第47話 2人の距離(その1)


 クリスマスイブの夜、自宅の玄関で倒れた春日はS大学附属病院へ緊急搬送された。精密検査の結果は大方の予想通りで、合併症の兆候が見られた。


 心臓に補助装置が埋め込まれていることで、春日の身体は他人よりも血栓けっせんができ易い。血栓は血流に乗って全身へ運ばれ、臓器の動脈血管を塞ぐ「血栓塞栓症」を発症させる。それが脳の動脈で発症すれば致命傷にもなりかねない。

 補助装置は抗血栓性に優れた素材で作られてはいるものの異物であることに代わりはなく、身体が拒絶反応を示せば、心臓以外の臓器にも悪影響を及ぼす。

 春日の体内では、そんな拒絶反応が常態化しつつあった。


 既存の補助装置では心臓が正常に稼働しないケースも考えられ、今回のような呼吸困難がいつ何時起きてもおかしくなかった。脳に酸素が行き渡らず脳死に至る危険が常に付きまとう状態にあった。


★★


 十二月二十五日午後三時三十分、S大学附属病院七階の待合室に、秋穂と温人が現れる。二人はこれから春日の病室を訪れる予定だった――「ある人物」といっしょに。


「こんにちは。お久しぶりです」


 二人が声の方へ目をやると、グレーのスーツに身を包んだ冬夜の姿があった。

 秋穂と冬夜は、メールでは定期的に連絡を取っていたものの、実際に会うのは九年ぶりだった。


「冬夜くん、わざわざ来てくれてありがとう。それから、これまで一人でがんばってくれて……がんばらせて……ごめんね……本当にごめんね……」


 最初は笑顔を見せていた秋穂だったが、次第に表情が崩れ、口元を押さえて涙声になる。冬夜の顔を見てホッとした気持ちと、それまで抱いてきた、申し訳ない気持ちの表れだった。


「母さんが謝ることなんか何もないよ。こうして間に合ったんだから。それに、がんばったのはボクだけじゃない。みんなががんばったんだ。強いて言えば、春日が一番がんばったね」


 秋穂は涙をぬぐいながら「うんうん」と首を縦に振る。

 冬夜の視線が秋穂の後ろにいる温人に向く。


「彼が伊東温人くん?」


「そうだよ。春日にとても良くしてくれるお友達……でいいのかな?」


 秋穂が視線を向けると、温人は少し照れたように「はい」と答える。


「はじめまして。春日の兄の姫野冬夜です。温人くんのことは母から聞いています。いつも春日を支えてくれてありがとう。心から感謝しています」


 冬夜は温人に向かって頭を下げる。


「と、とんでもありません。僕の方こそ、いつも春日さんにはすごく良くしてもらっています。何の役にも立てず申し訳ありません。今回のことだって……あっ、伊東温人です。よろしくお願いします」


 温人は恐縮した様子で冬夜に挨拶をする。


「そんなことないよ。いつも春日の口から出るのは温人くんの話ばかり。温人くんには本当に感謝しているの。もちろん、春日の方が私の何倍も感謝してるけどね」


 すかさず秋穂がフォローする。

 温人は照れたような様子で、指先で頬をポリポリといた。


「改めて、大事な話があるんだ」


 不意に冬夜が切り出す。


「じゃあ、僕はあっちに行っています」


 自分がそこにいるのが場違いだと思ったのか、温人はその場を離れようとする。


「いや、温人くんにも聞いて欲しいんだ。春日の命が助かるかどうかは、温人くんにかかっていると言ってもいい」


 冬夜の一言に温人の足が止まる。秋穂と二人、緊張した面持ちで冬夜の顔を眺める。

 冬夜は、春日を助ける方法――PTとバランサー・システムについて、二人に話して聞かせた。


 現実離れした、夢のような話にポカンと口を開けて聞いていた二人だったが、話が終わる頃には、その顔に強い決意が浮かぶ。「春日を助けたい」。そんな気持ちが全身から湧き上がっているようだった。


「最初は心臓移植か心臓の正常化を目指しました。しかし、実現可能性がほとんどないことがわかって方針を変更しました。

 身体を放棄し他人と五感を共有するというのは異常な状態です。制約が多くて息が詰まるかもしれません。ただ、現時点で春日を救う方法はそれしかありません。

 先程担当医と話をしたところ、春日はいつどうなってもおかしくない状況にあります。アメリカへの長時間のフライトも危険が伴います。しかし、今やるべきことは、春日を一刻も早くアメリカへ連れて行くことです」


 冬夜の口調に「絶対に春日を助ける」といった執念のようなものが感じられる。

 秋穂がすかさず両手で冬夜の右手を握る。


「冬夜くんが家の子じゃなかったら、春日は絶対に助からなかった。キミには心から感謝してる。感謝することはあっても責めることは絶対にない。冬夜くんの言うとおりにするよ」


 秋穂の言葉に冬夜はホッとした表情を浮かべる。


「それから、温人くんにお願いがあるんだ」


「僕にできることがあれば何だってやります」


 温人は緊張した面持ちで冬夜の顔をジッと見つめる。


「何があっても春日のことを忘れないで欲しい。春日もキミのことは絶対に忘れない。もし二人がそんな気持ちでいられたら、バランサー・システムで春日を蘇らせることができる」


「冬夜さん、僕にとって春日さんは大切な友達です。このままいなくなるなんて考えられません。だから、僕は死んでも春日さんのことを忘れません。約束します」


 温人の力強い言葉に冬夜は満足気に頷く。


「じゃあ、病室へ行きましょう。今は春日の体調も落ち着いているから普通に話せると思う」


 秋穂の先導で三人は春日の病室へと向かった。


★★★


「春日、体調はどう?」


 病室の扉を開けて、秋穂が顔を覗かせる。


「お袋、わざわざ来てくれたんだ。おかげ様で落ち着いてるよ」


 ベッドに横になっていた春日の顔に笑みが浮かぶ。

 そんな二人のやり取りを聞いた温人が後から続く。


「春日さん、こんにちは。元気そうで良かった。倒れたって聞いて寿命が縮んだよ」


「温人、心配掛けて悪かったな。でも、この通りだ。すぐに退院してやるぜ」


 春日はこれ見よがしに両手でガッツポーズを取る。しかし、その手が空中でピタリと止まる。


「春日、久しぶりだね」


 冬夜の登場に春日は言葉を失う。その顔には、驚きと戸惑いがいっしょになったような表情が浮かんでいる。


「ボクといっしょにアメリカへ来て欲しい。ボクが春日の病気を治す」


 これまで、春日は冬夜とまともに話をしたことなどなかった。

 冬夜はいつの間にか春日の前からいなくなっていた。アメリカに留学したと聞いたのはかなり後になってから。自分を無視したような、冷たい態度に、春日は自分の中で冬夜を「他人」と位置づけていた。


 そんなの言葉は、春日の心には届かなかった。


「いきなり現れて兄貴面するんじゃない! お前なんか兄貴じゃない! あたしの前から消えろ! さっさとアメリカに帰れ!」



 つづく

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