神殿にて
『紫乃宮圭人、田原いろは両名は、桜都郊外にある桜樹神殿に来られたし。
和桜国女王・樹乃花姫より』
それだけが書かれた手紙を紅瀬波優太が届けたのは、桜のつぼみがほころびはじめたとある日の、早朝のことだった。
普通ならばいたずらを疑うような手紙だが――優太がこんなことをするわけがないのは、圭人が一番よく知っている。
圭人は、いろはを助手席に乗せて、桜都郊外の神殿を目指していた。
桜都郊外の桜樹神殿は――歴代の樹乃花姫が祀られている神殿、その分社である。
歴史こそ浅いが、敷地面積は広大なもので近辺の人々の憩いの場でもある――と聞いている。
「女王陛下のお呼び出しって……とうとう、謁見ってやつなのかな、圭人」
「通常ならば、謁見は王宮で行われるが……神殿は古来から、ある意味第二の王宮ともされる場所だからな、俺にはまだなんともいえないな」
いろはは、自分の青いワンピースドレスの裾をぎゅっと握っていた。
――不安、なのだろう。
「大丈夫だ、いろは。女王陛下は情け容赦のない為政者というわけではない。それは、そのことは――お前はよく知っているはずだろう」
「……うん。だって、きっと、私は、あの日死んでいても、おかしくはなかったんだよね……」
「……あぁ」
女王陛下が救った命だった。女王陛下が情けをかけた少女だった。そして――圭人に預けてくれたぬくもりだった。
圭人といろははの、何もかもが――女王陛下から始まっていたのだ。
「……神殿にそろそろ着くぞ」
「うん!」
桜樹神殿・桜都分社――和桜国の形式で作られたその場所は、入り口には巨大な赤い鳥居が、そして曲がりくねった道ずっとずっと奥には、本殿がある。
桜の開花を控えたこの時期、朝とはいえ人々でごった返しているかと思っていたのだが、神殿の敷地内は、しんと静まり返ってさえ居る。
と――奥から、ゆっくりと巫女装束の女性たちが現れる。
桜樹神殿の巫女だろうか。
巫女達は、圭人といろはの姿を確認すると、丁寧にお辞儀をした。
「お二人のことを、女王陛下はそれはそれはお待ちです」
そして、奥に向かって歩きはじめる……ついてこいということだろう。
いろははまるで戦地にでも赴くような表情で、歩いていた。
……圭人の表情も、似たようなものだろう。
「いろは」
圭人は、そっと……いろはの手を繋いだ。
「……うん」
こうしていれば、はぐれないのだ。絶対に。
「こちらへ」
巫女達が示したのは、礼拝用の建物である拝殿だった。
「……行くか」
「行こう」
巫女たちが開けた扉の向こう、拝殿の中、そこに居たのは――
新雪のように真っ白な首まで隠れる衣服を纏い、立派な冠を頂いた、女王・樹乃花姫であった。
女王はにっこりと、まさしく花の様な微笑みを二人に向ける。
「さぁ、式の準備は何もかも整っておりますよ――御両人」
「し、式……?」
いろはが、眼の前におわすのが女王陛下であるということも忘れた様子で、直接言葉を投げかける。
「えぇ、いろは嬢。結婚には結婚式がつきものです。――そして本日、この目出度い日の神官役は――このわらわが務めさせていただきますよ。――この和桜国の最高神官による式です、よもや文句は――無いでしょう?」
女王陛下――いや、和桜国の宗教における最高権威である、樹乃花姫は――そう言って、桜の冠を揺らし、白い神官衣の裾を少し持ち上げて礼をしてみせた。
それから、圭人はすぐに『花婿控室』なるところに押し込められた。
いろははもちろん『花嫁控室』である。
……今頃はウエディングドレスか、あるいは白無垢に着替えさせられて、化粧されて、髪も整えられているのだろう。楽しみだ。
「何妄想してるんだよ。にやついてんじゃないぞ、やれやれ……お前まるで光の君じゃないか」
壁際で、特に準備を手伝う気も無さそうな優太が、呆れたように言う。
光の君とは――和桜国の千年昔の恋物語の主人公のことだ。道ならぬ恋をし、その女性の面影を求めて幼い少女を自分好みに育て上げて娶った男。
優太は、まるで圭人がそれと似ていると言っているのだ。
だが、その千年前の恋物語は確か――
「俺は、いろはを不幸にはせんよ」
「……あー……うん、はいはい。お熱いなぁ……俺もどこかに運命の恋とか落ちてないもんかねぇ……。結局翔太も振られちまったし」
その結婚式は――これまでの和桜国になかった式として、語り草となった。
洋装の神官、洋装の花婿と、花嫁。けれど式を行う建物は和桜国の神殿で、結婚式の進行も、これまでとはまったく違うもの。
