運命の刻



 圭人は、桜宮から紫宮伯爵家まで車を走らせる間、必死で自分の考えを纏めた。

 結論としては――とにかくいろはに、想いを伝えよう。というシンプルなもの。

 仮にも、和桜国の頭脳である宮廷魔術師主席の身分であるというのに、聞いて呆れる策だ。


 だが――それが、いちばん圭人に必要だったのだ。

 わかったような顔をして、物分りがいいふりをして、家族としてあの子を送り出すなどは、あの子に想いを何もかも拒絶されてからすればいいのだ。

 

 ガレージに突っ込むように、車を停車させる。

 勢いそのままに、邸内に入る。

「今戻った、いろははいるか!」

 飛び込んだ玄関ホールでいろはを呼ぶ。

 しかし現れたのは、今日もきっちりと黒いメイド服を纏ったメイド長の胡蝶だ。

「……おかえりなさいませ、圭人さま。随分とお早いお戻りでしたね」

「あ、あぁ。それで、胡蝶、いろははどこに」

「いろは様でしたら――さきほど、本を持ってお庭に出られましたよ」

「庭か」

 すぐに駆け出そうとする圭人を、胡蝶が止める。そして彼女は分厚い女物ストールを差し出してきた。

「いろは様に――届けてさしあげてくださいな。本来は私どものお役目なのでしょうが、特別に『譲って差し上げます』よ」

「胡蝶、お前……」

 この、苦労人のメイド長にはすべてお見通しなのだ。まったく、女という生き物にはかなわない。


「いろは様を――よろしくおねがいしますね、圭人様。そしてどうか、幸せにして差し上げてくださいませ」

 そう言って、忠実なるメイド長、四戸よつのへ胡蝶こちょうは深々と、圭人に頭を下げた。




 庭に出て、ほんのしばらくの間――圭人はいろはを探していた。

 花が咲きそろう前の時期のこの庭で、わざわざ外で本を読むのなら――おそらくは、先日咲いた沈丁花の茂みだろう。沈香にも例えられるほどの芳しい香りを漂わせるこの沈丁花は、いろはのお気に入りでもあった。


「いろは」

 思った通り、いろはは沈丁花の茂みの前に、レジャーシートを敷いて座っていた。

 今日の服は、沈丁花を思わせるような、白地に紫がかったピンクの小さな花が散った和服。いままでよりも、ぐっと大人びた服装だ。

「あれ、圭人……桜宮に呼ばれたんじゃなかったの」

「……それなら、もう終わったよ。……胡蝶からこれを預かったんだ。使うと良い」

 そう言って、圭人は分厚いストールを差し出す。

「ありがとう。あのね……圭人、お仕事もう終わったなら、隣……どう?」

「……それじゃ、お邪魔させてもらおう」

「えへへ……圭人さん、ようこそ、いらっしゃいましたー」

 そんな風に、まるでままごとでも始まるかのように、シートに座った圭人を歓迎するいろは。

 その、自然な笑顔が、とても、まぶしくてかわいらしくてうつくしくて。

 でも、この子は、もう子供ではなくて――十六歳になったのだ。和桜国の法では、女性の十六歳は、結婚の出来る年齢だ。

 

 そう意識した瞬間に圭人は、いろはを抱きしめていた。


「け、圭人……?」

「いろは、俺はお前のことを愛しているようだ。――家族としてではなく、一人の女性としてのお前のことが、欲しい――」

 ぎゅっと、抱きしめる手に力がこもった。離したくはない、だけど、かけられた言葉は――


「圭人、お願い……離して頂戴、お願い」


「いろは――」

 拒絶された――。


 のろのろと腕を離した圭人をつつんだのは、あたたかな――いろはの腕。

「だって、その体勢じゃあ――私、圭人のことを抱きしめ返せないんだもの」

「いろは、お前」

「私は――和桜国の、大晶時代の、新しい時代のレディになるのでしょう? それなら、愛し方も愛され方も、新しいモノでいいと思うのよ」 


 ――まったく、この子はいつまでも


「……あまり俺を驚かせるな、寿命が縮むだろう」

「それは困るなぁ、圭人は私より十二歳も年上なんだから、十二年分は私より長生きしてもらわないといけないのに」



 二人分のくすくすという笑い声が、沈丁花の茂みから響いた。




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