エピローグ Epilogue
第59話 エピローグ
★
「そこまで!」
静まり返った道場に、柿崎の大きな声が響き渡った。
審判用の黄色い木刀が、赤い木刀の
「この勝負、伊東温人の勝ち!」
試合後の挨拶を交わすや否や、温人は対戦相手に歩み寄る。そして、
「温人くん、謝る必要なんかない。これは試合なんだから」
柿崎が温人を
「でも、なんだか申し訳なくて……」
「ふむ。そんなこと言ってたらキリがない。その気持ちだけで十分だ。
それより、君にこんな才能があるなんて思いもしなかった。入門から四ヶ月で有段者を三十秒で圧倒するなんて。しかも、居合抜きのような一撃必殺の剣。まるで、春日を見ているようだ。
春日から譲り受けた、その木刀に魂が宿っているのかもしれない。君なら大会に出てもいいところまでいきそうだ。これからも期待しているよ」
柿崎は満足げな表情を浮かべて、スキンヘッドの頭を撫でながら道場の奥へと消えていった。
『温人、お前、なかなか筋がいいじゃないか』
温人の隣りで、セーラー服を着た春日が「よくやった」と言うように温人の肩をポンポンと叩く。
『春日さん、やり過ぎだって。この強さはどう見ても異常だよ』
温人は「勘弁して」と言わんばかりに、小さく溜息をつく。
『いいんだよ。これが春日流抜刀術だ。もともと、お前が「強くなりたい」なんて言うから付き合ってやってるんだぜ?」
赤い花があしらわれたバレッタを直しながら、春日は温人に鋭い眼差しを向ける。
『それはそうだけど――』
『弟子が師匠に口答えするんじゃない!』
「痛たたたた!」
温人の大きな声に、練習をしていた門下生の動きが止まる。視線が一斉に温人に集まった。
「す、すみません……! ぼ、木刀を足の上に落としちゃって……」
温人はばつが悪そうにぺこぺこと頭を下げる。「春日に頬をつねられた」とも言えず、とっさに嘘をついた。
『バカだな。声なんか出して。独り言が多いとヤバイ奴だと思われるぜ』
『わかってるよ。これでも四ヶ月前よりは良くなっただろ?』
『まぁ、そうだな。お前にしてはがんばってる。よしよし』
春日は温人の頭を撫でながら口角を上げて笑った。
★★
七月初旬、温人は、勤めていた「中京エレクトリック株式会社」を退職する。
理由は上司によるパワー・ハラスメント。
温人からパワハラの話を聞いた健吾は、非社会的かつ非人道的な行為が一部上場企業にて漫然と行われている事実に激しい憤りを覚える。
同社の悪行が、労働力人口の減少による国力低下の防止を図ろうとする「国力回復推進会議」の施策に逆行するとの理由から、大河内特命大臣に報告し、同社に対して厳重注意の文書を発送した。加えて、マスコミに対して詳細な
その結果、悪しき企業文化が社会問題となり、同社は社長が記者会見を開く事態に追い込まれ、社内改革を行うことを約束した。
同じタイミングで、中京エレクトリック社から温人に対して謝罪があり復職の提案がなされたが、温人はその申し出を断った。
健吾の口利きで、バランサー・システムの製作に携わった、東京のシステム機器メーカーに入社した温人は、そこで衛生医療省やNISNを担当する公務営業の仕事に就く。
さらに、自分がパワハラの被害者となったことで、弱い物を
その結果、バランサーである春日に剣術を指南してもらうため、柿崎の道場に通い始めた。
一方、春日が温人のバランサーとなったことを知った秋穂は、いっしょに暮らすことを温人に提案する。「春日のためにもそれがいい」。そう判断した温人は、提案を二つ返事で受け入れる。
NISNから管理者用端末が貸与されたことで、秋穂と夏彦は、春日とコミュニケーションを取ることが可能となり、新たな家族を迎えた姫野家は、ガラリと雰囲気が変わる。いつも笑い声が絶えない様は
そんなこんなで、春日は、温人をしっかりサポートしながらバランサーとしての生活を楽しんでいる。
いつも温人といっしょにいられることに幸せを感じながら。
★★★
