第38話 冬夜の頭の中


 二〇一五年十一月初旬、冬夜は再びヘレナの屋敷を訪れる。

 ヘレナから「まとまった」との連絡があったから。


 リビングのテーブルの上にはノートパソコンが一台。その脇にパイプ式ファイルが二冊とUSBメモリーが一つ。ファイルはかなり分厚く、それぞれが百ページ以上ある。

 冬夜はパソコンの画面が見えるように、ロングソファーの中央に座るヘレナの右隣に腰を下ろした。


「資料はすべてこのUSBメモリーに格納した。もちろん暗号化してある。とりあえず、論文形式の報告書だけ打ち出しておいた。全体で二百五十ページある。二冊に分けてファイリングした。データや図面は電子データの方で確認してくれ。質問があれば、その都度説明する。

 USBは同じものを金庫に保管してある。金庫の鍵はドロシーに預けてある。USBはくれぐれも失くさないように。テロの手にでも渡ったら取り返しがつかないことになる」


 超人研究の資料を前に、明るく説明するヘレナだったが、その顔を見た瞬間、冬夜は「かなり疲れている」といった印象を受けた。

 八月はもともとPT戦略会議の予定がなく、九月と十月の会議はヘレナは欠席だった。顔を見るのは八月初めに屋敷を訪れて以来三ヶ月ぶりとなる。


 冬夜はパソコンでUSBの資料を立ち上げる。容量は百ギガバイトを超えていた。PT用に取りまとめた既存の資料も含まれるが、半分以上は新しく作成したもの。

 三ヶ月でこれだけのものを一人で仕上げるというのは、とても人間業にんげんわざとは思えない。心身にかなりのダメージを負っているのは火を見るより明らかだった。


「素晴らしい資料です。ボクの想像をはるかに超えています。ヘレナさん、本当にありがとうございました」


「どうってことない」


 冬夜が丁寧に礼を言うと、ヘレナは満更でもないといった顔をする。


「一つ質問があります。よろしいですか?」


「何だ?」


「脳の領域を記した立体地図が何パターンがあって、ところどころにXYZの座標が入っていますが、これはヘレナさんが記憶していた数値ですか? あまりにも量が膨大で、しかも、三十年以上前のデータなので――」


「とりあえず、憶えていた。ただ、心配だったので確認をした」


 ヘレナの言葉の意味が理解できず冬夜は首を傾げる。

 すると、ヘレナは紅茶とバームクーヘンを運んで来たドロシーに「よろしく」と言うように目配せをする。

 ドロシーはテーブルの脇に膝をついて皿を並べながら話し始めた。


「ティータイムにこんな話はどうかと思うけど……ヘレナは死体を解剖して、実際の脳で座標を確認したの。私はガラス越しに見てただけ。十日で四体の解剖を行った。国家安全保障局NSAの方で適当な死体を提供してくれて助かったわ。でも、二度とご免だわ」


 唇をとがらせて肩をすぼめるドロシーに、ヘレナは「わかっている」と言わんばかりに小さく笑う。

 顔はいつものポーカーフェイスながら、冬夜は驚きを隠せなかった。

 それは「超人研究を行っていたときのデータがすべて頭に入っている」といった、ヘレナの天才ぶりにではなく「一声掛ければ数体の死体を調達できる」といった、裏の世界に通じていることに対して。


 そもそも「亡命」というのは決して綺麗事ではない。そう考えれば、三十年経った今でも繋がりがあるのは当然のことかもしれない。また、ドロシーはドロシーで、実際に「人を殺したことがある」と言っていた。

 冬夜も職業柄死体と接するのが常ではあるが、二人とはレベルが違うことを痛感した。


★★


「冬夜、私の方からも質問がある」


 ヘレナは飲んでいた紅茶のカップをテーブルの上に置いて、隣に座る冬夜の方へ身体を向ける。


「何でしょうか?」


 パソコンの画面で脳の立体画像を見ていた冬夜は、マウスを動かす手を止めてヘレナの方へ目をやる。


「これから、キミは目的を達成するために何をするつもりだ? 妹さんの病気は『待ったなし』だと聞いた。そうであれば、一日も早くキミの計画を形にする必要があるのだろう? もちろん、私にできることがあれば、最優先事項として協力させてもらう。遠慮なく言ってくれ」


「ありがとうございます」


 冬夜はペコリと頭を下げると、視線をパソコンの画面に戻して何かを考える素振りを見せる。


「もしかしたら、私がいると話せない内容? 席を外しましょうか?」


 正面に座るドロシーが声を掛ける。

 沈黙が続いたことで気を使ってくれたようだ。


「いえ、そうではありません。お気遣いは御無用です。ドロシーさんにもぜひ聞いて欲しい話です。ボクが黙っていたのは、頭の中でプロジェクトを整理していたからです。

 これからヘレナさんの研究成果を使って、プロジェクトの設計図と施行計画書を作ります。プロジェクトを具体化する作業です。それが完成して初めて、プロジェクトはスタートします。ただ、それにはクリアしなければならない、大きな問題が残っています」


「言ってみろ。何でも協力すると言っただろ?」


 ヘレナが眼鏡のブリッジを指で押し上げながら、真剣な眼差しを向ける。


「ありがとうございます。ヘレナさんには、これからしばらくの間、ボクが作る、書類の照査チェックをお願いします。それができないともできませんから」


「交渉? 交渉って、何を、誰と交渉しようとしているの? 場合によっては私も力になれるかもしれないわ」


 ドロシーが丸い目をギョロっとさせて、興味津々といった様子で冬夜を見る。


「お二人には頼めません。お金を融資してもらう話なので――」


「個人ではどうにもならないが、大手銀行に伝手つてはある。百万ドルぐらいなら何とかなる」


 間髪を容れず、ヘレナが言葉を返す。「冬夜の願いを叶えるために全身全霊を尽くす」。その言葉に偽りはないようだ。

 冬夜は二人の顔を交互に眺めながら、はっきりした口調で言った。


「ボクの『バランサー・プロジェクト』には金がかかります。融資額はトータルで百億ドル(約一兆円)。然るべき時期に交渉に入ります――日本政府と」



 つづく

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