第15話 守るべきもの


 九月三日の夕方、道場から帰る途中、春日はに遭遇する。

 人気ひとけのない公園のトイレの裏で、学ランを着た男子がガラの悪そうな連中に囲まれている。

 二人対五人。まさに多勢に無勢な状況。五人は脅すような表情で二人をにらみつけ、大きな声を張り上げて肩や胸を小突いている。


「あっ……」


 男子生徒の顔に目をやった春日は、驚きの表情を浮かべる。

 絡まれている生徒の一人が、二日前に会った伊東温人だったから。


「わからねぇ奴だな。三万円持って来れば、痛い目見なくて済むって言ってるんだよ! どうすんだ!? ああっ!?」


 五人の中の一人が左手で温人の胸倉を掴む。右手の拳を握って殴るような素振りを見せる。

 弱い者を大勢で囲み暴力で従わせようとする行為は、古今東西いつの世もなくなることはない。

 はたから見ると恥ずかしくなるような行為ではあるが、当事者はそのことが全くわかっていない。「恥」とはよく言ったものだ。

 

「止めろよ」


 五人の背後で少しれた、ハスキーな声が聞こえた。

 全員の視線がほぼ同時に声の方を向く。

  

「ああっ!? 何だ? てめえは」


 リーダー格の男が薄い眉毛をハの字にして、春日の方へ近づいて威嚇するような態度を取る。

 しかし、我関せずという様子で、春日は木刀に巻かれた布をゆっくりとほどく。赤い木刀が露わになった瞬間、五人の顔色が変わった。


「赤い木刀……こいつ、『疾風の春日』だ」

「高校生三人を病院送りにした、あの春日かよ?」

「なんでこんなところに……? 入院してたんじゃなかったのかよ?」

「ヤバイよ。ヤバイっすよ」


 春日は右手で木刀を握って二度、三度振り下ろす仕草をする。ひゅんひゅんと風を切る音が不気味に響く。


「もう一度だけ言う――止めろよ」


 春日は鋭い眼差しで五人を睨みつける。口調は穏やかながら、凄味すごみが感じられる。五人は「蛇に睨まれた蛙」のごとく全く動けないでいる。


「失せろ」

 

 春日の一言に、五人は荒い呼吸をしながら顔を見合わせる。一人が足を踏み出したのが合図であるかのように、全員が足早にその場から退散する。


「おい、大丈夫か?」


 春日が心配そうに声を掛ける。すると、温人といっしょにいた、気が弱そうな男子生徒は視線を逸らしておびえたような様子を見せる。


「だ、大丈夫です。あ、ありがとうございました!」


 礼を言うが早いか、男子生徒は逃げるように去っていった。まるで先程の五人組のVTRを見ているようだった。

 ヤレヤレといった様子で何度も首を横に振る春日。キョトンとした顔をする温人。春日のことをよく知らない温人には、何が起きたのか全く理解できなかった。


★★


「どうしてお前は、自分からトラブルに首を突っ込むんだ?」


 木刀に布を巻きつけながら、春日はあきれたような口調で言った。


「同じ中学の生徒だったから、放っておけなくて」


「お前たち、知り合いじゃなかったのかよ!?」


「違います。顔は見たことがありますが」


 温人は悪びれた様子もなく、穏やかな笑みを浮かべる。


『こいつ、どこまでお人好しなんだ?』


 心のぼやきとともに、春日の口から深い溜息が漏れる。


「それにしてもトラブルが多過ぎないか? お前、二日前にも歩けなくなった年寄りを助けてただろ?」


 春日の突っ込みに、温人は「まいったなぁ」という表情を浮かべて指先で頬をポリポリとく。


「実はよくあるんです。こういうこと。多いときは、一日五、六回はあるかもしれません」


「はぁ!? 五、六回!? 何だよ、それ。あり得ないだろ?」


 春日は眉間に皺を寄せて「納得がいかない」といった表情を見せる。

 温人は目を細めて考える素振りを見せると、何かを決断したように小さく頷く。


「これから話すこと、誰にも言わないでくださいね」


 予想外の展開に春日は再び眉間に皺を寄せる。

 ただ、もともと友達と呼べる者がいない春日は、温人から聞いたことを話す相手などいない。考えるだけ無駄だと思った。


「わかった。誰にも言わない」


 温人は安心したような表情を浮かべて、おもむろに話し始めた――自分の「能力ちから」のことを。


★★★


 物心ついた頃から、温人にはが聞こえた。

 それは温人にしか聞こえない「心の声SOS」。声の方へ行ってみると、迷子になった子供が泣いていたり、気分が悪くなった老人が倒れていたりした。

 声の主は人とは限らなかった。怪我をして動けなくなった猫だったりいじめられている犬だったりすることもあった。


「アッチ! アッチ!」


 幼い温人は時折どこかへ行きたがる素振りを見せた。まるで磁石に引き寄せられるようにある方向へ歩いていった。両親が後を追い駆けると、そこには決まって困っている誰かがいた。


 温人に聞こえる声は、彼を中心に半径百メートル以内で発せられるものに限られ、その対象も犬、猫、猿といった、ある程度知能が高い哺乳類に限られた。

 もし声が世界中から聞こえて、対象が全ての生き物だったとしたら、温人の頭の中には常に心の声SOSが響き渡り、頭がおかしくなったかもしれない。


 その声は、温人が成長するにつれ次第に聞こえ難くなっていった。

 例えるなら、車で遠出したとき、カーラジオのチューニングが合わなくなって雑音が大きくなっていくような感じ。

 小さい頃は内容も場所もはっきり認識できたが、少しずつ感度が鈍り、中学に入学する頃には以前の半分程度しか聞き取れなくなった。


「変な話をしてごめんなさい。でも、嘘じゃないんです」


 温人は視線を逸らして、どこかおびえたような顔をする。

 にわかに信じ難い話だった。しかし、温人が嘘をついているようには見えなかった。仮に一日に何回もそんなことが起きているとしたら、春日が短期間に二度もそんな場に居合わせたことも説明がつく。


 視線を足元に落として、春日は何かを考えるような素振りを見せる。

 春日は比べていた――目の前にいる温人と自分自身のことを。


 あえてトラブルに首を突っ込み、一文の得にもならない人助けをする温人を「お人好し」だと思った。他方、春日には絶対に真似できないことをやってのける温人のことが「羨ましい」と思った。


 生まれつき心臓に重い疾患を抱える春日は、他人に対して強い、負の感情を抱いている。周りがどうなろうと知ったことではなく、いつも無視を決め込んできた。

 しかし、その日は違った。気が付いたら身体が勝手に動いていた。理由は簡単。そこに温人がいたから。温人のことが気になって仕方がなかったから。


『こんなことを繰り返していたら、温人こいつはいつか取り返しがつかないことに巻き込まれる』


 春日は不安と心配がいっしょになったような気持ちを抱く。

 ただ、その気持ちの根底にあったのは、温人がトラブルに首を突っ込むのを「いかに止めさせるか」ではなく「いかに続けさせるか」。

 温人の笑顔には人を引き付ける何かがあり、人を幸せにすることができるものだと思ったから。


『あたしが守ってやらないと』


 春日は、自分自身に言い聞かせるように心の中で呟いた。


 

 つづく

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