第13話 孤高の剣姫
★
物心ついた頃から、春日は近所にある「剣術」の道場に通っていた。
道場の師範・
「心を鍛えることで、逆境に打ち勝つ、強い精神を宿す」。それが柿崎のモットーであり、春日に剣術を進めたのも彼だった。
春日は長時間の激しい運動を禁じられていたため、稽古は「動」ではなく「静」が中心。筋力トレーニング、精神修養、
それは、柿崎が春日の身体のことを勘案して、最適なメニューとして採用したもの。
短時間、集中力を持続し精神を研ぎ澄ますことを覚えた春日は、いつしか相手の身体の動きだけではなく、心の動きや空気の流れも読み取る
口にこそ出さなかったが、柿崎は春日の剣術に非凡なものを感じていた。
その太刀筋は十三歳のものとは思えず、有段者の域に達していた。それは、春日が柿崎の教えに
柿崎は思った。「春日はいろいろな意味で強くなった」と。「絶対に病気を克服してくれる」と。
実際、木刀を手にした春日には中高生の男子が束になっても太刀打ちできなかった。
もともと春日の
相手を一瞬で打ちのめすところから付いたあだ名が「
噂が独り歩きして、決闘を挑んでくる
★★
学校帰りに柿崎のところへ立ち寄っていた春日は、布を巻いた、赤い軽量木刀をいつも持ち歩いていた。その姿を見ると妙な噂も信憑性を増す。
これまで相手になったのは三回。
最初は、中学に入学したばかりの下校の途中。人が
二回目は、その翌日。前日の二人組が、仲間の男子二人を連れて待ち伏せをしていた。「こいつらが世話になったな。たっぷり礼をしてやるから覚悟しろ」。ベタな台詞を吐いて
三回目は、さらにその三日後。四人が高校生と思しき男子三人を連れて現れる。ただ、それまでと違ったのは、相手も木刀のようなものを手にしていたこと。
その光景を目の当たりにした瞬間、春日のスイッチが入った。
「木刀を持っている相手には本気でいくからな。怪我しても知らないぜ」
春日は木刀に巻かれた布をスルスルとほどいて、鋭い眼差しで三人を
四人の中学生の背中に冷たいものが走った。なぜなら、先日対峙した春日とは明らかに雰囲気が違っていたから。
そんな春日に、木刀を手にした高校生も恐怖を抱いていた。正直なところ、勝てる気がしなかった。しかし、下級生の手前引くに引けない状況だった。
「や、やっちまえ!」
一人の声を合図に、高校生三人は木刀を振り上げて春日に襲い掛る――が、次の瞬間、三本の木刀が弾き飛び、三人は手を押さえて苦痛の表情を浮かべた。
「どうする? 遊び半分で木刀が持てないように手を
春日の口から冗談とも本気とも取れる、過激な言葉が飛び出す。鋭い眼差しがさらに鋭さを増す。真っ赤な木刀がスッと振り上げられた。
「も、申し訳ありませんでした! もう二度といたしません!」
三人は身体を震わせながら、
「ごめんなさい! 許してください! この通りです!」
三人の後ろで中学生が涙を流しながら土下座をする。
そのときの春日からは、本当に人を
「そこまで」
不意に春日の背中から聞き慣れた声がした。
そこには、コンビニの袋を手に豚まんを頬張る柿崎の姿があった。
顔が映りそうなスキンヘッドに太い眉毛とギョロッとした目。身長は百七十センチとそれほど高くないが、Tシャツとジャージの下の筋肉の盛り上がりが半端ではない。
「ふむ。素人が木刀を使うと怪我をする。骨の二、三本じゃ済まない。命に係わることもある。春日はうちの道場のエースだ。今も全く本気なんか出していない。ちょっかいを出すのはこのあたりで終わりにしないか? それがお互いのためだ」
穏やかに話す柿崎だったが、その言葉には妙に説得力があった。
七人は口々に詫びを入れる。そして、逃げるようにその場を後にした。
★★★
「春日、素人相手に
柿崎は豚まんの
「わかってるよ。もともと脅すつもりだった。弱い者に滅法強い連中は脅しが効くからな」
春日は手慣れた手つきで赤い木刀に布を巻き付ける。
「ふむ。大丈夫だとは思ったが、念のためってヤツだ。食うか?」
柿崎はコンビニの袋から取り出した豚まんを、春日の目の前へ付き出す。
「師匠のオヤツだろ? それ」
「心配するな。もう一個ある。こっちはお前のために買ってきた」
ニヤリと笑いながら、柿崎は袋の口を広げて中を見せる。袋の底にはもう一つ豚まんが入っていた。
春日は
「師匠、あたしがあいつらに絡まれていたこと、知ってたのか?」
「ふむ。先日、偶然見かけた。気になったんでストーカーさせてもらった」
「そっか……うん。遠慮なくもらっとく」
春日は柿崎の手から豚まんを受け取る。
「腹が減っては戦ができんからな」
二人は豚まんを頬張りながら、肩を並べて道場へと向かった。
川が一望できる、土手の道に差し掛かったとき、春日が口を開く。
「師匠、ありがとな。気を遣ってくれて」
「ふむ。どうってことない」
柿崎は豚まんにくっ付いている、薄っぺらい、半透明の紙を「くしゃっ」と丸めてビニール袋の中へ投げ入れた。
「師匠が弟子の心配をするのは当たり前だ。それに、お前のことを心配しているのは私だけじゃない。独りじゃないってこと、忘れるな」
豚まんを少し
夕焼けの光に照らされた川面が揺れるたび、キラキラとオレンジ色の輝きを放つ。
時折冷たい風が吹く中、春日は身体が温かくなるのを感じた。
それは、柿崎がくれた豚まんのせいではなかった。
つづく
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