十一月二十日。長野県中部の観光道路・ビーナスライン。高原の避暑地ということもあり、夏にはたくさんの観光客が訪れ交通渋滞が慢性化する。しかし、冬季閉鎖が間近に迫っている今、車はほとんど見当たらない。
そんな中、赤いBMWのクーペが
『冬夜、まだなのか?』
白いワンピースを
『この峠を上った辺りだよ』
ハンドルを握る冬夜は、ウィノナの顔を横目でチラリと見る。すると、そのときを待っていたかのように、ウィノナの目が鋭い眼光を放つ。
『キミは、バランサー・システムをどうするつもりだ?』
ウィノナの口から唐突な質問が飛び出す。
冬夜は、特に驚いた様子も見せずフッと小さく笑う。
『日本中にバランサー手術が行えるロボットとバランサー生成端末を設置して、一人でも多くの精神疾患者を社会復帰させていくよ』
『そんなことはわかってる。私が訊きたかったのは「
ウィノナは、息がかかるくらいに自分の顔を冬夜に近づける。
『ウィノナ、外を見て』
『冬夜! 誤魔化すんじゃ……』
ウィノナの言葉が途切れる。窓の外を眺めながら、夢見心地のような表情を浮かべている。
『これが、雪……? 綺麗だ……』
ウィノナは、舞い落ちる雪の欠片を食い入るように見つめる。魅せられたような、無邪気な眼差しは、小さな子供のようだった。
『東京はしばらく降らないけど、このあたりはそろそろかと思ってね』
『ドライブへ行こうと言い出したのは、そういうことだったのか?』
『日本に戻ってからほとんど休みを取っていなかったしね。今夜の宿は、部屋に小さな温泉がついているから、誰にも気兼ねなく入れるよ』
舞い落ちる雪と冬夜の横顔を交互に見ながら、ウィノナは「ご満悦」といった表情を浮かべた。
★★★★
二人を乗せたクーペが長い坂を上り切ると目の前に景色が開ける。高い山々に囲まれた草原が広がり、あたり一面に雪の華が咲いている。
『車を停めてくれ』
ウィノナの大きな目がさらに大きくなった。
道路の端に車を止めて二人は外へ出る。
『小さい頃、両親とピクニックへ出掛けた場所によく似ている』
ウィノナは、薄らと雪化粧をした、遠くの山々を懐かしそうに眺めた。
『でも、雪は降っていなかった……。冷たいんだな。氷の女王と呼ばれた私がそう感じるのだから、雪は氷よりも冷たいということなのか?』
冗談っぽくそう言うと、ウィノナは、天を仰ぐように両手を広げて全身で雪を受けとめるような仕草をする。
『この景色の夢を何度も見た。突然大地が裂けて両親が奈落の底へ吸い込まれていく夢だ。いつも幼い私がそこに取り残される。陽の光がとても眩しくて、手を
『ウィノナ』
冬夜が後ろからウィノナを抱きしめた。
驚いた顔をするウィノナの身体を、温かい何かが満たしていく。
『大丈夫だよ。ボクたちはずっといっしょだから。キミは独りぼっちなんかじゃない』
『そうだったな……。悪かった。おかしなことを言って』
ウィノナは、冬夜の手を取って胸のあたりでギュッと握りしめた。
『さっきの質問の答えだけど……「
『キミは私が期待したとおり、いや、それ以上だった』
ウィノナは、身体をくるり反転させると冬夜の胸に顔をうずめた。
『キミを信じてよかった』
冬夜の心臓の音が聞こえた。ウィノナの聴覚は
『……ウィノナ、そろそろ行かない? このままだと二人揃って雪だるまになりそうだから』
『それは大変だ。「氷の女王」のネーミングを「雪の女王」に改めないといけない』
二人は、顔を見合わせて声を上げて笑った。
『冬夜?』
車に乗り込もうとする冬夜にウィノナが声を掛ける。
『どうしたの?』
冬夜の穏やかな眼差しがウィノナに向けられる。温かくて優しい何かが身体を満たしていく。
雪の華に彩られた、冬の妖精のような彼女は、幸せそうな笑顔を浮かべると、生まれて初めて「その言葉」を口にした。
『……אוהב אותך(愛してる)』
おしまい
Балансеры -バランサーズ- RAY @MIDNIGHT_RAY
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