第36話 超人研究(その3)


 「大脳皮質」に電流を流すことで、過去に食べたものに関する記憶を意図的に発現できたのは画期的なことだった。

 加えて、電流の大きさによって、記憶が幻覚となって発現し精神にダメージを与えるというのも、ある意味、貴重な発見だった。


 ウィノナはこの事象を踏まえてある仮説を立てる。


『大脳皮質には、エリア毎に五感に係わる記憶を発現できる場所がそれぞれ存在する。そして、ある種の電気的刺激を与えることでそれを自由に発現させることが可能となる』


 しばらくの間、人体実験は、この仮説を立証し記憶の掘り起こしを可能にするすべを見つけることを目的に行われた。

 人によって反応に差異があることが想定されるため、できるだけ多くの被験者が用いられた。


 二年間で二百人以上の被験者が投入された結果、一九八一年七月、「大脳皮質の記憶地図」と「記憶の掘り起こし手法」がほぼ形になる。

 五感――視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚のそれぞれを使って取得した記憶が格納されている領域を特定し、それぞれにどのような電気的刺激を与えれば記憶が掘り起こせるかを確認した。

 天才が「長期記憶の領域にアクセスしてそれを取り出すすべを身につけた者」だとしたら、これにより、天才を作るためのいしずえが完成したことになる。


 ただ、もともと「超人研究」の目的は「人を越える存在」を作り出すこと。それは天才さえも凌駕するものであり、むしろ神に近い存在。

 神に創られた人間が神を創るなどという発想は極めてナンセンスであり、フィクションの世界でしかあり得ないと考えるのが理に適っている――が、ウィノナの頭の中では、そんな超人を作り出すための手法アプローチがイメージされていた。

 

 もちろん、ウィノナがを望んだわけではない。「記憶の掘り起こし」がヒントになって「潜在能力の掘り起こし」のイメージが自然と脳裏に浮かんできたに過ぎない。


★★


 ウィノナがイメージした手法アプローチは、簡単に言えば「脳内ドーピング」。スポーツ選手が、闘争本能を掻き立てたり、疲れを感じないようにしたり、筋肉の持続力を高めたりするために薬物を服用することがあるが、まさにあれを脳内で行うもの。


 メカニズムとしては、特定の物質が「大脳」に作用し「大脳」から各器官に過度の命令を送ることで、普段以上の力が発揮できる状態を作り出すもの――眠っている潜在能力を引き出すもの。

 ウィノナは、脳に直接働きかけることでより強力なドーピング効果が得られるのではないかと考えた。ただ、既存の物質を投与しても人の領域を超えられないことはわかっていた。

 そこで、新たな薬品を開発した――名称は「ブラブージニア」。ロシア語で「覚醒」を意味する。ウィノナはネーミングなどどうでもよかったが、他の研究員が党の上層部に受けが良さそうな名前にこだわった。

 それは、精神刺激薬の一つ・カフェインをベースにした、覚醒作用がある興奮剤。ただ、「麻薬」と呼ばれる成分もいくつか配合されていることから、コーヒーを飲むのとは訳が違う。身体がもつかどうかは、人体実験をしてみなければ何とも言えなかった。


 一九八一年九月からブラブージニアを使った人体実験が始まる。

 被験者の大脳に直接投与したところ、危惧したとおり、身体がもたなかった。投与後すぐに苦しみ出し心肺停止の状態に陥った。

 ただ、投与直後における、被験者の生体データを確認したところ、神経伝達物質・ドーパミンの放出が大幅に増加したことが確認された。

 ドーパミンは、神経細胞ニューロン内のたんぱく質と結合して情報伝達を活発化する働きがある。「身体さえもてば効果は期待できる」。最初の実験からそんな結論を得ることができた。


 運動のメカニズムは、「大脳」における決定事項が神経細胞ニューロンを経由して筋肉へ伝わり、脳がイメージした動きを実現するものであり、もしブラブージニアの働きで覚醒した「大脳」が命令を発したとしたら、理論的には、普段は数パーセントしか発揮されない能力が百パーセント近く発揮されてもおかしくない。


