彼女は、それを、自己満足と言った
今日もまた、圭人は自分の執務机で書類仕事をこなす。
「この魔法書を手配しろ。できるだけ、すぐにだ、いいな?」
「おい、こいつの和桜国式魔法文字、なんとかならんのか。これでは、誤発動を起こしかねんぞ、直させろ」
「女王陛下の次の地方公務の警備だが、むやみに人員だけを増やせば良いわけではないだろうが、そういうのは近衛にでも任せておけばいいのだ……。この書類よりも人数は減らして上級の魔術師をいれておけ」
いつも思うのだが、主席である圭人がわざわざ処理する必要もない案件も混ざっているのは本当に、何故なのか。
もう少し、しっかりとした仕事のできる部下が必要なのかもしれない。
あと数年もすれば、紅瀬波家の末っ子――翔太が魔術局でそれなりに使えるように成長もするのだろうが……。
そんなことを考えながらも、万年筆を書類に走らせていると、執務室の扉が控えめにノックされた。
どうせまた書類を持ってきた部下だろうと適当に返事をして入室を促す。
入ってきたのは部下ではあるが、何故か書類を持ってはいなかった。
部下は、丁寧に礼をしてから、こう言った。
「失礼します、主席様。ご自宅……紫乃宮伯爵邸よりお電話が入っております。お屋敷の執事の方からのようでした」
「……電話?」
「はい、どうも急いでおいでのようでしたが……」
「ふむ……一体何があったのか……まぁいい、電話室に行くか」
椅子から立ち上がる事のできる良い機会とばかりに、席を立つ。
机に立てかけてあった
「……これ、は」
――何か、圭人にとって良くないことが起こったのだと。
圭人は
電話越し、圭人は自分の忠実なる執事に怒鳴りつける。
「……おい、征十郎……何が起こった!?」
「圭人坊ちゃま……あぁ、どういたしましょう……その、いろは様が」
珍しくもうろたえている様子の征十郎。圭人は、自分でも良くないのだと思いつつも、彼に対して声を荒げるのを、止められなかった。
「……いろはが……いや、いろはに何があった!!」
「……いろは様が……邸内で、お倒れになられました」
「…………な…………!!」
圭人は、反射的に電話の受話器を放り出して“速度上昇”の魔法を詠唱破棄の上での強化行使をする。……かなり無茶な魔法の使い方をした代償に、腕から血が滴り落ちたが――そのようなことは、どうでもよかった。
部屋の絨毯に血の雫を残し、部下の静止も振り切り、圭人は――自分の車まで走った。
車に辿り着くと、いつものようにエンジンに魔力を注ぎ込む。
それは、いつもと同じようにやっているはずなのに、なかなかエンジンが安定してくれない。
……それでも、なんとか発進出来る状態になると、圭人は迷うこと無く全速力で自動車を走らせた。
……桜宮を出て、紫乃宮伯爵邸に着くまで、時間はそうかからなかった。
かなりの荒っぽい運転をした自覚はある。
だが、だが、そうせずにはいられなかったのだ。
ほとんどガレージに突っ込む形で停車し、一体何事かと窓から覗き込む使用人たちの視線も気にすること無く、圭人は邸内へ――
「いろは!!」
「……圭人様、あまりにも騒々しすぎやいたしませんか? 今、このお屋敷には病人がいらっしゃるのですよ。……お静かに、願います」
玄関ホールに飛び込んだ圭人を迎えたのは、メイド長である胡蝶だ。
彼女のその声は――いつになく冷たく、そしてその視線は――常ならざる厳しさだ。
「胡蝶、いろはは……」
「先程、目を覚まされましたが、今はお休みです。お医者様の診察では、疲労をためこんで体が弱っているところで、季節外れの風邪にかかったのだろう――とのことでしたよ」
「胡蝶、いろはの部屋に」
「それは駄目ですよ。圭人様は殿方で、いろは様は若いご婦人なのです。ご婦人の部屋に――ましてや、病に伏しているときに、お医者さまでもなんでもない殿方が、入室するべきではございません」
……胡蝶は、圭人の命令をぴしゃりと退ける。
彼女のその声は、その視線は、圭人を明確に非難していた。
「……圭人様は……いいえ……『圭人様方』は、あの子を、拾ってきた犬猫のようなものだと思ってやいませんか! 可哀想だからと、哀れみを『かけてやって』! そうして生まれ故郷からも引き離して、身なりを整え、良いものを食べさせて、教育を与え、そして芸も仕込んで!! それで、それだけで満足しておいでなのでしょうね!!」
……忠実なメイド長であるはずの胡蝶が、普段の冷静な表情をかなぐり捨て、主人である圭人を罵る。
「あの子は、犬猫じゃない、人間ですよ!! 人生があるんです!! ちっぽけなものかもしれませんが、尊厳ってものがあるんです!! それを……それを……『あなた方』は……っ……!!」
普段はきっちりとまとめ整えてある黒髪を振り乱し、彼女は、なおも圭人を、いや、圭人だけではなく、圭人に命令を下した女王樹乃花姫をも非難している。
その言葉を……圭人は、否定できなかった。違うのだと、言えなかった。
だって、だって……なにもかも、そのとおりだったのだから。
「圭人様は、そんないろは様が倒れたと聞いて、どうしようと思われたのです、何を『してくださる』おつもりだったのです! 看病の真似事でもなさるおつもりでしたか、それとも」
圭人は、ぎりっ…………と
「俺は……熱を多少なりとも冷ます魔法を使える。体の苦痛を和らげる魔法を使える。……あの子の今の苦しみを、いくらか取り去ってやる事ができる。多分俺は、胡蝶の言うとおりで、看病の真似事をして、自己満足したかったんだろうさ」
「……お認めに、なるのですね」
「……あぁ」
「では」
と、胡蝶は少しだけ横に移動して、いつもどおりに深々とお辞儀をする。
「行ってらっしゃいませ、圭人様」
それの、意味するものは。
……いろはの部屋に行ってこい、ということだ。
行って、その、看病の真似事をして……そして、いろはの病の苦しみを、少しでも和らげてやれ、と、そういういう意味だ。
「……いいのか、胡蝶。仮にも婦人の部屋に、男である俺が入っても」
「腹立たしいことに、あの子が……いろは様がそれをお望みでしょうから……本当に本当に、望んでおいでなのですもの……あぁ、でもですね」
「なんだ」
胡蝶は、すっかり紫乃宮伯爵家の忠実なメイド長の顔をしてこう続けた。
「いろは様のお召し替えなどの時は、ちゃんと出ていってくださいね?」
「……わかっている」
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