第27話 PT戦略会議


 冬夜は、渡米して四度目の冬を迎える。

 と言っても、ロサンゼルスは年間を通して温暖で十二月でも最高気温が二十度に達する。日中はTシャツ一枚で過ごせる日もあり、日本の冬とはイメージが大きく異なる。


 最終学年を迎えた冬夜は二十歳。卒業後の進路として、NIHへの入所が決まっていた。

 担当教官のホプキンスの推薦もあったが、何よりNIH側が冬夜の入所を強く望んだ。それほどまでに、渡米後の冬夜の成長は目を見張るものがあった。


 渡米から三年と八ヶ月、冬夜はPTの共同研究に尽力した――と言っても、学生であるゆえ表舞台に登場することはなく、いわゆる「裏方」の研究者だった。

 しかし、四年生以降、NIHのPT担当研究者フェローとの定期的なミーティングにはいつもホプキンスといっしょに出席し、積極的に意見を述べるとともに具体的な改善点なども提案した。

 スタッフが見落としている部分にも鋭く切れ込み、冬夜がミーティングに参加したことは、開発計画や臨床実験の方法などに少なからず影響を与えた。

 そんな冬夜をNIHが放っておくはずがなく、それは冬夜の思惑にも合致した。


 他方、もう一つの目標――ウィノナ・エレンブルグの探索は難航を極めていた。

 「神経科学に精通した、ブロンドの髪を持つ六十前後の女性」の所在について、行く先々で確認をしたが、彼女を知る者はおろか、手掛かりさえも得ることはできなかった。


 春日の様子については、母親の秋穂とメールで定期的に状況を知らせてもらうとともに、何かあればすぐに連絡を入れてもらうことにしていた。

 スマホの着信音がなると、冬夜はすぐに目を覚ました。そして、その宛先を確認した。幸いなことに、渡米後、秋穂から緊急連絡が入ることはなかった。しかし、これからも無いとは言い切れず、状況は何も変わってはいなかった。


 年が明ければ春日は小学六年生。二、三年後には二度目の手術を受けなければならない。身体が拒絶反応を起こすことなく順調に来ているのは喜ばしいことであり、再手術をすることでかえってリスクは大きくなる。ただ、手術を避けて通ることはできない。

 そんなことを考えると、冬夜はいつもき立てられるような焦燥感にさいなまれる。ウィノナに会えないことで、前に進んでいないことを実感せざるを得ないから。

 今、冬夜にできることと言えば、ウィノナに会ったとき、取るべき手法をより明確にするため、シミュレーションの精度を高めること。それから、自らを研鑽けんさんすること。いずれも、ウィノナとの接点がなければ、徒労に終わるものだった。


 心臓のあたりに重い物が圧し掛かるような苦しさを覚えたのは、春日のことを考えたから。「春日が抱える『爆弾』の重みを少しでも受け止めたい」。そんな強い気持ちの表れだったのかもしれない。


★★


「冬夜くん、さっき、NIHから連絡があって、明後日、PT戦略会議ストラテジーミーティングに君を連れて来て欲しいと言われた。僕も賛成だ。四月から君はNIHの研究員としてPTに携わるわけだから、委員の話を直接聞くのはプラスになると思うよ」


 十二月二十日の夜、ホプキンスから冬夜に電話があった。

 それはPTの戦略会議への出席依頼。NIHでは、月に一度、プロジェクトの進捗状況、解決すべき課題や発見された新技術などを共有し、よりスムーズに計画を進めるための会議を開催している。


 委員は全部で十人。他にNIHのスタッフ十人が事務局として出席する。

 会議の場には、NIHのプロジェクト責任者である上級研究員シニア・フェロー、アメリカ政府のプロジェクト担当官、神経科学の分野で著名な学者をはじめ、秘密裏に行う国家プロジェクトのキーマンとして相応しい「いかにも」といった人物が集う。言わずもがなではあるが、共同研究の責任者であるホプキンスも委員の一人となっている。


 会議当日、冬夜は事務局の一番端の席に座った。

 三々五々訪れた委員は、会議室中央の丸テーブルに設けられた自分の席に座ると、手慣れた手つきでパソコンを立ち上げる。そして、議事次第と資料に目を通す。

 戦略会議は原則ペーパーレスで行われる。

 会議室の大型画面にメイン資料が映し出されるほか、膨大な量の参考資料はそれぞれのパソコンで確認することができる。

 資料はすべてマル秘扱いであり、委員が持ち出しを希望する場合には、事務局が暗号化機能がついたUSBにデータを落として配付する。ただ、流出すると大問題となるため、これまで持ち出した例はない。


