第24話 アメリカ留学
次の日、冬夜は「ウィノナ・エレンブルグ事件」をネットで検索した。
一九八四年当時、三十四歳だったウィノナは生きていれば六十歳。もし彼女に会えたら、旧ソ連が行っていた研究の内容を知ることができる。逆に言えば、彼女に会えなければ、研究の詳細について知ることは不可能。
キーワードは「アメリカ」と「神経科学」。冬夜は、アメリカで神経科学を研究することがウィノナに辿り着く近道だと考えた。
前日、ブライトマンの助言を聞いて、C大学メディカルスクールへの留学を決意したことで、
冬夜はK大学へ留学願いと休学届を提出する。
アメリカのメディカルスクールは、日本でいうところの「大学院医学研究科」。入学条件の一つに「理学部門又は生物学部門の四年制大学卒業者」といった項目があり、大学を卒業していない者の受け入れは普通であれば不可能。
しかし、もともと冬夜は規格外の学生。規格はあくまで「一般的な基準」に過ぎず、規格外だからと言って資質が十分であればNGにするのは理に適っていない。
お堅い日本でも認められたのだから、アメリカであれば認められる可能性は十分にある。いかに自分が魅力的な人物であるかをPRするかがポイント。そうすれば、結果は自ずと付いてくる――冬夜はそう考えた。
冬夜は、神経科学の分野における
医学の専門用語で埋め尽くされた、英語の論文は知識のない者には暗号のようなもので解読は至難の業。しかし、ここ二年、英語で書かれた、循環器系の論文百編以上を読破した冬夜には造作もないことだった。
脳神経の領域は基礎知識しか持ち合せていないため、戸惑うところが無かったと言えば嘘になるが、冬夜はポイントを絞った。
旧ソ連で秘密裏に研究されていた「脳移植」と「潜在能力の引き出し」。その二つに関連する――言い換えれば、それに少しでも関連がありそうな研究論文をチェックした。
その結果、C大学メディカルスクールのロバート・ハインズ・ホプキンス教授と
冬夜は、ホプキンス教授らが書いた医学論文を読破し入学後の研究テーマや将来の活用方法をていよく取りまとめた。
さらに、満点に近い「TOEFL iBT」の結果と、同校に留学経験があるK大医学部長からの推薦状を添えて、C大学への推薦を行った。もちろん、弱冠十五歳で医学部にトップで合格したことを書き添えるのも忘れなかった。
一週間が経った頃、C大学から返事があり「会って話を聞きたい」とのこと。冬夜はC大学に赴き、二日にわたってホプキンス教授をはじめ数人の関係者と面談を行った。
それから、一週間が経った頃、C大学からK大学あてに「姫野冬夜の入学を歓迎する」との文書が届く。
ほとんど前例がない中での合格だったが、然るべき者が冬夜の話を聞き文章に目を通せば、合格にならないわけがなかった。
こうして冬夜は、C大学メディカルスクールの一員となり、希望していた、ホプキンス教授の研究室に入ることとなる。
冬夜のことは、学内はもちろんアメリカ医学会でも話題に上り、メディアは
それは、冬夜にとって願ったり叶ったりだった。なぜなら、メディアを見て彼のことを知ったウィノナが興味を示すことで接点が生まれると思ったから。
つづく
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