第26話 気付き


 C大学メディカルスクールの三年生に編入した冬夜は、ロバート・ハインズ・ホプキンスの研究室に入り、念願のアメリカ国立衛生研究所NIHとの共同研究――「Personality TransferPT(人格移送)」に携わることとなる。


 NIHの研究成果は定期的に公開されているが、国の機密に関わるものは非公開。PTもその一つで、論文等で公表されている基礎的なもの以外はトップ・シークレット。


 PTとは、記憶、性格、体質、技量など人体の固有情報を電磁データに変換し、体外の記憶媒体へ保管するシステム。

 記憶媒体自体が単なる容れ物ではなく中枢神経器官――脳とその関連器官の機能を有するものであり、体外に個を再現することができる。

 例えば、全身をガンに侵され、臓器の大部分が機能不全に陥っている患者にPT措置を施せば、命を救うことができる。ただし、脳の器官が破壊されてしまえばPTは用をなさないため、身体の死はもちろん脳死状態に陥る前に移送を完了する必要がある。

 昔のSF映画で、病に侵された者を冷凍することで病気の進行を抑えるシーンがあったが、根本的に違うのは、PTの場合、患者の身体を完全に放棄してしまうところ。


 現段階における、大きな課題として、電磁媒体化した者を人として蘇生するすべが確立していないこと。電磁媒体となった者は眠っているのと同じ状態であり、意思表示をすることはない。人としての形もなければ実態として触れることもできない。人間らしさなど全く感じられない状態に置かれる。


 このように、蘇生システムが構築されていない状況では「命を救った」という表現は適切とは言えない。

 そう言う意味では、五、六年後には実用化が想定されているものの、PTの研究は道半ばであってゴールは見えていない。


 ただ、ホプキンスからPTの説明を受けたとき、冬夜は興奮と歓喜を抑えることができなかった。自分の目標に向かって大きく前進したと感じたから。

 PTというシステムの存在を認識したことで、頭の中では、過去にシミュレートした九千百二十二のパターンがブラシアップされた。

 具体的に言えば、「これに○○といった機能を有するシステムや●●といった理論が加われば、電磁媒体を人として蘇生できる」といったレベルに変わっていた。そのカギを握るのは、旧ソ連にて行われていた超人研究の成果――ウィノナ・エレンブルグのみが知る機密情報。


 仮に成果が上がっていなければシミュレーションは成り立たないが、そんな前提条件は設定していなかった。

 言い方は悪いが、何百人という人間を使った人体実験に、ウィノナという希代の天才が携わっていたのだから「何も成果がない」ということはとても考えられなかったから。


『エレンブルグ博士、ボクは絶対にあなたを見つけ出す』


 冬夜は心の中でまだ見ぬウィノナに静かに語りかけた。


★★


 四月半ばのある日、冬夜は初めてNIHを訪問する。

 C大学とNIHはいずれもロサンゼルス市内にあり、徒歩と地下鉄で二十分あれば行くことができる。

 一義的には共同研究のスタッフに挨拶するためだったが、冬夜にはもう一つ重要な目的があった。


 冬夜はまず、特別講演の懇親会の場で、C大学へ留学するアドバイスをくれた、心臓移植の権威・ブライトマンを訪ねた。


「やっぱり来たね。目標を達成できることを祈っているよ」


 ブライトマンは冬夜の顔を見るや否やニヤリと笑う。

 当時の礼と挨拶をした冬夜は、おもむろを切り出す。


「博士の部署には、ブロンドの髪をした、六十前後の女性スタッフはいませんか?」


 唐突な冬夜の質問にブライトマンは眉をハの字にして考える素振りを見せる。しかし、すぐに首を横に振る。


「うちの部署にはいないね。うちだけじゃなく、NIH全体で見ても女性の数はかなり少ない。しかも六十前後となると……対象自体がいないかもしれないね」


 冬夜は丁寧に礼を言って、その場を後にする。

 次に向かったのは、共同研究で世話になる脳神経チーム。一人一人に挨拶をして回り、最後にブライトマンにしたのと同じ質問をする。

 答えは同じだった。室内に女性スタッフが三、四人いたが、どう見ても四十代前半だった。


『簡単にはいかないな』


 冬夜は小さくため息をつきながらNIHを後にする。


★★★


 メディカルスクールでは、四月下旬から本格的な授業が始まる。

 渡米前、神経科学に関する、多数の文献に目を通したことで、冬夜は「それなりの知識を身に着けた」という自負はあった。しかし、授業を受けて鼻っ柱をへし折られた気分だった。

 以前ホプキンスから「十篇の論文に目を通す時間があったら一回の実習に立ち会うべき」といった話を聞いたが、まさにその通りだった。


 死体を使った解剖実習を行った際、三時間という時間がとてつもなく長く感じられた。

 手術台の上の「人」は、普段冬夜が接している「人」とは異質な存在。

 血の通った身体と死体とを同じ人と捉えるのはナンセンスではあるが、仮に生きていたとしても「全く別の生き物」と感じたのではないか。


 無防備に横たわる患者はその命運を医師に委ねている。生かすも殺すも医師のさじ加減一つの状態に置かれている。

 そんなことを考えながら死体にメスを入れようとすると、冬夜は全身を押さえつけられたような圧迫感を覚えた。まるで無意識のうちに脳が自制信号を発しているかのようだった。

 机上では疑義など全く生じることなく判断できるものに対し、躊躇ためらいを覚えた。「これが春日だったら、こんな処置でいいのか? 本当に大丈夫なのか?」。そんな自問自答を繰り返した。


 実習が終了した瞬間、まるでフルマラソンを走った後のような倦怠感に襲われ、立っているのも厳しい状況だった。

 家に帰ってすぐにベッドに横になったが、眼が冴えて眠れなかった。理由のわからない吐き気を催し、三度嘔吐した。


 次の日、冬夜は、前日の体験がとても貴重なものであったことを改めて認識する。そして、C大学に留学したのは間違いではなかったと確信する。

 医学の道を志す者なら誰もが体験する解剖実習でさえ、あれほど得るものが大きかったのだから、特殊な体験――PTの開発や実験に携わることで得られるものはその比ではないと思ったから。


 ウィノナに出会うために留学した冬夜だったが、己を過信していたことに気づくことができたのも重要なことだと思った。

 実際、今の状態でウィノナを見つけたとしても、机上の文献の知識のみに頼る冬夜は「井の中の蛙」であって、彼女の研究成果を最大限に生かすことができないかもしれない。


『ボクは天才ではない。もっと自分をみがいて天才ウィノナに近づかないと』


 冬夜は自分にそう言い聞かせると、グッと唇を噛んだ。



 つづく


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