 何度か実験を重ねた結果、ブラブージニアの改良に加え、脳内に外科手術を施し電気的刺激により脳を保護する処置をとることとなった。

 簡単に言えば、被験者が超人として覚醒してもすぐに死んでしまっては意味がないことから、人体実験とは言いながら「個体の保護」が最優先とされた。

 薬物の成分を軽いものへと変更し、さらに、外科手術により三つの脳――「人の脳」、「馬の脳」、「爬虫類の脳」を人工的につなげたうえで生体電流と同質の電流を流した。


★★★


 ブラブジーニアを使った実験が始まって三年近くが経った、一九八四年八月末。

 実験室にはベッドが三つ並び、それぞれに、外科手術を終えて一日・四日・八日が経った被験者が寝かされていた。

 三人とも、切開された頭蓋骨は丁寧に縫合され、ベッドには布団や枕も置かれている。両腕はベッドに縛られてはいるが、それなりの食事も与えられている。


 午前八時を回った頃、白衣を身にまとったウィノナを先頭に八人の研究者が実験室を訪れる。まるで大学病院の定期検診を彷彿ほうふつさせる光景。


「それぞれの被験者の生体データを確認して」


 ウィノナは指示をする。

 研究員は三つのグループに分かれて、それぞれのベッドの横に備え付けられた機器のデータを確認する。


「第三被験者はまだ目が覚めていないの?」


「昨日手術をしたばかりですからね。麻酔が効いているんでしょう」


 頭の禿げかかった、初老の研究員「セルゲイ・カガロフスキー」の説明に小さく頷くと、ウィノナは視線を第一被験者の方へ向ける。


「第一はどう?」


「第一被験者、順調です」


「第二被験者も問題ありません」


 第一被験者担当に続き、第二被験者担当からも声が上がる。


 ウィノナは被験者の巡回検診が日課となっていた。

 一時期のことを思うと信じられない光景ではあるが、数百人の犠牲を経て、ブラブジーニアと外科手術の改良が進み、いわゆる「超人手術」を受けても生きている者が現れたため、このようなを行うこととなった。


 ちなみに、現在ベッドにいる三人は、それぞれが施されている。それぞれが異なっている。

 第一被験者は「視覚」。第二被験者は「聴覚」。そして、眠っている第三被験者は「運動能力」。

 ウィノナたちが行っている定期巡回は、被験者の健康状態のチェックを行うとともに能力の持続性を確認するもの。

 第一被験者は、十メートル先の豆粒ほどの文字を普通に読むことができ、さらに、電気を消した状態でも人の顔を判別することができた。

 第二被験者は、微かに聞こえる音でも正確に聞き取ることができ、犬並みの聴覚を身につけている。

 能力は備わっていても、脳に障害が残ることでコミュニケーションがとれないことが危惧されたが、それも杞憂きゆうに終わる。


 詳細な能力解析を行ってみないとはっきりしたことは言えないが、二人の状態から、超人研究は大きな進歩を遂げていた。

 さらに、目を覚ましていない第三被験者がそれなりの成果をあげれば、「人体兵器として目途が立つ」と言っても過言ではなかった。

 ウィノナの気持ちは複雑だった。見た目は、いつもの「氷の女王」だったが、心の中では大きな不安と焦りが渦巻いていた。


 しかし、第三被験者は目覚めないのはわかっていた――手術の際、ウィノナがちょっとした細工をしたから。術後の経過が良好な二人もあと数日もすればおかしくなる。こちらも同じように細工をしているから。


 どうしてそうなったのかは他の研究員にはわからない。

 なぜなら、彼らには超人手術の内容は説明しているが、が伝えられていないから。


 これで原因究明のための時間は稼げる。

 ただ、成果が出ないことに対し党の上層部が許してくれるとは思えない。遅かれ早かれ、ウィノナは追及されることになる。ひょっとしたら、反旗を翻していることに感づかれるかもしれない。


 ウィノナの脳裏に「亡命」の二文字が浮かんだ。



 つづく

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