第52話 1月6日
★
十二月のある日、温人は上司である総務課長に、翌年一月六日の有給休暇を申請する。
仕事始めの日ではあったが、その日に特化して温人が行うべき業務はないと判断した課長は、二つ返事で休暇を承認する。
しかし、そのことを知った白井が温人を呼び付ける。
「お前、一月六日に休むって何考えてんの?」
「課長に相談しましたが、特に業務上支障はないとのことで――」
「――その日は仕事始めだろうが!」
温人の言葉を遮るように、白井は乱暴に言葉を被せる。
「姿勢の問題だ! 一年の最初の営業日だろ? そんなことは新入社員でもわかるぞ! お前、三年間、何やってたんだ!?」
白井は、見下すような目で温人を見ながら、「だめだこりゃ」と言わんばかりに首を何度も横に振る。
「それから……! その日は営業所の公式行事が入ってるだろう!?」
「公式行事……ですか?」
温人は思わず訊き返す。会社のスケジュール表には「仕事始め」としか入っておらず、その話は初耳だった。
「おいおい、頼むぜ。その日は仕事を早めに切り上げてみんなで近くの温泉に出掛けるんだよ。泊まりがけの新年会、さっさと段取れよ。総務課の仕事だろ? 『和気あいあい』で全員参加だ。わかったか?」
温人は自分の有給休暇が非承認となった理由を理解した。
一月六日は、白井がお山の大将となる飲み会の第一回目。「誰一人欠席は認めない」と言うことらしい。
席に戻った温人は、総務課長に新年会のことを尋ねたが、やはり何も聞いていなかった。
確認のため総務課長が所長室へ向かう。すると、白井の怒鳴り声とともに、課長は苦虫を噛み潰したような顔ですごすごと戻ってくる。
新年会の存在を知らなかったことに加え、状況を考えることなく部下の有給休暇を承認したことを
「悪いが、伊東くんの有給休暇は承認できない」
課長が申し訳なさそうな顔でポツリと呟く。
しかし、温人は「わかりました」とは言えなかった。
白井の話では、当日は午後四時に温泉に行き、温泉に浸かった後で新年会を始めるらしい。その時間に間に合わせるには、温人は春日の家を午前九時には出発しなければならない。
やってやれないことはないが、それでは一月六日の趣旨に反する。
気の置けないメンバーが時間を忘れてのんびり話をするからこそ意義がある。早朝に慌ただしく集まり、時間制限のある食べ放題の店のように食べ物を機械的に口に放り込んで「はい、サヨナラ」ならやらない方が増しだ。
「もう一度、所長にお願いしてきます」
温人は課長が止めるのも聞かず所長室へ入っていく。
「所長、申し訳ありませんが、僕が一月六日に有休休暇を申請する理由を聞いてください。お願いします」
温人は深々と頭を下げる。白井の「ちっ」という舌打ちが聞こえた。
「とりあえず聞いてやる。時間がねぇから一分で説明しろ」
露骨に嫌な顔をする白井に、温人は真剣な表情で話し始める。
PTやバランサー・プロジェクトのことを話すわけにはいかないため、「大切な友人の命日」という説明をした。
「――懇意にしていた者が集まるので、何とか出席したいのです。新年会の段取りはしっかりやりますので、この日だけは休ませてください」
温人は何度も頭を下げながら懇願する。しかし、白井は聞く耳を待たなかった。
「なぁ、伊東……そんなくだらねぇ話をするなよ」
白井は「やれやれ」と言った
「死んだ奴の思い出を語る? 寝ぼけたこと言ってるんじゃねえよ。そんな理由で会社を休む? 社会人として恥ずかしくないのかよ? 適当な理由つけてサボろうとしているのがみえみえだぞ。管理者として認めるわけにはいかない。以上だ」
白井の言葉を聞いた瞬間、何を言っても無駄だと思った。
温人は曖昧な返事をすると、後ろを向いて所長室の出口へと向かう。
「おい、伊東。新年会の企画しっかりやれよ。みんな、楽しみにしてるんだからよぉ」
背中越しに、うれしそうな、白井の声が聞こえた。
顔を見なくてもわかった。白井が「してやったり」といった表情を浮かべて、見下すような目で温人を見ているのが。
★★
温人は新年会の企画を、自らの仕事としてしっかり行った。
しかし、春日のことを
とは言いながら、休暇を取得することなく会社を休めば「無断欠勤」となり、規則違反は免れられない。そんなことをすれば、白井が鬼の首を獲ったように温人を責めるのは目に見えている。
一月六日午前八時四十分、温人は総務課長の携帯に電話を入れた。
「風邪を引いたようで熱があります。突然で申し訳ありませんが、今日一日、有給休暇を取らせてください」
「そうか……仕方がないな。お大事に」
課長は何か言いたげだったが、温人の申し出を了承した。
白井の性格から、温人のアパートに誰かを行かせて本当かどうかを調べるようなことをするかもしれない。もしそのことを問い詰められたら「薬を飲んでずっと寝ていました。気が付きませんでした」と答えるつもりでいた。
こうして温人は職場の新年会を欠席して春日の家へ行き、当初の目的を果たすことができた。
春日の家を発って自宅に着いたときには、すでに日付が変わっていた。
★★★
一月七日、出社してスタッフひとり一人に新年の挨拶をする温人だったが、職場の雰囲気が明らかにおかしいことに気づく。同僚があからさまに彼を避けている。
「みんな、おはよう! 昨日の新年会は『和気あいあい』で実に楽しかった! みんなで盛り上がって、職場の志気も一気に向上した! またみんなで行こうな!」
出社した白井が所内に響き渡るような大きな声を上げる。
普段自分から挨拶などした試しはなく、温人に向かってイヤミを言っているのが見え見えだった。
「所長、あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。昨日は体調が悪く、新年会に出席できず申し訳ありませんでした」
白井に挨拶をする温人だったが、一瞬見下したような目が向けられただけで、温人の存在は無視された。
それが、白井の巧妙で陰湿なパワハラの始まりだった。
殴る、蹴るといった、露骨な暴力行為はないものの、言葉の暴力とも言える、理不尽な要求が日々温人に向けられた。
第一報を報告すれば「詳細をきちんと説明しろ!」と言われ、詳細がわからないので報告を
さらに、重箱の隅をつつくような、厳しい指摘や追加指示が
一方、いくら多忙であろうと飲み会を欠席することは許されず、飲み会が終った後、温人は営業所へ戻って仕事をした。
毎日の帰宅時間は午前三時を回り、それでも時間が足りないため、土日も出勤せざるを得なかった。
温人が厳しい状況に置かれていることを他のスタッフは知っていたが、手を貸さなかった。いや、貸せなかった。「温人の教育のために与えた仕事」。白井がそう吹聴していたから。
春日との約束を胸に、不満一つ言わず従う温人だったが、過度のストレスが精神と肉体を
つづく
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