第45話 ハッピー・クリスマス(その2)


「悪かったな。遅くまで引き止めちまって。お袋も言いたい放題だし。悪気はないから許してやってくれ」


「そんなことないよ。お母さんといろんな話ができてすごく楽しかった。すっかりご馳走になっちゃったし。ホントにありがとう」


 両岸にライトアップが施された河川を見下ろしながら、春日と温人はいつもの土手の道を歩いていた。

 普段はそこに川があることさえわからないような、真っ暗な空間も、ライトアップの光が水面みなもを鮮やかに彩り、川の輪郭がくっきりと浮かび上がっている。


 時刻は午後九時三十分を少し回ったところ。

 温人を家へ送る春日。その手には、布が巻かれた、赤い木刀が握られている。


「でも、は逆だよね?」


 視線を川に向けたまま温人がポツリと呟く。


「何がだ?」


 隣りを歩く春日が首を傾げる。


「女の子に送ってもらうなんて……男のくせにカッコ悪いよね」


 どこか浮かない顔をする温人に、春日はフッと笑う。


「そんなの気にしてどうするんだよ? そんなこと言ったら、全然女らしくなくて全然優しくないあたしの立場がないじゃないかよ。

 っていうのは『カップルの男と女はこうあるべきだ』なんて誰かが勝手に言ってるだけだろ? 世の中には、力が強いだけで全然使えない男もいれば、力が弱くてもしっかり守ってくれる男だっている。いっしょにいて女を安心させられる男は、女を守ってることになるんだよ。細かいことは気にするな」


