第37話 ドロシー・マンハッタン


「――『記憶の掘り起こし』と『潜在能力の掘り起こし』の手法が具体化したことで、超人研究の基礎になる部分が形になり、殺戮兵器さつりくへいきが完成するのは時間の問題となった。これにより、私の選択肢は亡命又は自害の二者択一となった。

 一九八四年、当時共同研究をしていた、スウェーデンのグランフェルト博士の協力を得て私は亡命を画策した。ただ、常に監視されていたことから、段取りの確認はできない状態だった。

 ランチのとき、グランフェルト博士からヘブライ語で言われたのは『空港に着いたら体調不良でトイレへ行くこと』と『一番奥の個室へ入ってに耳を傾けること』だけ。今思えば、よく成功したと思う。

 亡命後も決して安全とは言えなかった。国家安全保障局NSAの話では、私がアメリカへ亡命したことを嗅ぎつけた党が、必死になって行方を探しているとのことだった。もし見つかれば、その場で殺されるか、死ぬよりも酷い目に遭う。そこで、私は『ヘレナ・カーペンター』という別人として生きる道を選んだ。

 国家安全保障局NSAに年齢・経歴・素性を捏造ねつぞうしてもらい、全身にメスを入れてウィノナとは似ても似つかぬ容姿を手に入れた。さらに、護衛役としてドロシーを派遣してもらった。彼女は『住み込みのメイド』という仮の姿でずっと私を守ってくれた。

 この三十年間、私の頭の中にある基礎研究をアメリカ政府へ提供してきたが、その一つがPersonarity TransferPTとして実を結ぼうとしている。

 一方で、アメリカ政府は『潜在能力の掘り起こし』のことを薄々感づいている。PTが一段落したら、その研究を求められるのは必至だ。そのことを考えると、とても憂鬱ゆううつになる」


 ロングソファの中央に座るヘレナは、疲れた様子で視線をテーブルの上に落とすと、紅茶のカップへ右手を伸ばす――が、その手はカップまで届かなかった。ヘレナは右手をテーブルに着いて左手で胸を押さえる。そして、苦しそうな表情を浮かべて前のめりになった。


「ウィノナ!」


 冬夜は思わず大きな声をあげた。

 キッチンにいたドロシーが、水の入ったコップを手にヘレナのもとへと掛け寄る。


「ヘレナ、薬よ」


 ヘレナの背中をさすりながら、ドロシーは薬の入ったカプセルと水を渡す。

 薬を飲んでロングソファーに横になるヘレナ。そのまま目を閉じて眠ったように動かなくなった。


「ヘレナさんは大丈夫ですか?」


「精神安定剤を飲ませた。最近は飲む機会も少なくなったけど、ここに来て数年は毎日飲んでいた。当時のヘレナは身も心もボロボロだった」


 ドロシーはヘレナの手に自分の手を重ねて、悲しそうな表情を浮かべる。

 その言葉から、アメリカへ来た後もヘレナが安息を得たわけではなかったことがうかがえる。


「それから……姫野冬夜」


 不意にドロシーの鋭い視線が冬夜に突き刺さる。その眼差しには怒りと憎しみが見て取れた。

 

「お前、ヘレナのことを呼んだ?」


 ドロシーの質問に冬夜はハッとなった。

 長時間にわたりヘレナから過去の話を聞かされたことで、冬夜の頭の中で、彼女の姿がウィノナとダブっていた。そんな中で起きた、突然の出来事に、思わずを口にしてしまった。