神官役を勤めた女王が言う。これは、これまでの和風に固執することもなく、かといって新しい洋風のものに染まり切ることもしない、新時代の結婚式なのだと。
……ともかく、ウエディングドレスのいろはは、美しかった。
白いレースのヴェール越しからでも、確実にわかる。彼女はこれまでになく、美しいと。
「――では、神々の
「……」
「…………」
圭人といろはが向き合う。
いろはの白い絹手袋がするりと脱げて、そして――あの日の、星の輝きをしたダイヤモンドの指輪が、彼女の左手の薬指に、おさまった。
それを見て、神官役の樹乃花姫は満足げに微笑み、次の『儀式』の内容を告げる。
「――では、花嫁と花婿は――誓いの口づけを」
どきりと心臓がはねた。
海外留学時に、これも勉強とばかりに知人の結婚式に参列したことがあるので、誓いの口づけのことは知っていたが、まさか我が身に降りかかるとは。
「……圭人」
いろはが、ヴェール越しに見つめてくる。
圭人も覚悟を決めて、いろはのヴェールをめくる――
「……」
その花嫁は――ただ、美しかった。
いや、違う――幸せな花嫁に、美しいという以外の感想など、いらないのだ。
圭人は、そっといろはの唇に顔を寄せて――ほんの僅かな間だけ、そのぬくもりを味わった。
「さぁ、それでは――花嫁と花婿のお披露目ですね、祝福してもらいなさいな」
巫女達が、拝殿の扉を開ける――と、そこに居たのは――
「お前たち……」
「みんな……」
真希子をはじめとした圭人の部下――魔術局の者たち、優太ら、女王近衛の者たち、紫乃宮伯爵家の使用人は、残らず来ているのではという勢い。それに、恐らくはこの件ではさんざん迷惑をかけていただろう、紅瀬波侯爵一家と、神衣伯爵一家、それに――紫乃宮侯爵家……圭人の両親や兄弟姉妹までもが。
「おめでとうございます、主席!」
「おめでとうございます、いろは様!」
皆、口々にそう声をかけてくれる中、恨めしげな瞳で見つめてくる者も居た。
紅瀬波翔太と、神衣詩乃だ。
二人とも、今日はかっちりとした洋装――もちろん、詩乃も男物の服を――纏っている。
「翔太君、詩乃ちゃん……その、来てくれて、ありがとう」
「……幸せになってください、いろはさん」
「……じゃないと、奪いにいっちゃうからね……いろはちゃん」
「お前ら……いい加減に」
二人にげんこつでもふらせてやろうかと思った圭人を止めたのは、樹乃花姫の声。
「はいはいはいー! それではブーケトスと参りましょうか!」
花嫁の持っているブーケを譲られた者は、次の花嫁となる。
そんな、旧いまじないの一種だ。
いろはは、招待客たちにくるりを背を向けて――ブーケを、投げた。
ふわり、とブーケは空を舞って、とある女性の手元に見事に落ちる。
「わ……私……?」
ブーケを握っているのは――紫乃宮伯爵家のメイド長・四戸胡蝶。
「わ、私になど、分不相応です! やり直しましょういろは様!!」
「それはだめ」
「私、など……」
いろはが、まるで子供をあやすように胡蝶になにか話しかけている。
圭人には聞き取れなかったが、きっと、何か――
「さて、ですけど、ブーケがひとつきりというのは、少々さびしいものがあることは、否めませんよ、ねぇ、宮廷魔術師主席どの?」
にっこりと笑顔で、いたずらっぽい声色で、樹乃花姫は言った。
「……まさか」
「幸いここは、桜樹神殿、季節は桜の開花前――となると桜女神の裔である、わらわのやることはきまっております、よね」
ふわり、と、樹乃花姫が舞うかのように腕を差し伸べると――えも言われぬ芳しい香りの風が、神殿に吹いた。
その文字通りの薫風を受けた桜の木々は、次々につぼみを膨らませ――咲いた。
「さぁ、どうぞ。桜の花のブーケを――ご来場の皆様に、花嫁花婿からの幸せのちょっとしたおすそ分け、どうぞ受け取ってくださいな――」
だけど、その樹乃花姫の宣言に、いの一番に駆け出したのはなんと花嫁であるはずのいろはだった。
「ちょ……待ていろは!」
「だってだって、こんなにこんなに綺麗なんだもーん」
「まったく、お前は……廊下は、じゃない、神殿は走ってはならん!」
こうして――少女は幸せな花嫁になった。
いや、幸せにしてみせる。
――レディ教育の日々は、これにておしまい。
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