでしたチャイルドシートも、今しばらく活躍が続きそうだ。


 あーちゃんの叫び声で、車道に飛び出す直前に我に返った母親。

 最後のほんの一瞬に、母親の自覚を取り戻したというわけか。


「この子を育てる資格はないだろ、あの母親に」

「でも……。これじゃやっぱり、誘拐みたいじゃないですか」

「保護だよ、保護。虐待は父親だけだと思ってたけど、母親もじゃないか」

「え? そうだったんですか?」

「命を奪おうとするなんて、これ以上の虐待はないだろ」


 あどけない寝顔のあーちゃん。

 自分の叫び声で九死に一生を得たなんて、夢にも思っていないだろう。

 そこへ鳴る、携帯電話の着信音。知らない番号だ。


「もしもし?」

『おい、てめえ。うちの娘を連れていった誘拐犯か。すぐに返さねえと、警察に駆け込むぞ』

「そんなことしたら、あんたの虐待も明るみに出るけど、それでもいいのか?」

『虐待なんて知らねえな。誘拐したあんたが、暴力振るったんじゃねえのか?』


 かかってきたのは、父親からか。

 逃げも隠れもしないからと、母親に携帯番号を知らせておいたが、こんなにも早く連絡がくるとは。

 しかも、言い分が滅茶苦茶。傷跡がいつできたかぐらい、すぐわかるというのに。


「明日にでも、ちょっと話し合おうか。あんたらにとっても、悪くない話を持っていってやるよ」

『悪くない話ってなんだよ』

「そいつはお楽しみに。それじゃ明日の夜、そっちに行くんで」


 電話を切るなり、待っていたかのように唯子から声がかかる。

 ルームミラー越しの表情を見ても、心配で仕方ないのがうかがえる。


「本当に大丈夫なんですか? やっぱり、児童相談所に相談した方が……」

「明日きっぱりと、話をつけてくるから大丈夫だよ。それよりも、しばらく慌しくなりそうだな」


 さっそく準備の開始。

 まずは、大山夫婦へ電話。


「ああ、幸一さんですか? この間の件ですが、やっぱりご協力をお願いしようかと……。大丈夫ですか?」

『ああ、もちろんだとも。こちらこそ、よろしく頼むよ』

「わかりました。後で伺います」


 車は唯子の家に向かっていたが、予定が変わった。

 新たな行き先を唯子に告げる。


「ちょっとすまないけど、行き先を変えてもらっていいかな? えーと、大山さんて家なんだけど、住所は……。あ、その前に銀行に寄ってくれないかな?」

「今日は休み取ったんで別に構わないですけど、一体何を始めるんですか?」


「――買い取るんだよ。あーちゃんを」


 ルームミラーの向こうで、唖然とする唯子。

 さすがにただ事ではないと思ったのか、車を路肩に停め、血相を変えて後部座席へと振り返る。


「そんなのダメですよ。それじゃ、人身売買じゃないですか! やって良い事と、悪い事があります」

「人道に反することぐらい承知の上さ。じゃあ、どうすればいいんだ?」

「だから、警察とか児童相談所とか、駆け込むところはあるんじゃ……」

「相談したところで、あーちゃんは親元に戻されるのがオチさ。そしてきっと、経過観察。そんな悠長なことしてる間に、取り返しがつかなくなったらどうする? 現に母親はさっき、無理心中しようとしたんだぞ?」


 黙り込む唯子。

 唯子だってあーちゃんを救おうと思っているのに、少しきつく言い過ぎた。

 だが、綺麗ごとを並べ立てるより、確実に救う手段を取るべきだ。


「ちょっと言いすぎた、すまない。でも、必ずあーちゃんは助けるよ」


 ピンクの軽自動車は、タイヤの音を立ててUターン。

 銀行へ向けて、改めて走り出した。




「――わかりました。約束ですよ、和真さん」

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