 ヘレナがこれまで過去を公にしなかったのは、それが自分の身に大きな危険を及ぼすから。を口にしただけで命に関わることもある。

 実際、諜報員スパイが、目をつけた人物の家に忍び込んで盗聴器を仕掛けるといった話も聞いたことがある。

 どんな場所であろうと、ウィノナの手掛かりとなるような言葉を口にすることはあってはならない。


「軽率でした。大変申し訳ありませんでした。今後は、絶対にこのようなことがないようにします」


 冬夜は、自分の発言に問題があったことをドロシーに詫びた。

 しかし、ドロシーの視線からは、相変わらず只ならぬものが感じられる。

 三十年余り、ヘレナを守ってきたドロシーにとって、冬夜の発言が御法度だったのはもちろん、ウィノナのことをカミングアウトするのも抵抗があったのだろう。


「謝って済むことと済まないことがある」


 ドロシーはゆっくり立ち上がると、ポケットから小型拳銃を取り出して銃口を冬夜の額に突き付けた。

 予期せぬ出来事に冬夜は呆気あっけにとられる。

 ドロシーは見下すような眼差しで、拳銃の撃鉄ハンマーを起こす。ガチャリという、重い音が冬夜の耳の奥まで届いた。


「姫野冬夜、誓うんだ。ヘレナのことを二度とで呼ばないと。誓えないというのなら……ここでお前を撃つ」


 ドロシーの言葉から迷いは感じられない。冬夜に向けられた、鋭利な刃物のような眼差しは、まさにプロの。人を殺すことも辞さない雰囲気が漂っている。


「わかりました。約束します。ヘレナさんのことを、二度とで呼びません。約束を破るようなことがあれば、そのときは撃ってもらって構いません。

 ボクにはやるべきことがあります。だから、絶対に約束は破りません。ボクの命はそのために使うと決めていますから」


 動揺することなく、冬夜は真剣な眼差しを向ける。ドロシーはその瞳に吸い込まれそうになった。

 冬夜の瞳に、ヘレナと同じ何か――深い悲しみをたたえながら前に進もうとする、強い気概が感じられたから。


 ドロシーの脳裏にヘレナの言葉が蘇る。


『私は冬夜の願いを叶えるために全身全霊を尽くす。ドロシー、我がままを許して欲しい』


 最初は猛反対したドロシーだったが、何を言っても聞かないヘレナに根負けした。ただ、心の中で冬夜に対する怒りを収められずにいた。

 ドロシーは、冬夜へ向けた拳銃を静かに下ろして撃鉄ハンマーを倒す。


「無礼な真似をして悪かったわ。全てはヘレナのためなの。許して」


 ドロシーは申し訳なさそうに、自分の胸に手をあてて目を伏せる。

 冬夜はいつものポーカーフェイスで首を横に振る。


「ドロシーさん、ヘレナさんのこと、よろしく頼みます。ボクはこれで失礼します」


 冬夜は立ち上って会釈をすると、その場を立ち去ろうとする。


★★


「……冬夜」


 ソファに横になっていたヘレナの口から言葉が漏れる。ぼんやりとした瞳が冬夜の方を向いた。


「大丈夫ですか? ヘレナさん」


「ああ。落ち着いた。今日話したことは役に立ちそうか?」


「はい。もちろんです。ヘレナさんのおかげでジグソーパズルのピースが埋まりました。これで、ボクの描いたシミュレーションはほぼ完成します。残りは自分で何とかします。時間はかかりそうですが」


 満足げに答える冬夜に、ヘレナはホッとした顔をする。


「キミならできる。何と言ってもキミは天才だからな」


「いいえ。ボクは天才ではありません。あなたのような天才が創り出したものを利用しているだけです。程度の差こそあれ、誰もができること。できて当たり前のことです」


 冬夜が即座に否定すると、ヘレナは首を左右に振った。


「それは極めて主観的な考え方だ。天才であるかどうかを決定するのはあくまで客観的な評価。私のようなタイプがもたらすものは、概して社会生活を営む上であまり効果は見えてこない。それに対して、キミのようなタイプは、具体的な課題解決や効率化に役立つものをもたらす。キミは天才として評価される人間だ。私はそう思う」


 再び否定しようとした冬夜だったが、言葉が出なかった。

 ヘレナの主張は説得力があり、納得できる部分が大きかったから。


「今日の話は、二、三ヶ月でアウトプットする。キミのシミュレーションに組み込んで具体的な手法を取れるような形に取りまとめる。それでいいか?」


「はい。ありがとうございます。でも、無理はなさらないでください」


 冬夜はヘレナに向かって頭を下げながら、ちらりとドロシーの顔に目をやる。

 穏やかな笑みを浮かべるドロシーは、会ったときとは別人に見えた。



 つづく

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