第43話 父と子


 冬夜と会った日の翌日、国会答弁が終わる時間を見計らって、健吾は父親の健蔵に電話を掛ける。


「健吾、何か用か?」


 声を聞いた瞬間、電話の向こうの健蔵が険しい表情を浮かべているのが手に取るようにわかった。


「急な話で申し訳ないけど、明日に会ってもらいたい」


 要件を伝えると、電話口で溜息が聞こえた。


「お前もわかってるだろ? 今は国会の会期中、しかも、党にとっても私にとっても大事なときだ。緊急の用件でなければ会期明けに――」


「――それは承知している。だからこそ、俺は言っている」


 健蔵の話が終わらないうちに、健吾は語気を強めて言葉を被せる。

 

「……どういうことだ? 国会よりも優先させることがあるというのか?」


 一瞬間が空いて、健蔵が訊ねる。


「詳しいことは会ってから話す。一つ言えるのは、親父がその男の話に耳を傾けるかどうかで、俺の将来も大きく変わるってことだ。なぜなら……そのことが親父の政治生命を大きく左右するからだ」


 健吾は高揚した様子で力強く言い放った。


 これまで健蔵は自分の「直感」を大切にしてきた。

 人は必ずしも本当のことばかり言うわけではない。政界では嘘の方が圧倒的に多い。しかし、そんな偽りにまみれた世界に身を置くことで「人や物を見る目」が養われた。

 健蔵の直感が言った。「最優先すべきは健吾の話を聞くことだ」と。


「誰なんだ? お前が会わせたい人物というのは」


 健蔵の声が落ち着きを取り戻したのがわかった。

 健吾の口元が少し緩む。


姫野冬夜ひめの とうや――俺の大学時代の友人で希代きたいの天才。この局面を打開できるのは、あいつしかいない」


★★


 翌日の夕方、健吾と冬夜は東京・永田町の衆議院議員会館に健蔵を訪ねる。

 国会会期中、しかも、野党の追及が日に日に厳しくなっていることで、面会している暇などない健蔵だったが、健吾の電話の声を聞いて冬夜に会うことを決めた。


「時間がない。手短に頼む」


 健蔵のぶっきらぼうな言葉に、冬夜は素早くノートパソコンを立ち上げる。そして、二日前に健吾にしたのと同じ説明を始める。

 時折頷きながら、真剣な眼差しで画面を見つめる健蔵。冬夜の話に聞き入っているように見えた。


「――以上です」


 説明の終わりを告げる、冬夜の言葉に、健蔵はソファのイスの背に身体を預けて天井を見つめる。そして、口を真一文字に結んだ。


『興味深い話だ。しかし、一兆円を投じるなんてあり得ない』


 心の中でそんな言葉を呟く健蔵。成功したときに自分が何を得るかではなく、失敗したときに何を失うかばかり考えていた。

 国力回復のための施策という大義名分があるにせよ、一兆円をかけたプロジェクトで効果がそれなりの上がらなければ、党の信用は丸潰れ。内閣の支持率が下がっていることを考えれば、政権交代も十分あり得る。そうなれば、担当大臣である健蔵の政治生命は終わる。


 加えて、健蔵にはそれ以上に気になることがあった。

 それは、自分の軽率な判断が、息子である健吾の未来を壊してしまうこと。


 もちろん、健吾が代議士になる道が完全に閉ざされるわけではない。

 しかし、無能の烙印を押された父親の存在は、政治家には格好のスキャンダル。マスコミが鬼の首を獲ったように吹聴すれば、悪しき群集心理を生み出す。それはなかなか消えるものではなく、過去、憂き目に遭った政治家は掃いて捨てるほどいる。


 健蔵は苦虫を噛み潰したような顔で口をつぐむ。その顔から戸惑いが滲み出ている。

 冬夜は健蔵が何を考えているのかを悟った。


『期待してもダメってことか。仕方がない』


 冬夜は「最終通告」をすることを決める――が、そんな冬夜のことを見ている者がいた。


「親父、聞いてくれ」


 冬夜の最終通告を阻止するかのように、健吾の口から言葉が飛び出した。

 虚を突かれたように、冬夜は健吾の方へ目を向ける。


「俺は冬夜のことを百パーセント信頼している。大学のときから、将来俺のブレインになって欲しいと思っていた。

 二日前、冬夜からバランサー・システムの説明を受けたときも百パーセントの信頼が置けるものだと思った。しかし、一兆円の資金が必要であることを聞いて考えが大きく揺らいだ。

 ただ、冷静になって考えたら、自分が恥ずかしくなった。

 だってそうだろ? 金がかかるとわかったら信頼が薄れるなんて優柔不断もいいところだ」


 健吾は苦笑いを浮かべて首を左右に振る。


「以前、親父は俺に言ったよな? 『今の地位まで上ることができたのは、自分の直感を信じて要所要所で適切な決断を下してきたからだ』って。

 実のところ、俺は親父の『直感』ってヤツに一目置いている。これまで親父にはターニングポイントが何度かあったが、ことごとくベターな選択をしてきた。その結果、今の親父がある――だから、俺はあえてたずねる。

 俺の『直感』が『冬夜を百パーセント信じろ』と言っている。そのことを、親父の『直感』は何と言っている?

