第44話 ハッピー・クリスマス(その1)


 悲しみや不安をおもてに出すことのない春日かすがの顔に、焦りの表情が浮かんだ。

 温人が、そんな春日を目撃したのは、ちょうど進路指導室の前を通りかかったとき――引き戸がガラッと開いて中から春日が飛び出してきたときだった。


「は、温人……! あたし、お前と同じ高校に行けないかもしれない!」


 目が合った瞬間、春日は温人の方へ駆け寄ると、学ランの袖をつかんでわなわなと身体を震わせた。


 中学三年の春日と温人は、年明けに高校受験を控えていた。二人が志望校として選んだのは、良くも悪くもない、近くの普通高校。

 クラス担任と面談した結果、「この調子でがんばれ」と励まされた温人に対し、春日は「志望校を変更したらどうだ?」と促された。

 お世辞にも勉強ができるとは言えない春日の合格率は三十パーセント未満。担任の助言は実に的を射たものだった。


 しかし、春日はガンとして譲らなかった。彼女には珍しく、担任に頭を下げて必死に頼み込んだ。

 理由は簡単――同じ高校へ行かないと温人のそばにいられないから。

 もちろんそんなことは一度たりとも温人に話したことはない。


 春日は必死に勉強した。これまで生きてきた十四年で一番頭を使ったと言っても過言ではない。受験勉強をしている夢を見てうなされて起きたのは一度や二度ではない。


 そして、運命の合格発表の日。結果は――二人そろって合格。

 そのとき春日は心の底から思った。「神様はいる」と。


★★


 高校に進学した後も、春日は相変わらず、赤い木刀を持ち歩いていた。

 その姿を目の当たりにした者は、彼女が「疾風の春日」であることはすぐにわかった。

 中学のときも目立っていたが、高校に入っても相変わらず。

 ただ、「目立ち方」が違った。「悪い意味」ではなく「良い意味」で目立っていた。

 鼻筋の通った、凛々りりしい顔立ちに涼しげな目元。髪を耳に掛けた、ボーイッシュなショートヘアがトレードマークの春日は中性的な魅力を放っていた。

 中学の頃は武闘派で荒っぽいイメージが先行し、みんなから恐れられていたが、その印象は払拭され、春日の魅力に気づく者も少なくなかった。


 高校入学後も温人以外には自分から話し掛けることはなく、荒っぽい口調も相変わらず。しかし、男が束になっても敵わない強さと世に迎合しないカッコ良さも手伝い、人気はうなぎ上りに上昇した。

 通学途中で写メを撮られたり下駄箱に手紙が入っていたりするのは日常茶飯事。見ず知らずの者からプレゼントを渡されるといった、青春ドラマのようなシーンも珍しくなく、誕生日にもらったプレゼントは両手の指では足りなかった。

 ただ、ドラマと違うのは、その相手がほとんど女子だったこと。


 周りの反応が以前と百八十度変わったことで、春日は内心戸惑っていた。

 きっかけとなったのは一にも二にも温人の存在。温人が春日に親しげに接することで、「先入観」という色眼鏡で見ていた周りの目が明らかに変わった。

 温人が意識して何かをしたわけではないが、彼がかもし出す雰囲気が少なからず影響したのは否めない。

 口にこそ出さなかったが、春日は温人にとても感謝していた。


 回数こそ減ったものの、温人には相変わらず心の声SOSが聞こえた。

 をキャッチするや否や、温人はいつも発信元へと走った。そして、隣にはいつも春日がいた。

 温人の不思議な能力ちからのことは、高校に入った後も二人だけの秘密。二人がいつもいっしょにいることで、温人が春日ファンの女子に睨まれることもあったが、そこは春日がフォローした。


