船遊び
当初は泳いでみたかっただの、潜って魚を獲ってみたかっただのと言っていたいろはだが、それでもかなり長い間海に足を浸けて遊んでいる。どうやらそれなりに楽しいらしい。
圭人も最初だけは、いろはにつきあって海に足を入れていたが――いろはが海水を浴びせかけようとしてくるので、砂浜のパラソルの下に避難して本を読んでいた。もちろん、こういう場なので仕事向きの本ではなく、今日はごく軽い娯楽小説のような本だ。
時折、いろはの様子を見ながら本を読み進める。キリの良さそうなところまで読み終わると、昼食をとるべき時刻をとっくに過ぎていた。
「いろは、そろそろ昼食を食べに行こう」
「あれ、もうそんな時間だったの?」
「あぁ、というか、昼食の時間としては少し遅いな」
「そっか……楽しいから、ついつい遊びすぎちゃったかなぁ、こんなに長い間お日様の下にいたら、日焼けしてあとで胡蝶さんに怒られそうな気がする」
「ははは、まぁ俺も一緒に怒られるだろうな」
そんなことを言いながら、すっかり砂と海水だらけになった足を真水で洗ってサンダルを履く。
「いろはは、何が食べたい?」
浜辺の町の、土産物屋や食堂が並ぶ観光客向けに整備された通りを歩きながら、昼食を食べる場所を探す。
それぞれの店先には新鮮な――というかまだ『生きている』魚介類が入った水槽などもあり、なかなかに面白い。
「えぇと――うーんと……何でも言っていいの?」
「あぁ、何が食べたいんだ?」
「えっとね、さっきのお店の水槽に入ってた……おっきな海老がいい!!」
「なるほど、海老か」
このあたりの海で獲れる海老は、普通の海老よりも大きなものがいる。大きいからといって大味ということもなく、繊細な海老の味で、美味い。大きいためにそれ相応に高価だが、財布の方は問題ない。それにあの海老なら、新鮮なものは刺身にしても楽しめるだろう。
「いいな。あの海老なら刺身だな」
「え。……えぇと、お刺身もいいんだけど……その、あの海老で、おっきなエビフライしたら美味しいんじゃないかなって! ……思ったんだけど」
「……火を入れてしまうのはちょっと、もったいないかもな。美味そうではあるが」
あの大きな海老のエビフライ……。そう言われれば、そんなの見たことも聞いたこともない。
圭人は苦笑いしながらも、その提案に乗ることにした。メニューには無いだろうが、注文すれば意外となんとかなるかもしれない。
「海老……美味しかったねぇ」
「そうだな。本当に新鮮な魚介はやはり美味いものだな」
のんびりと、巨大エビフライと、エビをはじめとした魚介類の刺身、それに海老の頭の殻を使った味噌汁などを食べて、腹ごなしに通りを特に目的もなくぶらつく。
予定している遊覧船の乗り込み時間まではもう少し時間があったので、いろはとともに、土産物屋を眺めて回る。
職場で配るちょっとした土産を購入しているうちに、遊覧船の時刻が近づいてきた。
「……船、乗ったことないや……本当に、本当にあんなおっきなものが、水の上に浮かぶの?」
「実際、今浮かんでいるだろうが」
「そうなんだけど、本当に深い海の真ん中でも、浮かんでるのかなって」
そんなことを言い合いながら、遊覧船に乗り込む。
この船はかなり大きく、少し昔風の西洋風の船を模した作り。帆と風で進むだけではなく、くず魔法石を専用の炉にくべることで動力を得る比較的新しいタイプのようだった。
「すごい! すごい! 今、私海の上にいるよ!」
まだ出発もしていないのに、いろはが妙にはしゃいでいる。なぜか岸に向かって手を振ったりもしていた。知り合いも居ないのに、あれは一体誰に向かって手を振っているのだろうか。
「いろは、少し落ち着け」
「えー……だってー……」
「とりあえず、もうすぐ出港だ……って、もう動き出したな」
大きな遊覧船が、ゆっくりと動き出す。
「え、え、え、本当だ、動いてる! 本当に海の上を動いてる!?」
船だからそりゃあ動くだろう。
そう突っ込みたくなる圭人だった。
最初ははしゃいでいたいろはだが、船が沖に出るにしたがって大人しくなって、船縁をぎゅっと掴んで、無口になってきた。
てっきりもっとはしゃいで騒ぐものと思っていた圭人には意外だった。
そして気づいた。
……あぁ、この子は――怖がっているのだ。
「いろは」
「ひっ……だ、大丈夫、だよね、沈んだりしないよね……?」
「基本的にはしない」
「基本的にはって、何!?」
……どうやら、船が沈みやしないかと怖がっているらしい。
「大丈夫だ、万一沈んだとしても――俺を何だと思っている。魔術師だぞ」
「……そうだよね……圭人が助けてくれるよね……あの、ね、圭人……その万一のときのために、手、握っておいてくれるかな」
「いいぞ」
あまりの怖がりように苦笑いしながらも、圭人は手を差し伸べる。
いろはは――その手をこわごわと握った。
二人は手を繋いで、海を眺める。
と、海の向こうから冷たい風が吹いてくる。
「いろは、風は冷たくないか」
……いろはに視線を落とすと……彼女の白いワンピースの、胸元……というか、胸の谷間がはっきり見えた。
「大丈夫だよ。……圭人?」
「……いや、なんでもない、なんでも、ない」
今の今まで、気が付かなかったが――あの白いワンピースは胸が出過ぎてよろしくない。
帰宅したら、胡蝶に言って、あのワンピースは処分させねばならない。あれは、レディになろうという娘が着るものではない。
「圭人、海、すごいねぇ、広いねぇ」
「あぁ」
だが、圭人は海などちっとも目にも心にも入ってこなかった。
あぁ、この子は――こんなにも大きくなってしまったのか。
こんなにも、こんなにも『大人』になってしまったのか――
圭人は今更ながら、そんなことをずっとずっと考えていたのだった。
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