紫乃宮圭人の手記より




(以下はすべて、紫乃宮圭人伯爵の手帳や私的メモより一部を抜粋したものである)





(ある日のメモより)


 あの子は、いろははこちらに来てから随分と背が伸びた。

 来た当初は生まれつき小柄な方なのだろうと思っていたが、そうでもないようだ。


 胡蝶に言わせると「まるで雨の後のタケノコのようににょきにょきと手足が伸びてしまわれて……」とのことだ。

 まぁ、たしかにいろはの一年前の服はどれもこれも寸法が合わない。

 元々成長期だったのもあるのだろう。

 あとは……俺が言うのも何だが、栄養状態がよくなったこともあるのだろう。

 元の貧民窟と呼ばれる場所での生活ぶりを聞いたことはないのだが、最初のいろはのすがたをみれば、だいたいどんな暮らしをしていたのかは……想像はつく。





(とある日の手帳より)


 いろはとデパートに行く。

 夏を迎える前に、いろいろ準備しておきたいものもある。

 それにいろはの夏服だ。

 あれだけ手足が伸びたのなら、また採寸が必要だろう。

 それに、秋にはあの子も一国一城の――とは少し大袈裟かもしれないが、ひとつの店の店主オーナーとなるのだ。

 いろはよりもずっと年齢のいっている海千山千の雇い人たちに軽く見られないようにするためにも、それなりのものも誂えねばならないだろう。




(ある日のメモより――このメモの文字は他の文書のものと比べると随分乱れている様子がある)


 父上から手紙が来た。

 曰く、紫乃宮伯爵家はどうしているか。

 お前も独り身を気取っていないで、早く、妻を――


 ……勘弁してくれ。

 なぜ、宮廷魔術師主席となって、独立した伯爵家のあるじとなってまで、父の指図を受けねばならんのだ。


 ましてや、妻をはやく娶れだと?

 ……実の親子とはいえ、他家のことにひょいひょいと首を突っ込まないで欲しい。

 紫乃宮伯爵家は、紫乃宮侯爵家の分家というわけでもなんでもないのだから。

 

 父のことは嫌いではないが、わざわざそんなことをいわれるのは、嫌いだ。

 とりあえず、せいぜい他人行儀な手紙の返事でもしておこうか。


 ……正直、自分のしていることは子供っぽいかもしれん、が…………なんというか、多分、あぁ、もう、いらいらして、わけがわからなくなってきた。

 




(ある日の手帳より)


 優太と翔太が遊びに来た。

 翔太はしょっちゅう来ているが、優太は久しぶりだったので、いろはを見て随分驚いていた。「これがあの小娘ちゃんかー、女も三日会わなきゃ変わるもんだね」だそうだ。これは旧い書物から引用した言葉だ。まぁ、あいつらしい言葉の使い方とも言える。


 二人からの手土産はチョコレート菓子。

 …………この、夏を目前にした、暑くなってくる季節に、チョコレート菓子というあたり、紅瀬波兄弟のの気の利かなさぶりが伺える。チョコレートは溶けるだろうに。

 とはいえ、そのチョコレート菓子はなかなかにうまかった。

 柑橘の皮を甘く砂糖漬けにして干したものに、チョコレートがかけられたもの。西洋風にいうと、オランジェットというのだろうか。

 昔、留学時に一度食べたきりだから、ずいぶん久々に食べたな。

 和桜国でも手に入るようになっていたとは。





(ある日のメモより)

 

 また父から手紙が来ていたようだ。

 とりあえず衝動的に“発火”の魔法で読む前に燃やしてしまったので、内容はわからない。

 が、おそらくは前と書いてあることは同じようなものだろう。


 紅茶が飲みたい。

 できれば、アールグレイのように香りが付いたものを、とびきり冷たく淹れたアイスティーにして。


 そういえば……。


 最近は家では酒を飲んでいない。

 桜宮や出先で、薦められて飲む程度だ。

 俺は、下戸というわけでもないし、酒はそれなりに美味いものと思っていたのだが……。

 

 あぁ、わかった。

 あの子が家に居るからだ。

 自分が酒を飲んでいると、いろはがどこからかやってきて、一緒のものを飲みたがるからあまり飲まなくなったのだ。

 ……。

 いろははまだ、成長途中だ。

 ……飲ませるのは、まだまだよろしくないだろう。 





(ある日の手帳より)


 今日は、真希子と詩乃が来た。

 いろはが自分の部屋に詩乃を連れて行こうとしたので、止める。

 仮にも、一応、だが、詩乃も男子だ。

 女性の部屋にひょいひょい入るべきではない。

 ……あんな格好をしていても、そこらの女学生よりおしとやかでも、詩乃は男子なのだから、例外など認められない。そう、例外など無い。


 二人の手土産は果物を盛り合わせた籠。

 さくらんぼと桃がとくに美味そうだった。旬の季節なだけのことはある。

 それにしても、どこかの侯爵家の兄弟とは全く違う、しっかり配慮された手土産だ。さすが、神衣伯爵家の者は、ぶっとんでいるように見えてちゃんとおさえるべき点はしっかりしている。さすがだ。

 ……ぶっとんでいるように見えて、なんでああもまともを保っているのだろう。

 神衣家の神秘だな。うむ、さすが、旧くから魔法に秀でた一族だけはある。

 ……ということにしておこう。





(ある日のメモより――このメモは四つに引き裂かれた状態で発見されたもの)


 父から手紙が来た。

 ……そろそろしつこいと思ってもいいだろうか。

 俺も確かに二十七歳になるが、だからどうしたというのだ。

 『紫乃宮伯爵家』のことなど、あちらには関係ないのだ。

 跡継ぎがどうのこうのと言われる筋合いもない。


 だいたい、和桜国の宮廷魔術師主席がただの貴族の三男坊というだけではどうにもきまりが悪いだろうということで、伯爵家を設立することになったのだ。

 そんな家なら、誰が継いでもいいだろうに。

 きちんとむこうの家とは話し合った上だろうが、翔太か、あるいは詩乃あたりを養子にでも迎えれば、後継者問題は解決なのだ。

 

 父には――紫乃宮侯爵には、この家のことは関係ない。





(ある日のメモより――このメモは、美しい文様のある紙に書かれていた)


 夏が……。

 約束した、夏が来る。

 

 ……あの子は、随分と、楽しみにしている。

 俺も、楽しみにしていた。


 夏が、来る。





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