 春日は目を逸らして視線を夜空に向ける。


「春日さん?」


「ん?」


「それって、ボクがいっしょにいると、春日さんが安心するってこと?」


 温人の口から確信を突いた質問が発せられる。春日はハッとした表情を浮かべた。


「ち、違うに決まってるだろ! つ、つまりだな……そう! 『例えば』だ! あくまで『一般的な話』ってことだ!」


「そうだよね。『カップルの男と女は』って前置きしてたもんね」


 吐き出す息は白いのに顔は妙に熱い。心臓が激しく脈打っている。春日は自分がとんでもないことを言っていたことに気づく。


「も、もうこんな時間じゃないか。温人、急ぐぞ」


 春日は足を速めて温人の前に出る――と、そのときだった。


「春日さん!」


 突然、温人が大きな声を上げる。


「なんだよ? そんな大きな声出して。ビックリするじゃないか」


「雪だよ」


 春日の目に映ったのは、満面の笑みを浮かべる温人と、夜空から舞い落ちる、雪の華。最初は一つ、二つと数えられるぐらいだったは、すぐに夜の暗幕を覆い尽くした。

 ライトアップの光を浴びた、無数の白い欠片かけら水面みなもに降り注ぐ様は、幻想的な雰囲気を醸し出していた。


 春日は目を輝かせる。大袈裟かもしれないが、これまで見てきた中で一番美しい景色だと思った。


「春日さん、これ」


 温人は、コートのポケットから、クリスマスカラーのラッピングが施された、小さな包みを取り出す。


「……何だよ? これ」


「クリスマスプレゼント。招待してくれたお礼だよ。プレゼントなんて呼べるものじゃないけど」


 はにかんだように笑う温人に、春日の胸がトクンと音を立てる。

 家族以外からもらう、初めてのクリスマスプレゼント。しかも温人から。春日は居ても立ってもいられない気分だった。


「開けてもいいか?」


「うん」


 包みを丁寧に開けると、中から現れたのは、小さな、赤い花があしらわれた、可愛らしい髪留めバレッタ


「春日さんはいつも黒い髪留めをしてるけど、クリスマスには違うのもいいかと思って。でも、こういうの買うの初めてで、どんなのがいいかわからなくて……ごめんね」


 手のひらに乗せた髪留めをジッと見つめながら、春日は首を横に振る。切れ長の瞳が微かに揺れている。

 春日はいつものバレッタを外して、温人のくれた髪留めを付けた。


「……似合うか?」


「うん。すごく似合ってる。すごく可愛い」


 温人の言葉に春日の目が細くなる。子供のような愛らしい笑みが浮かぶ。


「温人、ありがとう。ずっと大切にする。それから……メリークリスマス」


「うん。メリークリスマス」


 二人は肩を寄せて、雪の華が咲く水面みなもをしばらく眺めていた。「来年も、再来年も、その先も、ずっとこんな時間が続きますように」。そんなことを思いながら。


★★


「たっだいま!」


 玄関の扉が開く音に続き、春日の陽気な声が響いた。


「おかえり。春日」


 キッチンから顔を覗かせた秋穂の目に、バレッタが映る。

 すぐに「ピン」と来たが、あえてそれには触れなかった。


「温人くん、ちゃんと送ってあげた?」


「うん。お袋に礼を言ってたよ。すごく楽しかったって」


 春日は秋穂に背中を向けて玄関に腰を下ろすと、ブーツの紐を解き始める。


「じゃあ、また呼んじゃおうか? 毎月〇〇日まるまるにちを『温人くんの日』にするなんてどう?」


「わかった。そうする」


 何の躊躇ためらいもなく、春日はうれしそうに言った。

 春日の素直な様子に秋穂は驚きを隠せなかった。「春日は変わった」。そんな言葉が脳裏に浮かんだ。


「紅茶をいれるからダイニングにいらっしゃい。いろいろ聞きたいこともあるしね」


「うん。すぐ行く」


 これまでの春日だったら「話すことなんか何もない」という言葉が返って来ただろう。やはりどこか違う。

 ケトルに水を入れる秋穂の顔に安堵の表情が浮かぶ。同時に、身体の奥からうれしさが込み上げてきた。


 ――ドサッ――


 玄関の方で何かが倒れるような音が聞こえた。

 秋穂はケトルをシンクに置くと、エプロンで手を拭きながら玄関の方へ顔を向ける。


 秋穂の目が大きく見開いた。

 そこには、ブーツを片方履いた状態で横たわる、春日の姿があったから。


「春日!」


 秋穂は慌てて春日のもとへ駆け寄る。ブーツを脱がせて春日を仰向けに寝かせた。


「……お袋」


 春日は激しい呼吸をしながら、虚ろな眼差しを秋穂に向ける。

 その様子を目の当たりにして何が起きたかわからない秋穂ではなかった。


『合併症を発症したら打つ手はありません。覚悟はしておいてください』


 いつか聞いた担当医の言葉が脳裏をよぎる。頭を左右に振って声を振り払うと、秋穂はスマホから一一九番に電話をして救急車を要請した。併せて、春日に心臓の疾患がありS大学病院の循環器内科にかかっていることを告げた。


「……とうとう……来ちまった……」


 春日の口から息絶え絶えに言葉が漏れる。

 腰を下ろした秋穂は、春日の頭を膝の上に抱き上げた。


「春日、気をしっかり持つの。もうすぐ救急車が来るから」


 秋穂は春日の手をしっかりと握り締める。


「……でも……合併症が起きたら……あたしはもう……」


「大丈夫。絶対に大丈夫だから。春日は一人じゃない。私とお父さんがついてる。それに……」


 秋穂の脳裏に、誰よりも春日のことを心配している冬夜の顔が浮かんだ。しかし、あえて名前は出さなかった。


「……温人くんもついてる」


 その瞬間、虚ろだった、春日の瞳に光が宿る。


「……そうだな……あたしが……温人あいつを……守ってやらないとな……」


 春日は小さく笑って静かに目を閉じた。


『させない。絶対にさせないから』


 秋穂はグッと唇を噛むと、震える手でスマホを操作する。

 メッセージを入力した秋穂は、目を閉じて祈るような気持ちで送信ボタンを押した。


『冬夜くん お願い 早く来て 春日を助けて』



 つづく

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