 春日は温人のことを「守りたい」と思った。そして、温人はそんな春日のことを「掛替えのない存在」だと思った。

 まさに二人はベター・ハーフのような存在――お互いにとって無くてはならない存在だった。


 そんなこんなで、あっという間に八ヶ月が過ぎる。


★★★


「お前さ……イブは予定とかあるのかよ?」


 十二月中旬のある日、下校途中に春日の口から発せられたのは、唐突な一言だった。


「えっ?」


 訊き返す温人に、春日は目を逸らして照れくさそうな顔をする。


「べ、別に深い意味はない……お前のところ、年寄りしかいないだろ? だから、クリスマスの予定なんかないと思っただけだ。どうなんだよ?」


 確かに春日の言う通りだった。

 中学二年の秋から祖父母の家に下宿している温人は、それまでクリスマスらしいことなどしたことがなかった。


「そう言われてみればそうだね」


「だろ? だろ?」


 春日は温人の学ランの袖をつかんで興奮した様子を見せる。

 しかし、恥ずかしくなったのか、すぐに距離を取る。


「その……あたしん来ないか?」


「えっ?」


「い、嫌ならいいんだ! 嫌なら……! ホントは街へ繰り出すのがいいかと思いながら、あたしは健康上の理由で誘いを断ってる。フラフラ出歩くわけにはいかないんだ」


 十二月に入ってから、温人は、春日がたくさんの女子からクリスマスの催しに誘われているのを目の当たりにした。

 いつも春日は申し訳なさそうに断っていたが、心臓の病気のことを理由にあげていた。それは高校でも周知の事実であり、誘いを断るには絶好の口実だった。


「イブの日、親父は海外出張で戻らない。家にいるのはあたしとお袋だけだ。お袋はから気を使わなくていい。どうだ?」


 前々から、母親の秋穂が温人を家へ連れてくるようしつこく言っていた。ただ、そのことは温人には言わなかった。

 そんな話をすれば、春日が家で温人のことを話しているのがばれてしまうから。春日的には、どんなことがあっても悟られてはいけないことだった。


「じゃあ、お言葉に甘えてお邪魔するよ。何時頃行けばいいかな?」


 春日は胸のあたりに熱いものが込み上げる。


「そ、そうか……! まぁ、お前が『どうしても』って言うなら仕方ないな。住所と地図はメールする。夕方の五時に来てくれ。帰りはあたしが家まで送ってやるから。じゃあな! あたしは道場に行くから」


 春日はくるりと背を向けると、足早に駆けて行った。道場への分かれ道はまだ先だったが、口元が緩んでいるのを見られたくなかったから。


「春日さんとクリスマスか……楽しみだな」


 温人は笑みを浮かべながら暮れかかる空を見上げた。

 

★★★★


「温人くん、いらっしゃ~い! やっと、会えた! うれしいわぁ! でも、春日が言ってたとおり、優しそうでステキな彼ね!」


 温人が玄関を入った瞬間、黒いシェフエプロンを首から下げた秋穂がキッチンから飛んで来た。


「お、お前! 誰もそんなこと言ってないだろ!? 勝手に話を作るんじゃないっての!」


 春日は後ろにいる温人の顔をチラ見しながら、焦ったような口調で否定する。


「えっ? そんなことないでしょ? いつも温人くんのことばかり話してるじゃなぁい? お母さん、耳にタコができちゃったよ。春日ったら照れちゃって~この、この」


「い、言ってない! 絶対に言ってない! 死んでも言ってない! おい、温人! お袋の話に耳を貸すな! クリスマスだから浮かれてるだけだ! あることないこと言ってるだけだから!」


 春日は赤らんだ顔で温人にとくとくと説明する。

 温人はキョトンとした表情で、春日と秋穂の顔を交互に眺める。


「いいからさっさと準備して来いよ!」


「わかった。わかった。じゃあ、温人くん。まったねぇ」


「早く行けっての!」


 右手で投げキッスをする秋穂をキッチンの方へ押しやると、春日は走り終えたアスリートのように肩で息をする。心なしか黒いバレッタで留めた前髪が乱れている。


「楽しそうなお母さんだね。見た目も若いからお姉さんかと思ったよ。いつもあんな感じなの?」


「ああ。歯に衣着せぬタイプで、しゃべり出したら止まらない。お袋の相手をしてたら、あたしの心臓がもたない。勘弁してくれって感じだ」


 春日は苦笑いを浮かべて首を何度も横に振る。

 ただ、口ではそう言っているものの、とてもうれしそうだった。

 雰囲気がいつもと違って見えるのは、普段着を着ていることに加え、気持ちがリラックスしているからだろう。

 肩の下がった緩めの白いニットに柄の入った濃紺のショートパンツと黒のタイツ。顔が小さく、身体の線が細い春日は実際よりも背が高く見える。


「温人、そんなところに突っ立ってないで入れよ」


「うん。お邪魔します」


 温人は脱いだ靴を揃えて、手招きをする春日の後についていった。



 つづく

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