第42話 大河内健吾の決意
★
午後二時に成田空港に到着した冬夜は、都内のホテルにチェックインして、少し仮眠を取った後、地下鉄で健吾のマンションのある四谷へと向かった。
待ち合わせは午後七時。健吾から「外で夕食でも」といった提案があったが、冬夜が第三者に話が聞かれない場所をリクエストしたことで、場所は健吾のマンションとなった。
「冬夜、よく来たな。会えてうれしいぜ。入ってくれ。散らかってるのは気にするな」
玄関のドアが開いた瞬間、首の後ろで結んだ、色付きの髪と黒縁の眼鏡が、冬夜の目に入った。
「お前の好みがわからなかったんで、デパ地下で日本食と飲み物を
ダイニングの四人掛けのテーブルには、五、六人は食べられそうな、大量の食べ物と飲み物がところ狭しと並んでいる。
寿司、天ぷら、うなぎ、すき焼き。どれもテイクアウトではあるが、高級そうなものばかり。健吾が気を使ってくれたのがわかった。
飲み物は、ビール、ワイン、ウーロン茶、紅茶、オレンジジュース。以前、健吾に宛てたメールで「アルコールは飲まない」と書いたのをしっかり憶えてくれていたようだ。
「七年ぶりの再会に乾杯!」
泡が溢れそうなビールのグラスを冬夜のウーロン茶のグラスに合わせると、健吾はそれを一気に飲み乾した。
「それにしても、お前、あの頃と全く変わらないよな? 顔を見た瞬間、七年前に時間が戻ったんじゃないかと思ったぜ」
空になったコップに缶ビールを
「相変わらず大袈裟だね。大河内くんは。まるでボクがクローン人間みたいな言い方じゃないか」
口ではそう言ったものの、冬夜はいつも年齢より若く見られる。細身の身体に色白で中性的な雰囲気が漂っているせいなのかもしれない。二十四になってからも十代に見られたことさえある。
「でも、目つきは変わったな」
健吾が身を乗り出して、冬夜の切れ長の目をしげしげと見つめる。
「そう? どんな風に?」
冬夜は訊き返す。自分が意識していない変化を、久しぶりに会った健吾が感じ取ったのがとても興味深かったから。
「感情を表に出さないのは相変わらずだが、何て言うのかな……そう、『眼差しが熱を帯びてる』って感じだな。クール・ガイなのに熱血野郎って雰囲気が漂ってる。でも、俺は嫌いじゃねぇぜ。そう言うの」
「大河内くんは逆だね。外見は熱血野郎だけど中身は冷静。計算高くて侮れないタイプだよ」
「お前、俺のこと、そんな風に見てくれてたのか? うれしいじゃねぇか。どんどん喰ってくれ。残ったらホテルに持って行っていいからな」
「ありがとう。でも、この量はボク一人ではとても処理できないよ。この場で全力を尽くすことにする」
七年ぶりとは思えないような自然な会話が交わされ、和やかな雰囲気が漂う。
冬夜は口数こそ少なかったが、健吾と会って楽しいときを過ごすことができた。もちろん「本来の目的」を忘れたわけではない。
一時間半が経った頃、そのことを口にしたのは、冬夜ではなく健吾だった。
★★
「で? 俺に話したいことって何だ?」
缶ビール六本と赤ワインのボトルを半分以上空けてはいるものの、健吾の口調は
当時から酒豪のイメージはあったが、そこも相変わらずのようだ。
冬夜はテーブルの上でノートパソコンを立ち上げて、パワーポイントの資料を表示する。健吾はコップを片手に席を立って、冬夜の隣りの席へ座り直す。
「……バランサー・プロジェクト? 初めて聞くネーミングだ。でも、何だか凄そうだな。お前が
健吾はおどけた様子でひゅうと口笛を鳴らす。
「違うよ。これはあくまで個人的な研究……日本政府に売り込みたいんだ。精神疾患者が続出している問題は、このシステムで百パーセント解決できるからね」
「なん……だって?」
瞬時に、健吾の顔が真剣なものへと変わる。空のグラスにペットボトルのウーロン茶を注ぐと、立て続けに二杯を喉に流し込む。
「説明しろ! 俺みたいな凡人にもわかるように! できるだけ易しく!」
パソコンの画面を食い入るように見つめる健吾に、冬夜はバランサー・プロジェクトについて説明を始める。
★★★
一時間半に及ぶ冬夜の説明が終わっても、健吾はパソコンの画面を見つめていた。自分でマウスを操作して気になった資料を何度も確認し、理解できないところは徹底的に質問した。
それは、まさにキャリア官僚の
『近未来を舞台にしたSF小説に登場するシステム』
それが健吾の抱いた第一印象。説明者が冬夜でなければ、酒の
ただ、突拍子もない話であると同時に、大いに興味を引く話でもあった。
健吾は、内閣府に設置された「国力回復推進会議」の事務局メンバーを務め、これまで様々な施策の推進を図ってきた。しかし、どれも効果らしい効果を上げることはできなかった。正直なところ、万策が尽きた状況だった。