 俺は親父の『直感』を信じている。だから、親父の言うとおりにする」


 健蔵は、ゆっくりと健吾の方へ目をやる。

 二人の目が合った。


「似たもの親子……と言うことか」


 健蔵の顔に笑みが浮かんだ。


「健吾、私もお前と同じことを考えていた。そして、金のことで本質を見失っていた。失敗することを前提に、これまで信じてきた『直感』をないがしろにするところだった。戦う前から負けることを考えるのは、政治家としてあるまじき行為だ」


「それじゃあ……」


「ああ。お前が信頼する姫野くんのプロジェクトはやってみる価値がある――私の『直感』がそう言っている。

 党内や関係者の調整には、かなりの時間と労力が必要だ。ただ、現状を打破するにはやるしかない。それが政治家としての使命だ」


 健蔵はニヤリと笑って右手の親指を立てる。まるで「俺がお前の親父だ」と言わんばかりに。


「では、ボクから交渉に使える情報を提供しましょう」


 不意に冬夜が二人の会話に割って入る。


「バランサー・システムは、高い確率で精神疾患を完全治癒できるシステムですが、同時に国民を統制できるシステムでもあります。

 こういうのはいかがでしょう? 精神疾患予防の目的で法改正を行い、バランサー手術を受けることを義務化すれば、バランサーを使って国民をコントロールできます。言い換えれば、与党に反対する者をゼロにすることができます。

 調整を行ううえで『たま』として使えませんか?」


「冬夜……お前、何を……!?」


 健吾の顔から笑顔が消え、驚きと憤りがいっしょになったような表情がそれにとって変わる。


「姫野くん?」


 健吾の言葉を遮るように、健蔵が言葉を重ねる。


「君は善意で言ったのかもしれないが、その提案は到底受け入れられない。なぜなら、をするために、私は政治活動を行っているのではないからね。

 もし党がそんな独裁政治を目指すのであれば、私はすぐに離党する。そして、党と戦うよ。国民の声を代弁する我々が国民を支配するなんてあり得ないことだからね。大丈夫。そんな弾がなくても私は何とかしてみせる」


「親父……」


 健吾は父親の言葉に感銘を受けた。同時に「これがカリスマ性なのかもしれない」と思った。

 再び冬夜が口を挟む。


をして申し訳ありませんでした。大河内議員は、ボクがを返してくれました。さすがは、大河内くんのお父さんです。信頼に値する方です」


「やはりそうだったか。おかしいと思ったんだ。急に君の雰囲気が変わったからね。私の『直感』が『君が嘘をついている』と言っていたよ」


 健蔵は穏やかな笑みを浮かべる。


「流石ですね。バランサー・システムを使えば、そんな芸当も可能かもしれませんが、現実的ではありません。なぜなら、ボクがそんな真似は絶対にさせないからです」


「な、なんだよ! 気付かなかったのは俺だけかよ!? 何だか腹が立ってきた……よし! この怒りのエネルギーをすべてバランサー・プロジェクトの実現に回す! 親父、俺は今日事務所に泊まる。作戦会議をやろうぜ。止めたって無駄だからな」


「わかった。わかった。昔からお前は言い出したら聞かないからな」


 駄々をこねる子供をなだめるように健蔵は言った。しかし、言葉とは裏腹に、その顔はとてもうれしそうだった。


★★★


 翌日から、健吾と健蔵によるバランサー・プロジェクトの調整が始まる。


「このプロジェクトは、軽度と中度の精神疾患者の大部分を救うことができる、画期的なものです。もし期待した成果が現れなければ、私は議員を辞める覚悟がある」


 健蔵は、自分が政治生命を賭けてプロジェクトを推進する覚悟があることを力説する――その結果、党内での了承を得る。

 総理大臣たる党総裁から早急な法整備の準備作業と法制定後の速やかな運用準備について関係者に指示がなされる。

 国力回復推進会議の組織も強化され、健吾はバランサー・プロジェクト推進専門官として内閣府専任となる。


 二〇一九年三月、バランサー・システムの導入を規定した「国民経済及び国民生活の改善を目的とする精神疾患者の治療等の促進に関する法律案」通称「精神疾患治療促進法案」が衆参両議院で可決された。施行は一年後の二〇二〇年三月。

 これにより、バランサー・プロジェクトは本格的なスタートを切る。


 システムの開発期間は二〇二〇年度から二〇二四年度までの五年間。二年のテスト期間を得て二〇二七年度から本格運用を開始する。

 目標は、十年間で対象とされる精神疾患者――軽度及び中度疾患者の八十パーセントを完全社会復帰させるというものだった。



 つづく

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