観桜会



 桜宮おうきゅうの桜の樹は、すべて桜守さくらもりと呼ばれる代々の職人たちによって、常に手入れされている。

 葉の季節も、枝だけの季節も、それはそれで風情があるものだが――やはり桜という樹の真骨頂は花の季節だ。これに異論を挟む和桜国人はまさか、いないだろう。


 宮廷魔術師主席・紫乃宮圭人はそんなことを考えながら、桜の古樹を見上げる。

 ひらりひらりと、舞い落ちるのは……まるで雪の粒の様な薄紅色の花びら。

 

 天気は晴れ、風はそれほど強くない。

 絶好の――観桜会日和だった。




「おい圭人! 今日ばかりは女王陛下のところにちゃあんと顔を出すんだぞ」

 右を見ても、左を見ても貴族連中がひしめく桜宮の庭園をうろついていると、馴れ馴れしく声をかけてくるのは、優太だ。

 そう言われても、圭人にも事情があるのだから仕方がない。仕方がないのだ。

「そう言われてもな……短歌は苦手なんだよ。ああいう芸術性のあるものにはとんと縁がないらしい。短くぱりっとした言葉でまとめるよりは、分厚い羊皮紙に桜の生態について長々とレポートを書く方がよほどマシだ」

「おまえはそういうの本当、駄目だよなー」

 くくっと笑う優太。何か言い返してやりたいところだが、優太はこうみえて短歌を作るのが得意なのだ。

 なぁ……おい、よく考えなくても……ガタイがよくて、喧嘩がつよくて、学もそれなりにあって、短歌もするする作れるって……ずるすぎやしないか? 優太よ。

 とりあえずそんなことを考えて、何だか腹がたったので、優太を軽く睨みつけてから、適当な食べ物のテーブルへ向かう。別にどこに向かうのでも良かったのだが、とりあえず腹に食べ物をいれておきたかったので、そちらに行くことにした。



 今日は、例年行われている桜宮での観桜会。

 去年のように、女王陛下がお召し列車で遠出をして、観桜に――というのは今年は無しだ。さすがに去年のような事件があっては、今年すぐには無理というものだった。


 適当に適度に貴族たちの社交辞令あいさつを切り抜けつつ、食べ物のテーブル前にたどり着く。こういうときに、皆から恐れ畏れられている宮廷魔術師主席という立場はそれなりに便利だ。

 しみひとつない白いテーブルクロスがかけられたテーブル上に並ぶのは、一口で食べられるようにそれぞれ工夫された、いわゆるところのフィンガーフード。

 園遊会や立食パーティの時はだいたいこういう料理なのだが、正直小さすぎてどれをいくら食べても、あまり食べた気がしないのが難点である。


 とりあえず、目についたきゅうりのサンドイッチをつまんでいるところで、うちの宮廷魔術師次席どの――神衣真希子の姿が見えた。


「おーーーっほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほ!! ごきげんよう、主席様!! 今日は良いお天気に恵まれてよろしゅうございましたわね!!」

 今日も今日とて、真希子は『飛ばして』いた。

 なんというか……いつも通りで本当に安心する。

「あぁ、真希子か、お前は今日も元気だな。今日はいい天気でよかった」

「元気が取り柄ですもの! ……と、まぁ、挨拶はここまでにいたしまして……主席様? そろそろ女王陛下のところへお顔を出した方がよろしくてよ」

 と、言いながら、真希子も圭人の隣に立って、きゅうりのサンドイッチをつまむ。

 圭人は二つ目のサンドイッチを咀嚼してから、真希子に尋ねる。

「……何かあったのか?」

「何も、ただ、すこしだけ、女王陛下のご機嫌が麗しくないご様子で」

「……それと、俺とに、何の関係が」

「……はぁ。……陛下は例のお嬢さんの様子も知りたがっておりましたし、宮廷魔術師主席という要職にある方がこの桜宮観桜会というお目出度い席で陛下に、挨拶もなしというわけにも行かないでしょう?」

 真希子は本当に良識的で常識的である。

「俺は短歌が苦手なんだ」

「そんなのは理由になりませんわ、早く行ってらっしゃい!!」

「だが」


「女王陛下をお待たせするおつもりですか」

 ぐっと、真希子が背伸びをして、圭人の顔に顔を近づけて言ったことば。

「いえ、言い換えます。女性を、おまたせするおつもりですか?」

「……」

 ずきりと、心の何処かが痛む。その女性は――一国を支える女王だ。だが、その前に、まだまだ若い女性なのだ。

「わかった……行ってくる」

「行ってらっしゃいませ、主席様」




「圭人どの、もう来てくれないかと思っておりました」

 室外用の仮の玉座にゆったりと腰掛け微笑むのは、女王・樹乃花姫。

 今日の女王は和の装い。本物の桜に負けぬほどの、豪奢な桜模様の振袖姿。

 その長く垂れ下がる袖から白い腕を伸ばし、圭人を手招きする。

 圭人はゆっくりと女王に近づき、そばでひざまづいた。

 女王は、香木の扇で口元を隠しながら、圭人の耳元に唇を寄せる。


「……圭人どの、その、例の女の子は……元気にしているかしら?」

「……元気すぎるぐらいですよ」

「そう、なら……良かったわ。あのときは随分と無理な命令をしてしまったものだと、今でもそう思うけれど――でも、私は後悔だけはしていませんよ」

「……陛下」


 ふふ、と女王樹乃花姫が花のように微笑む。

 だけどその口元が、自嘲に歪んでいるのを見たのは――おそらく圭人だけだ。


「さぁ、観桜会はまだまだこれからです。……あなたも楽しんでくださいな、圭人どの――私の大事な、宮廷魔術師主席どの」


 その声を合図にしたわけではないだろうが、舞台で音楽が奏でられ、桜宮巫女たちの神楽舞が始まった。


 女王はそれきり、その日は圭人と言葉を交わすことも、圭人の方を見ることは無かったが――圭人の心に、ひとひらの淡くはかない薄紅色のはなびらが、ふわりふわりと舞い落ちてきたような……そんな感覚を、味わっていた。






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