 冬夜は一介の学生である自分が、国家機密を扱う会議に出席していることに高揚感を押さえきれなかった。


「この会議に学生が出席したのは、冬夜が初めてです。『それだけの評価を受けていること』の表れです。堂々としていてください」


 落ちつかない様子の冬夜に顔見知りの男性研究員が耳打ちをする。

 少し気持ちが楽になった。冬夜は小声で礼を言った。


 そうこうしているうちに戦略会議が始まる。

 会議は、午前の部が九時三十分から十一時三十分まで。昼食を挟んで、午後の部が十三時から議論が終了するまで。議論が白熱すると夕方まで及ぶこともある。

 最初に前回の会議の議事録の確認が行われ、各委員が回ってきた議事録にサインをする。会議自体はIT化されているにもかかわらず、ここだけは一昔前のが残っている。


 この日も、事務局からの進捗状況の説明を皮切りに熱い議論が交わされた。

 立場が違う者が集まり、それぞれが独自の考えを展開するのだから、熱くならないわけがない。

 進行係MCを務める事務局長は、これだけの強者を相手に会議を円滑に運営しなければならない。かなりの重労働であることは間違いない。


 会議が始まる前、ホプキンスから「勉強半分・楽しみ半分で出席すればいい」と言われた冬夜は、それぞれの委員の主張を咀嚼そしゃくし、自分が裏方として携わることで脳内に蓄積した、PTに関するデータとのマッチングを図っていた。それは、冬夜にとってとても有意義な時間だった。


 そんな中、冬夜には気になることが三点あった。「取るに足りないこと」と言ってしまえばそれまでだが、途中から気になって仕方がなかった。

 一点目は、丸テーブルの端の席にネームプレートに肩書きのない女性がいたこと。名前は「Helena Carpenterヘレナ・カーペンター」。見た感じは五十代前半。エキゾチックな黒い髪に黒い瞳。人の良さそうな丸顔のぽっちゃりとした女性。鼻からずり落ちそうな、銀縁の眼鏡の上から他の委員の顔をジッと見つめている。

 二点目は、議論が白熱し収拾がつかなくなりそうになると、進行係MCがヘレナの方をチラリと見て意見を求めるような仕草をすること。

 三点目は、ヘレナの主張は説得力があり、彼女の一言で白熱した議論が収束していくこと。


『何者なんだろう? 彼女』


 その日の戦略会議は五時間に及んだが、冬夜にはとても短く感じられた。

 おそらく、ヘレナの一挙手一投足にこれまで味わったことのない高揚感を抱いていたから。

 戦略会議が終わって大学へ戻る途中、冬夜はホプキンスに訊ねてみた。


「先生、ヘレナ・カーペンターという女性がいましたが、彼女は何者ですか? 今日の会議は彼女を中心に回っていたような印象があります」


「さすがだな。冬夜くん。カーペンター博士に目をつけるとは。ただ、僕も彼女のことはよくわからないんだ」


 ホプキンスから思いも寄らない答えが返ってきた。


「もしかしたら、最近、戦略会議のメンバーになった方ですか?」


「いや、カーペンター博士は一番の古株だ。PTのことは誰よりも詳しい。それに、年は七十代半ばだと思うけれど、理路整然とした切れ味のよい主張は年齢を感じさせない。

 実は、神経学会でも、カーペンター博士を師と仰ぐ者や教えを請いたいという者が結構いるんだ。でも、いくらお願いしても彼女は相手にしてくれないんだ」


 ホプキンスは肩をすくめて首を左右に振る。


「あれで七十代半ばですか? とてもそうは見えません。五十代前半でも通用します」


 ヘレナの第一印象は「気の良い田舎の老婦人」。しかし、話をし始めると雰囲気がガラリと変わる。よく通る声に滑らかな口調。それは妙に説得力がある。


「あまり大きな声では言えないけど……」


 地下鉄を降りて地上に出たところで、ホプキンスが周りに人がいないことを確認する。


「来年から始まる、人を使った臨床試験は、実はもっと早い時期に実施できる運びだった。マウスを使った実験で安全率が九十に達していたから。一般的には、八十代後半の数値があれば人を使ったテストに移行できる。でも、カーペンター博士がそれを許さなかった。

 少し前まで『百パーセントでなければ認めない』と言っていたんだ。『それではいつまで経っても臨床実験は行えない』と、事務局や委員が必死になって彼女を説得した。その結果、何とか九十六で了承してもらった。研究者としてとても優秀な反面、人命の話になると目の色が変わるんだよ。彼女は」


 冬夜はホプキンスの話に真剣な表情で耳を傾ける。ヘレナに対する興味がますます大きなものへと変わっていった。



 つづく

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