第2部 疾風の春日 The girl is called 'Shippuu'

第12話 心の声


 中学二年生になった年の七月、春日かすがは二回目の心臓手術を受けた。

 生まれてすぐに受けた、最初の手術で装着した補助装置を付替えるもので、身体がある程度成長したとき、再度手術を受けることは決まっていた。


 手術が終わった後、春日の両親が担当医に呼ばれる。

 看護師に案内されてナースステーションの隣りの小部屋へ入ると、担当医がマウスを片手に、パソコンのモニターに映し出された、心臓の立体画像を眺めていた。


「どうぞお掛けください」


 モニターを見つめたまま、担当医は両親に丸椅子に座るよう促す。

 二人は緊張した面持ちでモニターの画面をジッと見つめた。

 

「手術は成功です。経過観察のため三週間程度の入院は必要ですが、その後は元の生活に戻れます」


 両親は顔を見合わせて「うんうん」と首を縦に振る。それぞれの顔に安堵の表情が浮かぶ。

 しかし、少し間が空いて担当医の口から出た一言が、二人の顔を再び険しいものへと変える。


「状況は手術前と何も変わっていません。いつ合併症を発症してもおかしくありません。引き続き、臓器提供者ドナーの方は当たってみますが」


 担当医は小さく息を吐いて真剣な表情で続ける。


「はっきり言います。そうなったら打つ手がありません。娘さんの命は『神のみぞ知る』状態にあります」


★★


 姫野ひめの 春日かすがは十三歳の中学二年生。身長百五十センチと小柄ながら、顔が小さいせいか、実際よりも背が高く見える。

 髪を耳に掛けて前髪をバレッタで留めた、ボーイッシュなショートヘアと、クッキリとした眉の下で鋭い眼光を放つ、黒目がちの瞳がトレードマーク。

 女でありながらその姿には凛々りりしさが感じられ、宝塚歌劇団の男役のような雰囲気が漂う。また、見た目だけでなく口調も荒っぽく、父親のことを「親父おやじ」、母親のことを「おふくろ」と呼ぶ。はたから見ると粗野な印象は否めず、近づき難いところがあった。

 

 春日はいつも独りだった。

 周りを寄せ付けない雰囲気に加え、自分から周りと距離を置くようなところがあった。それは、彼女の持病のことが多分に影響していた。

 心臓に重い疾患をもって生まれた春日は、生まれてすぐに死刑宣告のような診断を受ける。しかし、弱音を吐いたりすることはなく、いつも気丈に振舞った。


「お袋、湿っぽくなってどうするんだよ。仕方ないだろ? これがあたしの身体なんだから。まだ死ぬって決まったわけじゃないんだぜ。元気出せよ」


 母親の秋穂が思い詰めるような表情を浮かべたとき、春日はいつも荒っぽい口調で元気づけた。

 しかし、心の中ではいつも葛藤があった。

 自分が酷い目に遭っているにもかかわらず、周りが生きていることが許せなかった。なぜ自分だけがこんな目に遭わなければならないのか納得がいかなかった。

 そんなやり切れない思いが怒りに形を変え、他人を毛嫌いし距離を置くようになった。


 春日が言う「他人」の中には、兄・冬夜も含まれていた。

 冬夜は父の連れ子で、春日にはよそよそしく、笑った顔など見せたことがなかった。いつも自分の部屋に閉じこもって勉強ばかりで、いっしょに遊んだこともなければ、言葉を交わしたのも数えるほどしかなかった。


 最初は性別の違いと年が離れていることが原因だと思っていたが、小学校の高学年になったとき、自分たちが本当の兄妹でないことを聞かされ妙に納得した。

 そのときから、春日は冬夜のことを「他人」と位置づけた。寂しさや悲しさを紛らわすために。


 幼い頃から天才と呼ばれた冬夜は、春日が五歳のとき、大学進学のため家を出た。その後、アメリカの医学大学院メディカル・スクールへ留学するため日本を離れていった。

 冬夜との距離が物理的に離れてしまったことで、心の距離がさらに遠くなったような気がした。


★★★


 二度目の手術から三日が経過し一般病棟に移った春日は、担当医から手術の結果について説明を受ける。

 内容は両親が受けたものと同じで、病状は何も変わってはいなかった。

 病気の根治を目的とした手術でないことは理解していた。理解してはいたが、期待せずにはいられなかった。心のどこかで「手術を受ければ状況が変わるかもしれない」といった、淡い期待を抱いていた。


 面会に来た両親が病室を出ていくと、春日は頭から布団を被った。

 全身が押し潰されそうな、大きな不安と悲しみに襲われ、身体の震えと早鐘はやがねのような心臓の鼓動が止まらなかった。


『誰か助けて』


 春日は独りになるといつも心の声SOSを発した。

 しかし、それは誰にも届くことはなかった。



 つづく

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