とは言いながら、状況が悪化して行くのを手を
推進会議の責任者は担当大臣の大河内健蔵。言わずと知れた、健吾の父親。まさに親子揃って正念場を迎えていた。
冬夜の説明を聞いた健吾は、空を覆う、分厚い暗雲の切れ間から一筋の光が射したような感覚を覚えた。
夢のようなシステムであるにもかかわらずリアリティを感じるのは、システムを設計したのが、
「冬夜、質問……いや、相談がある」
マウスを動かす手を止めて、大きな身体をダイニングの椅子の背に預けた健吾は、横目で冬夜の方をチラリと見る。
「俺はもともとお前のことを百パーセント信じている。だから、お前が設計したシステムも百パーセント信頼している。
ただ、導入するかどうかを決めるのは俺じゃない。まず、担当大臣の親父を納得させて、党内で合意形成を図る必要がある。その後、発言権を持つ連中に根回しをして、プロジェクトを推進するための法律案を国会に提出する。
与党に逆風が吹いている中、与党からも反旗を
珍しく弱気な物言いをする健吾。
冬夜は
「日本は相変わらずおかしな国だ。このシステムは与党にとって『
その言葉が何かの合図であるかのように、冬夜の真剣な眼差しが空中の一点で止まる。それは、冬夜が脳内でシミュレーションを行っているときの
隣りに座る健吾は、冬夜の全身から恐ろしいほどの熱量が湧き立つのを感じた。
★★★★
「大河内くん、シミュレーションがつながったよ。日本政府に一兆円を出させる結論に」
数分が経った頃、冬夜がポツリと呟く。
「説明してくれ!」
興奮気味に叫ぶ健吾に、冬夜は小さく頷く。
「その前に、バランサー・システムの信頼度を高める説明――大河内くんのモチベーションを上げる話をする。詳しいことは言えないけど、このシステムには、キミがよく知っているある人物の研究成果が使われている」
「ある人物?」
「その人物は、一九八四年にアメリカに亡命したウィノナ・エレンブルグ博士」
「ウィノナって……マジかよ? 彼女と会ったのか? あの研究は完成してるのか?」
「ノーコメント。ただ、バランサー・システムは、天才である彼女の研究成果があって初めて実現が可能となった。ボクは設計書通りシステムが稼働することを確信している」
冬夜の話を聞いて、健吾は自分の中で高揚感が湧き上がるのを感じた。
自分が知っている、二人の天才が作り上げた、夢のようなシステム。それが稼働するのを見てみたい衝動に駆られた。もし健吾が父・健蔵の立場だったら、それだけで「政治生命を賭けて腹を
ただ、実際、健蔵がどう考えるのかはわからない。ウィノナの名前を出したからと言って一兆円の金を出すとはとても思えない。
『親父に頼むには腹を括らせる、別の何かが必要だ』
健吾は唇を噛んで厳しい表情を見せる。
そんな健吾の心の声が聞こえたかのように冬夜が続ける。
「次は、頭のお堅い議員さんに『うん』と言わせる方法だね。二つあるうちの『一つめ』は、システムに投資した資金の回収の話だ」
冬夜は鋭い眼差しを健吾に向ける。
「精神疾患の問題は、程度の差こそあれ、どの国でも似たようなことが起きつつある。だから、日本で成果を上げたバランサー・システムを他国へ有償で提供すれば、一兆円なんてあっという間に回収できる。
ただ、国力の増強に大きな効果があって『システムは日本が独占行使すべき』といった判断がなされれば、他国に使わせなければいい。日本政府がシステムにプライスレスな価値を認めたわけだからね」
「でも、それは『システムに価値がある』という前提での話だろ? もし前提が認められなければ、有償提供の話もあり得ない。まずは、システムに一兆円の価値があることを議員に納得させる必要がある」
間髪を容れず、否定的な話をする健吾。その顔に悩ましい表情が浮かぶ。
それを目の当たりにした冬夜はこれ見よがしに溜息をつく。
「それでも納得しなければ『二つ目』。交渉を打ち切って、バランサー・システムをアメリカかEUへ売り込むことを告げる」
「それは……見切るってことかよ!? 日本を」
「当たり前だよ。だって、自分たちが死ぬか生きるかの状態なのに、資金をけちって可能性のある手法を見送るんだよ? それは愚の骨頂だ。
まともな政治家が一人もいない国は遅かれ早かれ破たんする。早々に見切りをつけるのが得策だ。大河内くんのお父さんがまともな議員であることを祈るよ」
健吾はゴクリと唾を飲み込む。冬夜の言葉が、政治家に対してだけでなく官僚である自分に向けられた言葉でもあったから。
『俺が何とかしなければ』
健吾は自分にそう言い聞かせた。
つづく
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