いざ、青海へと




 その日の天気は、いかにも真夏らしい綺麗な晴れ方をしていた。


 圭人は、今日は青い海へ行くから――というわけでもなかったのだが、車は青……もとい紺色のものを選んだ。

 その紺色の車で、早朝の澄んだ空気のなかを軽快に走り抜けるのは、なかなか爽快だった。

 絶好の、海日和だ。


「楽しみだなぁ、本当にずっとずっと海が続いてるんだよね……外国までずーっと続いてるんだよね」

「あぁ、そうだ。まぁ、実際見ればわかるさ」

 運転席の隣――助手席に座るのは、いろは。今日は清楚な白いワンピースに、薄い青色のレース編みボレロを着ている。スカートの丈がいつもよりも長いせいなのか、また背が伸びたからなのか、いつもよりぐっと大人びてみえる。


「そろそろ、一度車を止めて軽く点検する。いろははその間に朝食にしていればいいから」

「うん、でも圭人もちゃんと食べてね。せっかく胡蝶さんが用意してくれたお弁当なんだから」

 いろはが大事そうに膝の上に乗せているのは“食料保存”の魔法がこもったバスケット。

 今日は朝早くから出発ということで、紫宮伯爵邸で朝食はとらずに来ているのだ。

「わかっている。車の点検が終わったらちゃんと食べるから」

「あとは、水分もとるんだよ?」

「あぁ、わかってるわかってる」


 


 車は結構な距離を走っているが、今のところ異常などは見当たらない。

 この調子なら、海まで充分走ることができるだろう。

 点検を終えて、少し汚れた手を“浄水生成”の魔法を使って軽く洗い、車内に戻る。

「お疲れ様、圭人。車は大丈夫そうだったかな」

「あぁ、問題ないだろう」


 今日の弁当は、おにぎりではなくサンドイッチだった。

 鶏肉と野菜をマヨネーズソースで和えたもの。

 きざんだゆで卵をマヨネーズソースで和えたもの。

 シンプルな、きゅうりだけをつかったもの。

 そして見るからに豪華で一番分厚い、カリカリに焼いたベーコンと、トマト、それに葉野菜を使ったもの。

 

 ちゃんと“食料保存”のバスケットに入っていただけあって、どれも作りたてのような状態を保っている。

 そして、美味い。

 どうして、外で食べるものはこうも美味いのだろうか。

 食べながら、圭人はちらっといろはの様子を見る。

 彼女は、ベーコンとトマト、葉野菜のサンドイッチをなるべく大きな口を開けないで済むように少しずつ食べているようだった。

「いろは、それでは美味しくないだろう」

「……だって、レディは食べるときも、はしたなく大口を開けてはいけませんって、礼儀作法の先生にも言われるんだもの」

 ……大晶五年の春に比べれば、たしかに彼女はレディというものに近づいてきているのだろう、それは間違いない、けれど、だけど。

「……今は、俺しかいないだろう、食べたいように食べればいい」

 その言葉に、彼女は両手で持っていたサンドイッチでちょっとだけ顔を隠すような仕草をした。

「ありがとうね、圭人」




 それなりの量があったサンドイッチ弁当も食べ終わり、バスケットを閉じる。

「それじゃ、海に向けて……」

「出発!」


 まだまだ朝の時間帯の道は、車も通行人も埃も少なく、快適なドライブだった。


「さて、そろそろ海が見えてきてもおかしくないんだが……」

「海、もう近いの?」

「あぁ」

 その言葉に、いろはは助手席側の窓を開ける。

 何をしたいんだろう、と思っていると、いろははこんなことを言いだした。

「海、初めてだから、どんなにおいがするか、気になるもの!」

「潮くさいだけだぞ」

「いいの、どんな感じなのかが早く知りたいだけなんだもの」


 と、いろはが言うと同時に……視界がひらけ、広大な青い海が、現れた。

「……あれが、海……?」

「あぁ、あれが海だぞ、和桜国の周りは、ずっと海にとりかこまれている。海は恵みをもたらし、ときに猛威をふるい、そして――長い間、和桜国を護ってきた、とも言える存在だな」

「海……海すごい大きい! 本当に、ずっと、ずっと、ずっと続いてる……!」


 圭人は、初めて海を見るこの少女のために、少しだけ車の速度をあげた。

 ――少しだけだが、でもその少しでも早く、海にたどりつくように。




 

 その海は――長らく地元の漁港として使われていたが、近くには広い砂浜もあったために、文明開花以降は外国の者たちが夏に楽しむ場所として、栄えたところでもある。浜の近くには、食堂や土産物屋、宿泊施設が並び、観光地として快適に利用可能で、少し行けば、海を眺める遊覧船もでているし、ヨット遊びなど出来るところだ。


 圭人が、近くの店から借りたパラソルを砂浜にどう立てようかと思案していると、いろはがうずうずした様子で見上げていた。 

「ね、ねぇねぇ、せっかく海なんだし泳いだりなんかは……」

「ダメだ。日焼けはさせないようにと、胡蝶に言われている。それに、水着を持ってきていないしな。最近の水着は少し……いやかなり……なんというか、俺の美的感覚に合わないし、はしたない」

 何故、今時の水着は……あんなに頼りない生地で、露出が多くて、しかもどれもこれも横縞の模様をしているのだろう。明磁はじめぐらいにあったような、セーラー襟のワンピースにドロワーズの水着が今でもあったなら、圭人もまだいろはを海で泳がせる考えにもなれたのだが、あいにくセーラー襟の水着は現在の和桜国にはない。

「……むー」

「足先を海水に浸けるぐらいで我慢しろ。それに……いろは、お前は泳げるのか?」

「……あっ……えぇと、えぇと」

 いろはが大きな目をまんまるにして、それから考え込む。

 彼女はどうやら泳ぐ、というのは人が歩いたりするように――それなりに当たり前に、ごく自然にできるものだと思っていたらしい。


 ……泳がせない方向で、正解だな。

 いろはのことだ、調子に乗って溺れかねない。


「あとで、遊覧船にも乗せてやるから、そう拗ねるな」

「す……拗ねてないもん!」


 まったく、難しい年頃だ。





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